第十三話 弟妹みたいに


娼館までの道中、なにを考えどこを通ったのかすら覚えていない。


気が付けば、ギュムベルトはマダムの書斎を兼ねている応接間のソファに腰をかけて事務的に二つの報告を終えていた。


一つは演劇活動の休止。もう一つは、ここで生まれ育った少女の訃報。


天涯孤独であるユンナの遺体に引き取り手はなく、回収したところで置き場もない。

底辺の孤児に人並みの葬儀をしてやることすらどこか薄気味悪い冗談、いわゆる分不相応に感じられて人づてに埋葬を任せるとそれを見送るだけだった。


マダムや同僚たちの反応がどうだったかまったく記憶になく、劇団の仲間たちに伝える必要を感じても来た道を引き返すだけの気力がギュムには残っていなかった。


漂い流れ着くかのようにして洗濯場に移動すると、力尽きたかのように地べたに腰を落とした。


物心がついた頃にはそばにいて、まるで影のように後をついてきたユンナ。


同じ場所で生まれ、同じものを食べ、同じ人間関係の中で育った。どこを眺めても生意気で口が悪く、それでいて人見知りだった少女の残像がそこにある。


それはもう鬱陶しいくらいに騒々しい日々だったけれど、同じ日はもう二度と訪れない。

思い返してみれば平凡な親兄弟よりかは依存度の高い、自分にとっての半身のような存在だったと思える。


振り返ろうと思えば、その一生のはじまりから終わりまでをたどることができた。



「おっ、ここにいたか」


ユージムが洗濯場でうずくまるギュムベルトを発見したのはすでに明け方も近くなった頃だった。


「――明かりもつけずになにやってんだよ、見過ごすところだったぞ」


顔をあげれば室内は完全な暗闇になっており、すでに数時間が経過していることに気づかされた。


「……どうかしたのか?」


「そりゃ、こっちのセリフだ。大丈夫か?」


どうやらギュムを探していたらしく、携帯してきた明かりを置くとそのまま地べたに腰を下ろした。


「――ほっといて悪かったな、現場を見てきたらこんな時間になっちまった」


先ほどまでユージムは現場に足を運んで捜査状況を確認したり、劇団の家まで行ってユンナのことを伝えたりしていた。


「なにか見つかった?」


ユンナの死の原因についてギュムはたずねた。


「……いや、転落事故ってことで片が付きそうだ」


捜査は打ち切りになるらしい、ただでさえ海賊騒ぎで忙しいところに仕事が増えることを警備隊は嫌った。

子供一人の死の真相など、正規軍との連携任務に比べたら取るに足らないと判断されたということだ。


「住み慣れた町でいまさらそんなヘマをするかよ……」


ギュムは落下死という結論に不満をもらした。


川辺で遊んで足を滑らせるほどユンナは幼くなかったし、いくらなんでも雑すぎる結論だ。


ユージムは現場の人間としての意見を口にする。


「仕事でやる以上、情に流されてる場合じゃないんだ。人が死ぬたびに立ち止まってたら後がつかえて先に進まなくなっちまうからな」


上が打ち切りと判断した以上、一兵卒に決められることはなにもない。


「――とは言っても、自分より若いやつが死ぬのはいつだってキツい」


「そうか、そうだよな……」


兵士にかぎったことではない、他人の死は誰にとっても取るに足らない出来事だ。


しかし身内となれば話は違う。一人の死によるショックで一歩も進めなくなってしまったり、後を追うことで人生に幕を引いてしまう者もあとを絶たない。


「まあ、あれだ、早まったマネだけはするなよ?」


ユージムはギュムがそうなってしまわないかを心配した。


一人で抱え込んだ結果、少年が最悪な選択をしないよう年長者として見張りのつもりでここに来たのだ。


ギュムはポツリと語りだす。


「……あいつのことを考えると、涙がでるんだよ」


「当前だろ、おまえの立場ならオレだってそうなる」


身内の死を悼むのは自然なことだ。


より身近だった者を前に自制しているだけで、ギュムの前でなければユージムもそうしていたに違いない。


ギュムは頭を抱えて苦しそうにつぶやく。


「そうじゃなくて……」


「なんだよ?」


ギュムが苦しんでいるのは身内の死に対する悲しみ、その一点ではなった。


「おれ、おかしくなっちまったみたいだ……」


「なにが?」


ユンナの死を確認して半日、同じ場所にいてずっと考えていた。


死の原因、生の意味、これまでのこと、これからのこと、そのあいだずっと心の底でチリチリとくすぶるこの『よろこび』の正体について。


そう、『よろこび』だ――。


ギュムは唐突に演劇の話を始める。


「舞台の本番になっても涙を流せたことがなくて、稽古で同じシーンを何度もやり直させられてた……」


それで悲しみの量をはかれる訳でもない、客席からは汗との見分けも曖昧だろう。


必ずしも涙を流す必要はないし悲しげな動作をして悲痛な声を発すれば、どんなシーンかは十分につたわる。

とはいえ誇張表現をするにしても、同じかあるいは近い状況を経験していればもっと理解の深まった演技ができるはずだ。


ギュムは自分の人生経験の希薄さにほとほと絶望させられていた。自分のつまらなさ、とるにたらなさ、頭の悪さに失望した。


存在そのものが恥ずかしく感じられて、どうしようもなく情けなくて苦しかった。


「――でも、涙ってこんなに簡単に流せるのかって……。いまなら、いくらでも再現ができるよ……」


ユンナの死によって、ギュムの感情の振り幅はぐんと広がった。かけがえのない少女の死は無能の少年に能力をひとつ授けたのだ。


それは成長の実感に対する『よろこび』だ――。


悲しくない訳がない、つらくない訳もない、それと同時に心のどこかで確実に『もうけた』と思っている自分がいる。


「ギュムベルト?」


「おれ、あいつが死んで『得』した。あいつが死んでんのに、おれ、『もうけた』って思ってんだ……」


得をすれば嬉しい、損をすれば悲しい、それが自然な感覚だろう。しかし、役者にとってはその限りではない。

明らかな損、負の感情を触発されるような体験さえ経験値となり自分の新しい力にすることができる。

失おうが、裏切りに遭おうが、痛めつけられようが、その経験が『役に立つ』という結論にいたる。


これまでよりもドラマチックに演じられる、そういう打算がつねに付きまとうようになっていく。


そして感情が自在になってくると、自分がいま泣いてることが、笑っていることが、怒っていることが本来の感情なのか、それともテクニックなのかが曖昧になってくる。


役者にはありがちな職業病だ。


「突然のことに混乱してるだけだって、おまえより悲しむ権利のあるやつなんていねえんだから、パニクっちまってもしかたねえだろ」


今後、どんなことがあっても『もうけた』『やった』と思ってしまう。


――自分はこんなにも白状な人間なのか。


逸脱した感覚にとまどい、罪悪感にさいなまれるギュムをユージムは慰めた。



「こんなときだから言うけどよ……」


しばし沈黙が続いたところで、覚悟を決めたようにしてユージムが切り出した。


「――ユンナに関しては後悔してることがあるんだ」


「後悔してること?」


ギュムも落ち着きを取り戻してきた様子で、彼の話に耳を傾けるとじっくり聞く姿勢になった。


「いや、言いにくいんだが、あいつが娼婦になってはじめての客はオレだったんだよ」


「…………」


破壊力のある語り出しだった。どう相づちを打ったものか、ギュムは言葉を詰まらせた。


「子供相手に下心とかはまったくなかったんだ、本当だぜ。ただ、見ず知らずの爺さんやキッツイ変態の相手をするよりかマシだろうってな」


それは本音だ。ユンナが初対面の相手とうまくコミュニケーションを取る姿が想像できなかったし、初仕事での失敗がトラウマになるんじゃないかと心配しての行動だった。


彼の薄給から費用を捻出するのはけっこう覚悟も必要だった。


「――こっちは親切のつもりだったんだ。よおっ、なんてイタズラ気分のあいさつなんかしてさ」


「そうだったんだ……」


なんの告白かととまどいながら、ギュムは相づちを打った。


「そしたら、まあ、ぎゃーぎゃーと泣きだしてな。あ、やっちまったと思ったよ」


どうつくろっても泣きやませることができず、ユージムは謝罪を残してその場から立ち去ることしかできなかった。


「――三年かけて築いた信頼を裏切った。それ以来、すっかりよそよそしくなっちまった」


「そんな様子はなかったけどな」


周囲から仲良し三人組という認識をされているように、ユージムに対するユンナの態度はギュム目線にも親し気に見えていた。


「そりゃそうさ、ユンナの世界は二つあるんだ、おまえの前とそれ以外だ。それまではオレもそっちに入れてもらえてたんだが、すっかり締め出されちまった」


ギュムのいない場所ではあきらかに口数が減ってしまい、そうさせたことをユージムは心底後悔していた。


「生きてるうちに許してもらうはずだったんだ……」


気長に打ち解けていく予定だったが、それはもはや不可能になってしまった。この未練は一生引きずることになるだろう。


娼館で生まれ父を知らず、母は当てつけるかのように自殺し、自らも体を売る他になかった。


ふとギュムがつぶやく。


「あいつの人生、幸せだったのかなあ……」


それを語るにはあまりにも短い一生だ。


「少なくとも、おまえがいてくれて良かったとは思ってただろうぜ」


そう答えるとユージムは一度だけ鼻をすすった。

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