第一章
第一話 ブームの到来
『劇団いぬのさんぽ』が『娼館パレス・セイレーネス』で初の公演をおこなってから、早くも半年が過ぎていた。
収支的にはとても盛況とは言えなかったが、あの夜の公演は東端の港町に、そしてこのパレス・セイレーネスにも多大な変化をもたらした。
しかし娼館裏の洗濯場には、今朝も変わらずギュムベルト少年の姿がある――。
「さあ、新しい一日の始まりに。パンツ、パンツだ! おれは今日も姉さんたちのパンツを洗っている。
くる日もくる日も、姉さんたちのパンツを洗うだけの毎日だ!」
小気味よく口ずさみながら大量の下着を洗っていた。そして、唐突にそれらを水桶の中に叩き込んで叫ぶ。
「もう、うんざりだッッ!!」
そんな彼の姿を同僚の娼婦ユンナが頬づえをついて眺めている。
「一度でてったのを雇い直してくれただけ、ありがたいと思ったら?」
「それはそうだけどさ……」
人生を劇的に変えたくて一念発起したのに、結局下働きからは抜け出せない。なんだか腑に落ちない気分だった。
「英雄や偉人にだって日常はあるって、当たり前のことじゃん?」
まだ幼い少女はすこし上の少年にそう説教した。
* * *
その頃、エントランスホールでは舞台稽古の最中だ。
「じゃあ、いったん休憩で」
演出家イーリスが手をたたいて役者たちに稽古の中断を指示した。
正直、『闇の三姉妹』の初公演はまったく儲からなかった。時間と労力を割いて赤字を抱えただけというなんとも報われない結果だ。
ところがその影響は舞台上の収支とはべつのところで発揮された――。
まず、娼館の客がエルフ姉妹を演じた三人に集中した。彼女たちには連日指名が入りリピーターであふれかえった。
演劇によって裸以外の魅力を見せつけられた男たちはすっかり恋に落ち、大人の時間が何倍も盛り上がったのだ。
作劇上の人物と混同して役名で呼ぶ客や、顔を合わせるなり泣きだしてしまった客も一人や二人ではない。
絶望的な戦いに身を投じたけなげな三姉妹は彼らにとってただの娼婦ではなく、特別な女性になっていたのだ。
しかしこれは娼館にとって憂慮するべき大問題。
なぜなら殺到する客を三人ではさばき切れずに取りこぼしてしまう上、他の娼婦たちがまったく稼げなくなってしまったのだ。
この不公平に納得するはずもない。娼婦たちがいつ殺し合いをはじめてもおかしくはないと、支配人マダム・セイレーンは『いぬのさんぽ』を専属雇用することにした。
そしてこの半年間、役者を入れ替えながら『闇の三姉妹』を繰り返し上演させたのだった。
「先生、私のキャスティングを変えてもらえないかしら……」
申し出たのは三女役を務める七人のうちの一人、シーリカという女優だ。
「えっ、突然どうしたの!?」
「だって、どんなに台本を読み込んでも、稽古に真面目に参加しても、皆がユンナのことばかり褒めるんだもの!」
「いや、あれはさぁ……」
ユンナはちっとも三女リーンエレらしくないのだが、その奔放な輝きは熱狂的なファンを獲得していた。
それは初演のアクシデントを引きずった結果でもあるので、女優的にはもちろん脚本家的にも複雑なものがある。
キャスト変更を打診してきた彼女は理詰めの性格で人一倍、細部にまでこだわって演じるタイプだ。
それをユンナが雰囲気でポーンと演じれば、初々しいという理由だけで絶賛される、それが苦痛のタネだった。
「私、そんなに魅力ない?!」
「……いや、ボクから見てもキミのリーンが一番本来の像に近いと思う。だから自信を持ってくれないかな?」
各グループのバランスという点でも変更は難しく、イーリスは親身になって説得した。
「もうイヤ! リーンなんて大嫌い!」
イーリスはシーリカ越しにエルフ姉さんをチラ見する。姉さんことリーンエレは、発言よちもその視線が不快。といった表情で答える。
「……気にしてないけど?」
演出家たるイーリスには役者一人一人と向き合う義務がある。良い公演をするためには彼女たちのパフォーマンスが存分に発揮できる環境を作ることが大事だからだ。
しかし、取り組む姿勢もバラバラな三十数名を一致団結させるのは難しい。
「もう、バカバカしくなってくるのよ!」
公演の評価が夜の稼ぎに直結することから、優劣を突き付けられているようで穏やかではいられない。
女優たちの不平不満は決定権を持つイーリスに豪雨のように降り注いだ。
「言い分はわかる。けど、ほら、全体のことがあるからね?」
基本的にルックスの大人びている者は長女、幼い者は三女に当てがわれている。
本来の三姉妹は外見に年齢的な差異は無く、スタイルもエルフ体型だったが、長女役などは豊満になりがちだ。
全員を配役しなくてはならない都合、七組もの三姉妹を用意しなくてはならず、どのグループの公演でも観客を満足させられるかとなるとシビアな作業だった。
「もう限界なのッ!! あのクソガキ、クビにしてよ!!」
* * *
絶叫は裏手の洗濯場にまで鳴り響いていた。
「あーあ、また誰か爆発したな」
洗濯係をしてこそいるが、ギュムは劇団をクビになった訳ではない。
稼ぎの少ない演劇とはべつに生活費を得るためには都合が良かったのだ。
娼婦たちの宣伝を兼ねた公演で男役を入れ替える意味はなく、ギュムたち男性陣は固定で全公演に出演している。
つまりリーン役の女優にとってギュムは皆のパートナーであり、独占するかのように付きまとっているユンナと折り合いが悪くなるのは当然だった。
「嫉妬、みっともなーい」
なにより彼女の態度が良くない。
「たのむから、みんなと仲良くやってくれよ……」
「知らないわよ、普段通りにしていることに文句を言われる筋合いないもの」
彼女からすれば演劇以前から一緒にいるのだから、改めさせられる言われはない。
「……たくっ、どうなっても知らないからな?」
ユンナが刺されるのとイーリスが過労死するの、どちらが先になるか賭けよう――。
雇われ警備兵ユージムの不謹慎な冗談を思い出して、ギュムはため息をついた。
この半年で『劇団いぬのさんぽ』の活動はかなり安定してきた。
初演こそ小規模だった『闇の三姉妹』が火付け役となり、いまや港町は演劇ブームだ。
旅芸人でにぎわった往来は劇団を名乗るグループであふれかえり、それぞれが『初代』だ『元祖』だとうそぶいては旗を揚げている。
『本家演劇集団・大帝国一座』と比べ『劇団いぬのさんぽ』のなんと慎ましやかなことか――。
「すみませーん!」
ギュムたちが稽古場の方に気を取られていると、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには身なりの良いドワーフが立っている。
ドワーフ族といえば総じてトレードマークの髭が顔面を埋めつくしているものだが、彼はそれをすっかり剃り落としていた。
「ドワーフだ」「ドワーフだね」
剥き出しのあごを異質に感じ、二人はなんとなくそれを口にだして確認した。
「正面をうろつくと余計な誤解を招きそうなので、裏口から失礼しまーす!」
ドワーフはこの国でもっとも人間との交流が盛んな亜人であり、帝国統治期から領土内に自治区を認められていた。
港町ではよくすれ違う種族であり、警戒するような相手でもない。
しかし、ユンナはスッとギュムの後ろに隠れると服の裾を握った。特定の知人以外の前では借りてきた猫の様におとなしい性格だ。
「はい?」と、ギュムが歩み寄ると、ドワーフは両手を広げて感動を表現する。
「おお、ギュムベルト少年。そして、そちらはユンナ嬢! 闇の三姉妹、繰り返し拝見しておりますが、お二人はとてもみずみずしく、ワたしがもっとも推したいカップルですぞ!」
そして友好の印とばかりに厚みが倍以上もありそうな大きな手のひらでギュムの手を包んだ。
人当たりにしても、どこか種族の印象からかけ離れた人物のようだ。
「あ、ありがとうございます」
芝居のことを褒められるのは素直に嬉しい。
「ねえねえ、推したいカップルだって」
耳元でささやくユンナを無視して、ギュムはドワーフに要件を確認する。
「それで、なにか用ですか?」
「名乗るのが遅れました。ワたしはウィリアム・ペルペトーラ・ジオ・チンチン伯と申します」
「えっ!?」
ギュムはその名前に聞き覚えがあった。やたら長い名前の人として印象に残っていたのだ。
「――じゃあ、あなたがあの!?」
彼こそ町で最大の規模を誇る大劇団『本家演劇集団・大帝国一座』の座付き作家であり、現在もっとも動員されている舞台『船乗りと乙女』の作者だった。
イーリスたちが演劇を発信した翌日にはあまたの劇団が誕生したが、よーいドンで始まった演劇競走において彼の作品こそは圧倒的支持を得て独走中だ。
まさに同業者の憧れの的であり時の人物を前にして、ユンナは首をひねる。
「……だれ?」
このへんがまた彼女がヒンシュクを買う一旦となっているのである。
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