第七話 闇夜の爪
「あーあ、ギュムくんのせいで出世を逃した」
「ええっ、おれのせいですか?!」
帰りしな二人きりになるなりイーリスは愚痴り、ギュムはしゅんと落ち込んだ。
「舞台は段取りと集客が重要だし、そのためにはああいう人の力を借りなきゃいけないこともある」
時間を無駄にさせておいて馬車を出してもらうのも忍びない、交渉が決裂したら帰りは徒歩だ。
とはいえ町までは結構な距離があるし、野生動物やモンスターの餌食になる可能性だってある。
広場の商人に譲ってもらったランタンと、イーリスが護身用に身に付けている短剣だけが頼りだ。
「……だけど、演劇に興味のない人間が、いや、むしろバカにしてるやつがですよ! その優劣を決めるだなんて納得いきませんよ!」
コンテストではイーリスを優勝させる段取りだったが、それをサランドロが観劇することはない。
実績のある者から選出するのだから必ずしも不当であるとも言えないが、あらかじめ受賞者の決まっている大会にそうとは知らずに名を連ねる者たちがいることは、どうにもいたたまれない気持ちにさせられた。
「ギュムくんさ、ボクらのやっていることを高尚だなんて思い上がっちゃいけないよ。娯楽なんてのは衣食住があってこそなんだから」
演劇を神聖視しているギュムに対して、それだけは言っておこうとイーリスは思った。
演劇は宗教や教師ではない。売春や嗜好品と同じ、客を気持ち良くさせてなんぼだ。
衣食住、つまりは生命や尊厳を守る産業の方がはるかに大切なことであると彼女は諭した。
「先生まで演劇はたいしたことない、みたいなことを言うんですか! 家族の命より優先できないやつはかかわるなって、以前はそれくらいのことを言ってたじゃないですか!」
イーリスも同じ気持ちに違いない、そう思っていたギュムは異議を唱えた。
「それはさ、そんくらいの情熱で取り組んだものじゃないと恥ずかしくて人前にだせないって心構えの話だよ」
物語は世界を変えられる――。
そう信じて演劇の世界に飛び込んだ少年の感性を、先達として肯定してやれないことがすこし残念ではある。
しかし、世界はそこまで恵まれてはいない。幼稚な理想論を肯定しても幸福にはなれない。
「……そうやって割り切れるなら、なんだって誘いを断ったりしたんです?」
「求められているものを提供するのは大変さ、だからボクには務まらないって正直に断ったんだ」
少年はそうは思わない。自分たちの演劇に誇りを持っているし、もっと評価されるべきだと思っている。
「確かに『船乗りと乙女』は面白いです。でも、あの演出は好きじゃない。役者は詐欺師じゃないし、うそをなくしていくのが芝居でしょう?」
ペルペトーラ・ジオ・チンチン伯の作劇には大衆向けの工夫が随所に凝らされている。
主役が登場する度、事件が起きる度に楽器がかき鳴らされ、役者は一言ごとに客席に正面を向け、恋人にささやくようなセリフを最後列の席に向かって叫ぶ。
日常のトーンでセリフを発し、舞台に前後の概念のない『闇の三姉妹』とは対照的な演出だ。
しかし後者は娼館のエントランスという特殊な空間で、至近距離にて行われることで成立しているのであり、大舞台でやれば居眠りをする観客も出てくるだろう。
舞台によって演出は異なってくる。
「役者に必要な資質は作品の善し悪しを判断できることじゃなくて、与えられた役を溺愛できることだ。
役者に求められるのは場面を成立させられるかどうかだけ、演目に適した表現を提供できなくちゃいけないよ」
作品の優劣を語るのは観客の権利であり、役者の仕事ではないのだ。
「――寛容になりなさい」
「えっ?」
表現は自由だ。
「こうした方が良いってことはあるよ。でも、こうじゃなきゃダメだ、なんて言うのは一番つまらないことさ。
自分と異なる価値観は抹殺しないと気が済まない、それが人間のもっとも愚かしい部分だからね」
身内びいきをしたがるのは人の性だが、多様性を認めた方が芸術の未来は明るい。
イーリスはくるりとギュムを振り返ると言い聞かせる。
「――なにをしたって良いんだよ」
それが他人に受け入れられるか、否定されるかはまた別の話。
みんなが同じ方向しか見ていない状態は心地が良いようでいて、まったく健康的じゃない、なにより劇的じゃない。
それは命に限りのある人間にとって心底から悲しいことだ。
サランドロの誘いを断ったのは、そこの価値観をすり合わせることができなかったから。
「おれはまだ芝居のことがよく分かってないってことか……」
「芝居は出会いで演技は再現、これは意外に相反する要素だけど、疑問をもってはいけないよ?」
意固地になってはいけない。いざ板に乗せたら疑わないこと、それが演技の説得力につながるのだ。
「観てないって言うから、先生もあれを敵視してるんだと思ってました」
『船乗りと乙女』のことだ。
「してないよ。ただ、ああいうのは他の人がボクよりもずっと上手にやるでしょう」
ジオの演劇は正しい、けれど興味を引かれなかった。それだけだ。
「じゃあ、先生はどんな演劇がやりたいんですか?」
その質問には悩むことなく答えられる。
「貧乏人の話で金持ちにウケたいし、モテるやつの話でモテないやつにウケたい。人殺しに命を救ってほしいし、聖人に人を殺してほしい。
キャンディを欲しがってる子供から、キャンディを取り上げて感謝されるような、そんな演劇がやりたいな」
それはまるで『世界から争いをなくしたい』と言ったのと大差ない、人の生理を無視した到底かなうはずのない幻想でしかない。
なぜなら、人は『世界平和』という言葉を侵略行為の言い訳にしか使ってこなかったし、みんながそれを許してきたからだ。
行動に移しているのは彼女だけだと言えば大袈裟だが、それは無力でエゴイスティックな演劇だった――。
物分かりのよくないギュムにもイーリスが夢物語を語っていることくらいは分かる。
「……先生におれを説教する資格はないんじゃないかな」
「お互い大人にならなくちゃね、なりたくないね」
結局のところイーリスだって、物語に対して奇跡的な力を期待していることに違いはなかった。
それが無駄なことだと知りつつも、すてきなことのように彼女は思っていた。
「――取り憑かれないで、呪わないで、寛容になって楽しんで」
「……出世のチャンスをつぶしてすみませんでした」
ギュムはやっとのことで深々と頭を下げてわびることができた。
「フッ、くよくよしちゃって、カワイイでやんの!」
イーリスはギュムの首に腕をひっかけると、グイと引き寄せた。
劇団のことを思えば出世もしておくべきかと思った。けれど彼女自身、サランドロの誘いを受けずに済んだことに少なからずホッとしている部分があった。
「おい、やめろ、危ないから」
ギュムはランタンを落とさぬように気をつけながらイーリスを注意した。
「まあ、がんばれ少年。いまは考えたって分からないことだらけさ、でもいつかこういう意味だったんだなって思うときがくる。成長ってのは気付きなんだ」
「べつに、だらけってことは……、って、わあっ!?」
イーリスが唐突にギュムを蹴り飛ばした。
斜面を転がり落ちたギュムは意義を唱える。
「突然なんです――!?」
鮮血が飛び散る。さっきまでギュムがいた位置でイーリスの大腿部がザックリと裂けた。
「先生ッ!!」
音もなく背後に近づいた人影が、鋭利な武器で彼女を切り付けていた。
致命傷を免れたイーリスに向かって追撃、横なぎの斬撃を彼女は敵のふところにもぐり込んで回避する。
刃物をもつ相手に密着しにいくのは度胸が必要だが、下がれば追い込まれただろうし、利き手がわに回り込まなければつかまっていたかもしれない。
なかば体当たりしながらすれ違うことで距離を取り、そこでやっと武器を構える余裕ができた。
――速い、固いッ!?
イーリスは手応えに戦慄した。体が接触したにもかかわらず襲撃者はビクともしなかった、強い体幹の持ち主だ。
「先生! 大丈夫ですか!」
自分をかばわなければ負傷することはなかったはずだ。足を引っ張ったことを悔やみながら、ギュムはランタンを掲げて敵を照らしだした。
襲撃者は全身にマントを羽織い正体を隠している。
「――誰だっ!!」
答えない。ギュムなど眼中にないといった様子でイーリスと対峙している。
不意打ちで仕留められなかったことに驚いているようだ。
「家までけっこう歩くのに……」
負傷を抱えたイーリスの顔色がさえない、右足をベッタリと血液がぬらしていた。
襲撃者が戸惑っていたのはほんの数呼吸、ギュムが駆け寄る間もなく攻撃は再開される。
突き出された攻撃に合わせてイーリスが後ろへ飛ぶと二人の間でギンッと衝突音がした。
襲撃者の武器は短剣か。イーリスは武器を奪うべく切り上げを合わせたが、敵は武器を取り落とさなかった。
二撃、三撃、両手に備えた鉤爪による連撃をイーリスは巧みにさばく、そしてついにその腕を裂くことに成功した。
突き出された腕に沿って刃をザクザクと駆け上がらせる。
「そっちが悪いんだからね!」
と、なかば泣き言みたいな勝利宣言。
これで決着と思いきや、苦し紛れの反撃とばかりに襲撃者はイーリスの腹部に蹴りを炸裂させた。
――!?
信じられない怪力。彼女は軽々と宙を舞い、地面を転がる。
襲撃者の前腕を手首から肘あたりまで切り裂いたにもかかわらず、即座に反撃してきたことに驚きを隠せない。
慌てて立ち上がろうとするが、ついには失血による目まいでバランスを崩し地面に膝を着いてしまう。
――攻撃が浅かった?
致命傷を与えたはずの腕をなにごともなく機能させる姿に困惑し、相手が人ならざるものだと気付いたときには手遅れ。
――ちがう、瞬時に傷が治癒したんだ。
その気付きは彼女をあの世に送るのに十分な隙を生んだ。
襲撃者は駆け寄り、無力化したはずの右腕でイーリスにトドメの一撃を振り下ろした。
「――ガゥ!!」
刹那、横合いからケモノが飛び出してきて襲撃者の喉元に食らいついた。
「うおおおおおおおッ!?」
襲撃者を絶叫させているのはイーリスの飼いオオカミ、劇団の座長アルフォンスだ。
敵の首にがっちりと牙をくい込ませ、食いちぎらんばかりの裂傷を与える。
「なんで座長がここに……?」
ギュムのつぶやきに聞きなれた声が返答する。
「道中の話し相手にわたしが連れてきたのよ」
「エルフ姉さんまで!?」
「付き人があなたじゃ頼りないと思って迎えに来てあげたわ、感謝しなさい」
リーンエレが瞬間移動したかのようにスっとイーリスの傍らに寄り添うと、ギュムも慌てて二人に駆け寄る。
アルフォンスはフードの下にある暴漢の素顔を露にすると、牙をはなして軽やかに団員たちと合流した。
ギュムは襲撃者の正体に仰天する。
「なんだ、アイツ!?」
襲撃者は人間の胴体の上に野生動物の頭部を持つ怪物だった。
――オオカミ男だ!?
暗器と思われたのは肥大化した爪であり、イーリスのつけた傷はおろかアルフォンスのかみ傷さえ再生能力によってふさがりはじめている。
「狼のライカンスロープね」
ギュムはエルフ姉さんと襲撃者を交互に見た。
『ライカンスロープ』とは獣人のことだが、それを目の当たりにするのははじめてだ。
「…………チッ!」
舌打ち。オオカミ男は一同をジッとにらみつけ、増えた獲物とどう対峙するかを考えているようだ。
リーンは団員たちを守るように前進し、獣人に照準を定めるように手をかざす。
「相手になるわよ」
しかし、人狼は踏ん切りがついた様子で瞬時に脇道に逸れると一目散に逃走を開始した。
「姉さん、逃げた!」
リーンの姿にかつて三魔姫と呼ばれ帝国軍を恐れさせた力の片鱗を見たのか、それとも単に興味を失ったのか、どちらにしても獣人は森におけるエルフとの交戦を避けた。
「ほっておきなさい。それよりもイーリスの傷が深い……」
リーンは敵を追わなかった。
逃がせば目的も不明のままに憂いを残すことにはなるが、それができないほどにイーリスの容態は急を要していた。
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