第二章

第八話 直談判


闇夜のけもの道をつきすすむ影がひとつ――。


ギュムベルトたちを襲撃した『人狼』が商人ギルド幹部サランドロ・ギュスタムの屋敷へと向かっている。


人目のある正面口を避け、草木を隠れ蓑にして獣そのものの俊敏さで音もなく裏口へと回り込むと、速やかに屋敷へと侵入した。


月明かりが完全にさえぎられると変身がとけて人間の姿へと戻り、獣人はサランドロのボディーガードであるノロブへと変化した。


襲撃者の正体はサランドロの差し金であり、イーリスたちが屋敷を出てすぐに『殺せ』との指令がくだされていた。


自分に還元しない者に存在価値はなく、よそに益する可能性のある者は明確な敵だ。

邪魔者は速やかに排除する。それこそが彼らの方針であり勝利の鉄則だった――。



ノロブは自室で血まみれになった衣服を着替え、身繕いを整えると舌打ちした。


鋭利な刃物による断面は完全に治癒したが、オオカミから受けた傷は複雑な裂傷になっており完治するのに時間がかかりそうだ。


――さてと、主に報告をしなくては。


失敗を伝えるということは自分の無能を表明するということだ、とうぜん気が重い。


応接室の前に立ち、ノックをしようとして思いとどまる。


商談が難航しているのだろうか、室内からは言い争う声が聞こえている。


「失礼します、ノロブです」


一度とめた手で改めて扉をノックした。


「入れ!」


なんて間の悪い、主の機嫌は最悪の様子だ。


許可を得て踏み込むと、室内ではサランドロと売れっ子作家のジオが言い争いになっていた。


「サランドロ、なにごとですか?」


たずねると主はさも忌々しげに答える。


「なんでもいいから、この不快な種族をオレの前からどけてくれ!」


ノロブはジオを振り返る。


「そういうことですので、お引取りを――」


指示通りにジオを追い立てようとしたが、重心の低いドワーフはどっしりと踏ん張ってビクともしない。


「いいえ、どくものですか!」


「このッ!」


人間相手ならば気軽に始末して埋めるところだが、ドワーフは数が少ないだけに減らせば目立つ。

やられたら必ず種族ぐるみでやり返すという性質上、扱いに困る存在だ。



「なぜ、ワたしには参加資格が与えられないのですか!」


ジオはどうやら、コンテストの開催を聞きつけて参加を直談判しにやって来たようだ。


サランドロの方針として、ドワーフのコンテスト参加は認められない。

しかし、町でもっとも人気の作家を除外してなにがコンテストかとジオは主張した。


「何度も言っているが亜人の参加は認められない、種族差があっては公正な勝負にならないからだ。

腕相撲大会にトロールが出てたらどうする、やる気が起きるか、ああ?」


「しかし、演劇は身体能力を競うものではありません!」


ジオは引き下がらない。


「例外を認めたら他の分野にも波及して面倒なんだよ。

あれは良くてこれは駄目なのか、基準はどうなっているのかと、人間のみの参加にしておけば角が立たないんだ、分かれよ!」


サランドロは頑として聞き入れない。


なにせドワーフは技術もさるものだが、疲れない、眠らない、体を壊さない。

あり余る体力と頑健さで人間の作る倍の品質の物を三倍の速度で作ることができる。


それが周知されたらおしまいだ。商人ギルドの保身と同時に、これは人間の生産者や職人を守るための戦いであるとも言える。


「――どうしてもやりたいなら、ドワーフ同士で勝手にやればいい!」


小さなコミュニティでひっそりとやればいい、人々は興味も示さないだろう。


二百人の国でそれぞれが好き勝手に物作りをしているドワーフたちは誰が一番かだなんて考えない。

審査員が臆面もなく自分を優勝させるくらいのことをして、コンテストの体すらなさないに違いない。


しかし、ジオの目的は一番になることではない。


「劇団いぬのさんぽ、イーリス・マルルムよりもワたしが優れていることを証明したいんです!」


先日、『劇団いぬのさんぽ』をたずねたさいにジオは自分が侮辱されたと感じていた。


やられたらやり返す――。


それこそが少数派のドワーフ族を人間の差別や虐待から守るための術だからだ。


「なにを言い出すかと思えば、勝敗はすでに決しているだろう。動員を見れば一目瞭然だし、それが全てだ、ちがうのか?」


より稼いだ、作品の優劣はそこで判断できる。サランドロと多くの人々にとってそれは真実であるし、厳然たる事実である。


「あちらは娼館で行われているため、客層が限定されています。これではワタシのほうが明確に優れていることの証明にはならない!」


「限定されているというなら、そんなものは敵じゃあないんだよ。おまえの勝ちだ、良かったな!」


「本人に敗北を認めさせないと意味がないんです!」


出来レースのコンテストである以上、ドワーフには勝たせない。

参加したところで理不尽な敗北を味わうことになるだけだ。


そしてこのように結果に異議を唱えては催しを台無しにするに違いない。


「知ったことか、それが目的ならばこの話はここでおしまいだ!」


「どうしてですか!」


「イーリスはコンテストには参加しない。野犬に襲われ、のたれ死んだのだからな!」


ノロブはギクリとした。


「――冗談だ。ドワーフの話をやりたいと言って聞かなかったから、辞退してもらったのさ」


採算が取れないから切った、というふうにジオは理解する。


「……なんだって彼女はそんな無駄なことをしたがるんです?」


ドワーフを主人公にするより退治する話を書いた方が人間にはウケる。

『船乗りと乙女』も、進行形で船乗りたちを苦しめている海賊を爽快に打ち倒すことでヒットした。


「馬鹿げているよなあ?」


「ええ、もちろん」


あえて観客の要望を無視する意味がわからないと、ここにきて二人は意見の一致を見せた。


次世代のデザインを良くすることこそ人間の使命である――。


サランドロの思想は意外にもドワーフ族の価値観と共通する感覚を含んでいた。


不細工を淘汰し、美人を掛け合わせることを徹底すればルックスの平均値は上がる。


人々は非人道的だと反発するが、ドワーフたちは「なるほどな!」といって相づちを打つだろう。

彼らの第一欲求は興味の対象をよりよく加工することにあるのだから。


そして『人間研究家』であるジーダことジオにとって、演劇とは研究成果の発表の場と同義なのである。

人々から想定通りの反応を引き出すことこそが研究成果の証明だと考えている。


金持ちにウケたければ貧乏人に施す話を、貧乏人にウケたければ金持ちを見返す話を書けばいい。


求められさえすれば、ジオはドワーフを悪役にして物語を書くことだっていとわない。

それこそがプロフェッショナルであると信じているからだ。



「さあ、用が済んだなら帰ってくれ、オレは忙しいんだ」


イーリスはコンテストに参加しないのだと知らされると、ジオはおとなしく引き下がることにした。


「お騒がせしました……」


気が晴れた訳ではない、他の方法を考えるしかないのだ。



「まったく、無駄なことに時間を費やしてしまったよ、クソッ!」


ジオの去ったあとでサランドロは悪態をついた。


主の機嫌は良くないが後になるほど悪かろうと、ノロブは任務の失敗を報告することにした。


「イーリスの始末の件なのですが、失敗してしまいました」


「……なんだ、珍しいじゃないか」


サランドロはそれを叱ったりはしなかった。ただ、驚いたといった様子だ。


暗がりの森の中でノロブの追跡を逃れ、暗殺をのがれる者がいるとは考えもしなかった。


「申し訳ありません」


もともと先祖のルーツが同じということで重用していたが、人里離れた場所に屋敷を構える彼にとって人狼の存在はうってつけだった。


交渉の決裂した商人が道中、爪や牙でズタズタにされた死体で発見されたとして、人の手による殺しだとは誰も思わない。


ノロブ自身の腕も確かだが、思いついたら即座に殺して転がしておけば良いというのは非常に手っ取り早かった。


「失敗の原因は?」


「道中で仲間が合流しまして、手が足りないと判断しました。しかし深手を負わせたので、助かるかは五分といったところかと」


確実に始末しなくてはならないと考えるほど驚異に感じたわけではない、まったく敵にならないとすら思っている。


ただ、自分をハゲ呼ばわりした馬鹿に痛い目を見せなくては腹の虫が収まらなかった。


「どうでもいいと言えばそうだが、このままでは気がすまんとも言える」


「結構な手練れでした、改めての襲撃するとなるとあちらも警戒していることでしょう」


『劇団いぬのさんぽ』はもともと旅芸人だ。


モンスターや盗賊と遭遇することも考えられる以上、まったくの素人では務まらないに違いない。


「本人が難しいなら身内を襲え、それがセオリーだ」


劇団員のすべてが手練れというわけでもあるまい、弱点を突けばいいだけのこと。


親、兄弟、恋人、仲間、手始めにひとつ奪ってやればいい。


本人を消してしまってもいいが、失意に落ちぶれていく姿を見るのもまた一興というものだ。


「では、仰せの通りに」


ノロブは姿勢を正すと、了解の意思表示として頭を下げた。

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