第十二話 鍛冶師カガム
イーリスがベッドの上から客人を歓迎する。
「あっれ、ひっさしぶりじゃん!」
ニィハはギュムベルトの傷を完治させるとカガムを劇団の借家へと招待した。彼は鉄の国出身のドワーフであり東アシュハ王付きの鍛冶師だ。
中心地にある首都から北端の港町付近にある『鉄の国』への道のりは険しく、軍の派遣に便乗する形で数十年ぶりの里帰りを果たすところだった。
「意外と元気そうじゃないか、道化師」
カガムがあいさつするとイーリスは照れくさそうに笑う。
「その呼び方やめれ、くすぐったいよ」
一見して元気そうだが、体調はまだ万全ではない。
解毒に二日掛けたことで手足の末端にしびれが残り、めまいや嘔吐の症状も収まっていない、食器も満足に扱えないありさまで完治する保証もない。
そんな状態でも、二度と再会できなかったかもしれない知人の来訪にはテンションがあがった。
「里帰りのついでに預けた物の感想を聞こうと思って寄らせてもらった」
ドワーフは近況報告や思い出話などには一切の興味も示さずに作品の感想を求めた。
「ああ、あれね。使い勝手が良くて気に入ってたんだけど、分解するときに衝撃で上腕を骨折したんだよね」
「そいつぁ、おまえさんの腕の強度が低いせいじゃあないのかい?」
「そりゃ、オーヴィルの腕なら折れてないだろうけどさ……」
「壊れたならその方が情報価値があるじゃろうが、詳しく話せ――」
イーリスたちの会話が弾む横でとくにすることもなく、ギュムはニィハに客人との関係性をたずねることにした。
「どういう知り合いなんですか?」
「イーリスは東アシュハ王の父君がご健在のおり、宮廷で道化師を務めていたのです」
道化師とは愚鈍者を演じて王を楽しませる娯楽係である。
頂点に君臨する王が他人の意見に軽々しく左右されては威厳を損なう。しかし、道化の意見を許すことに関しては寛容さの表れとする風潮があった。
引っ込みのつかなくなった王がときにメンツを保ったまま発言の軌道修正をする足掛かりとなる存在であり、知恵者が無知をよそおって参謀の役割を果たす側面もあった。
『劇団いぬのさんぽ』は吟遊詩人と剣闘士の出会いから生まれた――。
ギュムはそう聞かされていたが、酒場で荒くれ者を相手に小銭稼ぎをしている一団がまさか宮仕えをしていたとは思わない。
「――話によると、現王とその弟君たちとでイーリスを巡って壮絶な恋の争奪戦が繰り広げられたとか」
「マジすか!?」
道化師といわれてもピンとこなかったが恋愛の話ならば分かりやすい、場合によっては彼女がこの国の女王になっていたかもしれないということだ。
ギュムは素直に驚いた。
――演劇をはじめてからはユンナのやつも観客からよく求婚されてたっけな。
舞台の主役をやるということはそれだけ人を惹きつける。
金があまって仕方ない老人だとか、異国から船で来た王子だとかに熱烈なアタックを受けている姿を目撃していた。
あの性格だから一切取り合うことはなかったものの、彼女にとっては人生を逆転するチャンスになりえたかもしれない。
第七夫人とか言われていたが、娼婦を続けるよりかは安泰ってところだろう。
――あいつ、今後のことをどう考えてんだろうな。
ギュムはなにもかもを納得づくでやっているがユンナは違う、娼婦も演劇も嫌々やっているのが丸わかりだった。
兄貴分としてはそれが心配でもあるし、素直に妹分の幸せを願っている――。
「稼働部の金属をもろくした方が実用的か?」
一方、カガムは一心不乱に作品の品質改善についての意見を求めていた。
「それだと使い切りになっちゃうね」
「武器防具なんてものは本来が消耗品じゃろがい」
イーリスがカガムから預かっていたのはランタンシールドと呼ばれるシールドと一体型のガントレット。
手甲に小盾を固定することで素手を自由にできるというコンセプトの防具だ。
カガムのそれはシールドが前後にスライドするギミック付きの実験作で、武人あがりである現在の王が思いを寄せた女性への贈り物として制作を依頼した一点物だった。
「――なら、分離する構造に作り直すってのはどうじゃ?」
「いいね、取り外しや交換ができたら便利だと思う!」
「しかし、強度を維持するとなるとどうしたもんか……」
サイズと形状さえ多様化しておけば役割を与えられる板切れに、わざわざ変形機構を内蔵するのだから制作工程は比べ物にならない。
消耗品にしてはあまりにも高コストだが、ドワーフにとってはヒラメキを形にする欲求こそが優先であり普及するかどうかは二の次だ。
金もうけのためにやっている訳ではない。この世にあってほしいものを思いつくままに作る、それだけのこと。
――先生と馬が合うわけだ。
ギュムは妙に腑に落ちた気分になると、サランドロと衝突した反動からか損得度外視でものづくりの話をする二人の姿がなんだか嬉しく思えた。
「そうだ、のんびりしている場合じゃない!」
少年は緊急の話題を思い出すと二人の間に割って入る。
「――先生、ちょっといいですか」
「ん、なに?」
「あのオオカミ野郎の正体がわかったんですよ!」
ギュムはあの夜の襲撃がサランドロの指示による暗殺だったこと、そして護衛のノロブこそが実行犯であることをイーリスに伝えた。
この重大な報告に対してわれらのリーダーがどう行動を起こすのか息を飲んで待ち構える。
しかし、彼女の決定は少年の期待していたものとは大きく異なる――。
「ほっときなよ、べつに悪人ってわけでもあるまいし」
望みとあればサランドロ邸に殴り込むことすら想定していたギュムにとって、怒りの片鱗すら感じさせない態度は拍子抜けだ。
「……悪人じゃないって、あれが?」
――殺人者なのに?
他者の尊厳、平穏、果ては命まで、なにを奪おうとも罪の意識を感じないあの怪物を悪人と断じないことへの違和感に困惑した。
イーリスは答える。
「みんな大なり小なり人を殺して立派になっていくんだし、あれくらいする人間もめずらしくはないよ」
大きな枠組みで言えばアシュハは他民族との生存競争に勝つことで栄えてきた。商人は競合相手を出し抜くことで成果をあげ、男女は特定のパートナーを作ることで第三者との可能性を断ち切る。
競争に結果をだせば敗者が生まれる。それはある意味での殺人行為であり、自分がパンを手に取ることで飢える人間がいたとして、思いとどまらないことはけして異常ではない。
「人を殺してるんですよ、そうやって得た権力で弱者の尊厳を踏みにじっているんです! それがこの町の英雄のあるべき姿だって言うんですか!」
ついさっき受けた仕打ちを思い出して怒りがこみ上げた。
「気に食わないのは分かるけど、あるべき姿を他人に期待するのは傲慢だよ」
イーリスの言った『あるべき姿』とは平均値ではなく理想像、理想とされているからには多くはその域にまで達していないということだ。
人間なんてその程度のもの――。
娼館の従業員ともなれば立派な大人とやらの裏の顔をたくさん見ているだろうに、「人を殺してはいけません」「人の物を盗ってはいけません」などの成熟した倫理観を備えているあたりマダム・セイレーンによる教育の先進性が垣間見える。
高級店の看板を掲げている以上、従業員が客の物に手をだしてはいけないという方針なのだろう。
しかし、盗みや殺人はまっとうな仕事にくらべたら手っ取り早くもうかる。この世界にはそれを抜きにしては生きていけない人間が山ほどいるのだ。
「こうあるべき」に現実が追い付いていない。だのに、それを人に望むのは酷というものではないだろうか。
目指す姿を十として、一ができるようになったばかりの子供に「なぜ十ができないの!」と𠮟りつけるのはナンセンスだ。ニを期待するのが相応だろう。
「――人を殺したことのある人間が例外なく悪なら、ボクやニィハなんかはひっどい極悪人さ」
前線で戦う兵士や治安を守る兵隊、安楽死をおこなう医者、罪人に罰をあたえる執行者、命の奪い方にもいろいろある。
サランドロが人を害する一方で救っている命の数がはるかに多というのもまた事実だ。
殺しを、競争をなくして成立するほど人類はまだ完成していない――。
殺しを悪と断ずる者は、幸福で恵まれた人生をおくれてきた無知者か、すでに十の境地に到達している一部の賢人か。
少なくとも『劇団いぬのさんぽ』はそこには含まれないというスタンスだ。
「自分が殺されかけたんですよ! やられっぱなしで腹が立たないんですか!」
人ごとならばともかく、ギュムのはらわたがこんなにも煮えくり返っているのはやられたのが身内、大切な人だからだ。
「……サランドロに報復しろって? でも、それってどれだけの時間と労力が必要なの?」
報いを受けさせなければ怒りが収まらないというギュムの気持ちも理解はできる。
しかし、イーリスの中ではすでに「自分がやられたぶんにはいいか」ということで結論が出ている。
「――ケンカなんかに貴重な時間を一分一秒割きたくないよ、そんな暇があったら新作一本やりたいやい!」
人生は一度きり、失った時間は戻ってこない――。
世界には色々な価値観がある。それぞれの幸福がある。自分と異なる考えの相手とかち合う度に潰し合うなんてのは浪費だ。
住み分ければいい、限られた時間は好きなことだけに使いたい。
しかし、ギュムは納得いかない。
――それじゃあ、弱者はなにをされても泣き寝入りするしかないのか?
「その件で、悪い知らせがあるの……」
ここがタイミングかと、ニィハは演劇禁止令とサランドロによる劇場の独占があったことを報告した。
イーリスは目を見開いて絶句する。
「……うそだろ?」
自分を毒殺しかけた犯人の正体発覚よりも、演劇ができないことのほうがはるかにショックが大きかった。
「最低でもむこう一年、この辺りでの公演はできそうにないわ」
そしてブチ切れる。
「はああああああっ!! あいつマジでぶち殺してやろうかッ!!」
――沸点が高いのか低いのか分からない人だな……。
唐突に怒りだしたイーリスの姿を見たことで、ギュムはむしろ冷静さを取り戻す結果となった。
「うう……、大きな声を出したら目まいが……」
「どちらにしても、すこし休養をとりましょう?」
イーリスが不調を訴えるとニィハはそう提案した。公演が不可能な現状、病み上がりに無理をさせても仕方がない。
ギュムが尋ねる。
「殴られ屋はどうしますか?」
「演劇じゃないって言い張って続けるよ」
名指しで止められるまでは継続する、そうしなくては五人と一匹の生活がままならない。
「『闇の三姉妹』の方はしばらく休演ですね」
「やだ……」
駄々をこねたところで決定権は雇い主のマダム・セイレーンにあり、娼館を営業停止の危険にさらすわけにもいかない。
公演は中止にせざるをえなかった――。
* * *
稽古をふくむすべての演劇活動の一時中止を伝えるため、ギュムベルトは一人『パレス・セイレーネス』へと向かっていた。
ニィハには明日でも良いと言われたが、早いに越したことはないとひとっ走り行って報告してくると自分から申しでた。
娼館へと向かっている道中。ふと、ユンナの姿を見ていないことに思い当たる。
――あれ、いつからだ?
イーリスの負傷から三日間は右往左往していたし、いざ回復した翌朝には演劇禁止令でまたバタバタとさせられた。
――三日も顔を合わせないなんて、はじめてのことかもしれないな。
忙しく駆け回っていたこちらに気を使ってくれたのだろうか、なんだかそれもらしくない気がする。
「それにしても公演中止かぁ……」
落胆のあまり声に出してボヤいていた。
再開はいつになるだろう、コンテスト期間が終了したら改めて劇場を押さえることになるのだろうか。
その間、自分たちのいないところでサランドロの推した劇団がトップになり演劇の主流が確定する。
他劇団が盛り上がり、新しいスターが排出されていくなか、指をくわえて見送ることしかできなくなるのがもどかしい。
「そこの少年!」
考えごとをしながら歩いていると見回りの警備兵に呼び止められた。
「――パレス・セイレーネスの子だろ?」
「そうだけど?」
正義感の強い少年は警備隊とは度々もめていたし、態度もついつい反抗的になってしまう。
「さきほど、そこの川で女子の遺体があがってね」
「えっ、あっ、そうなんですか……」
事件にしても事故にしても自分には関係のないことだとギュムは思った。しかし警備隊が彼に声を掛けたのはただの偶然ではない。
「もしかしたら、おたくの従業員じゃないかってことで身元の確認を頼みたいんだ」
「は?」
おまえのところの人間が死んでたぞ――。
そう言われたはずが、演劇ができなくなったショックにうわのそらになっており、どこか他人事のようにしか受け取れなかった。
わけも分からず、それでいて無視する訳にもいかずギュムはおとなしく警備兵の誘導に従う。
――このまま『劇団いぬのさんぽ』の存在は忘れ去られていくのかな……。
そんなことを考えながら連行された先には、毛布で包まれた少女の遺体が横たえられていた。
ギュムはようやく事態を理解する。
死体の身元確認の相手として自分が適任であると判断された意味を――。
「彼女、キミのところのスタッフだろ?」
即答する。
「いいえ、違います……」
変わり果てた水死体を一目で他人と判別できたわけではない、確認すらせず反射的に否定の言葉を口にした。
「本当に、間違いないね?」
「……え、なにが?」
呼吸が浅くなったせいか、視界がぼんやりと霧がかっていて見慣れたはずの背格好、見飽きたはずの服装ですらなじみがないような錯覚を覚える。
「――いや。……だって、その、違います、そんなわけないんで……」
否定すれば、認めなければ、悲劇を回避できると思いたかった。
「これ、彼女が身につけていた物なんだけど見覚えはない?」
警備兵は確認してくれとばかりにそれをギュムの手に握らせる、少年はうつろな意識でされるがままにそれを受け取った。
その手に握り込んだのは紐にぶら下げられた指輪、ギュム自身が選んで送った彼女への誕生日プレゼントだった。
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