第四話 殴られ屋と海の勇者たち


『娼館パレス・セイレーネス』は三十人程度の海賊たちによって占拠されていた。


彼らは海を隔てた北に浮かぶ孤島を支配するダラク民族の戦士たちだ。

大陸民よりも大柄で毛深く、身体的特徴から強い威圧感を放っている。


ギュムとニィハが出立した直後、彼らは立ち塞がる警備兵を殴り倒し正面口から大挙して侵入。

持ち場を離れていたユージムが機転をきかせ裏口から娼婦たちを逃がしたが、逃げ遅れてしまった数名がホールに拘束されていた。


娼館のエントランス部分ではマダム・セイレーンが海賊の頭領と睨み合っている。



「開店前だよ。とっとと出ていっておくれ」


ダラク戦士の中でも特別屈強な頭領と比べて、マダムはまるで枯れ枝のように頼りない。

それでも怯む素振りひとつ見せず、ならず者の集団に真っ向から立ち向かっている。


「そうカッカするなよババア! 満足すれば金だって払ってやる。

おまえたちは俺たちを楽しませればそれでいい。そうするべきだ!」


海賊の頭領は『偉大な陰茎』と呼ばれる男。


悪ふざけで呼ばれていた字名がサイクロプスを打倒した時に勇名へと昇格したらしい。


『陰茎』が『偉大』であることは誇るべきだと、ダラクの戦士は疑いを持つことは無かったし。

笑う者がいれば誇りに賭けてぶち殺した。


彼を慕う者たちは皆、『陰茎の兄貴!』『陰茎の親分!』と呼んで彼を盛り立てた。


そのまま若者の求心者となった彼を頭目に、三十名からなる『偉大な陰茎海賊団』が誕生したのだ。



「堅苦しいことを言うな! 客が来たら店を開けろ!

そんな融通の利かないことでは大陸一の名が廃るぞ!」


「生憎、うちはルールを厳守することで御愛顧いただいてるんだよ。

相手が何様だろうと、一切の例外は認められないね」


例外こそあったが『客は選ぶもの』というのがこの店の矜持だった。

大人しく従うとは思っていない。それでも、頭領の交渉中に勝手をする子分はいない。


マダムは身を呈して従業員の安全を確保していた。


「大した度胸だババア! だがな、交渉が決裂した時がババア! この店の最後だ。分かって楯突いたんだろうなババア!」


「うちの大事な娘たちを傷物にされたら困るんだ、指一本だって触れさせやしないよ」


「おいおい、どうやってババア! 触れさせないってんババア! ババアッ! コラっ、ババア!」


短気な蛮族相手にいつまでも時間稼ぎが続くワケもない。

もはや限界とマダムは覚悟を決める。


「――その代わり」


「その代わりぃ?」


条件を提示しようとするマダムに、『偉大な陰茎』は耳を傾ける。


「この私を好きにしなッ!!」


そう言って、マダムはその場に大の字になって横たわった。


沈黙が流れる――。



「…………なんだって?」


言葉の意味を理解できず、『偉大な陰茎』は子分たちを振り返った。うち一人が神妙な態度で答える。


「娘たちの代わりに自分を抱けと……」


『偉大な陰茎』は今一度、老女へと視線を向けて確認する。

マダムはその場に身を投げだして叫んだ。


「さあ、思うがままに貪りなッ!!」


――無法者たちが私に群がっている間に、あんた達は逃げるんだよ。


マダムは娘も同然の娼婦たちに慈愛の眼差しで訴えていた。


「やめてぇぇぇ!! ママに乱暴しないでぇぇぇ!!」


「ケダモノォォォ!! 老人相手だっておかまいなしってことぉぉぉ?!」


非難の声を上げる娼婦たち。困惑する海賊。


「いや、抱かねえよ?!!」


娼婦たちの切実な叫びは誤解を受けた『偉大な陰茎』を辱めた。


マダムは大股を開いて叫ぶ。


「さあ!! これが目当てなんだろう!!」



『偉大な陰茎』はついに激怒し、手にしたハチェットを振り上げる。


「うわぁぁぁぁ!!!」


それは雄叫びというよりかは悲鳴に近い。


巨漢の振るう凶刃がマダムの胴体を粉砕する。

そう思われた刹那。フワリと音もなく、一匹のオオカミが二人の間に割って入った。


その身のこなしは軽やかで、舞い降りたと形容するに相応しい。



「おお、これは立派な……」


海賊の口から感嘆の声が漏れた。


北国から下ってくる彼らにとって、オオカミは身近な動物だ。

親愛なる友種の登場に『偉大な陰茎』は武器を収めた。


「レディース!! アンドォ、ジェントルメーン!!」


『偉大な陰茎』がアルフォンスに見蕩れ、触れようとするのを遮る様に、女性の大声がエントランスホール全体に響き渡った。


全員の視線を独占する先には『劇団いぬのさんぽ』の三人組。

そして、訳も分からずに出てきてしまったギュムベルト。


「おい、こんな真正面から堂々と……!?」


軽率を咎める少年を無視して赤髪の女イーリスは続ける。



「名犬アルフォンスの一座こと、劇団いぬのさんぽで御座いまっす!」


口上に続きオオカミ使いぶりを見せつけるべく、イーリスは「アルフォンス!」と唱えた。


「…………」


しかし、愛犬はまったくの無反応。


「アルフォンス、来いアルフォンス!」


何度呼びかけても気高き獣はプイとして従わない。


「おいで」


しかし見兼ねたニィハが手を掲げると、アルフォンスは速やかにその傍らへと移動した。



「何者だ、おまえら!!」


オオカミに嫌われている女と好かれている女の登場は、海賊たちを色めき立たせた。


大男オーヴィルはどう見ても只者ではなかったが、一見して騒ぎを収集しに来た兵士の類にも見えない。


「我々はちまたで噂の『殴られ屋』にてございます。

本日この場に集いも集った勇者さま御一行に、一勝負を申し込むべく参上いたした次第」


赤髪の女はそう言うと、うやうやしくお辞儀をして見せた。

こなれた美しい動作が人目を惹き付ける。


「ほう、面白い」


『偉大な陰茎』は口角を上げて歓迎のムードを漂わせた。


仲間うちでの意見の衝突も殴り合いで解決する彼らだ。

最大の賛辞とされる『勇者』と呼ばれて悪い心地はしない。



「小難しいことはございません。素手による殴り合いでウチの力自慢と腕比べをして頂きたいのです」


「何を賭ける?」


『巨大な陰茎』の要望に応え、イーリスは貨幣の入った袋を掲げる。


「勝者には我々の全財産を。そして敗者には速やかに退去し、二度とここへは立ち入らないという約束を」


その額はたいしたこともない。彼女らが賃貸するボロ小屋の、たかだか一ヶ月分の家賃でしかなかった。


しかし、これは必要な手続きだ。


担保がなくとも海賊たちは決闘に応じるが、その場合は『名誉』を賭けることになる。

そうなればゲームとしては成立せず、殺し合いになってしまうだろう。


相手の納得する条件で、自分たちのフィールドに誘うことが肝要だ。


「代表者が負けたら全員出ていけと言うには、しみったれた賞金だな」


『巨大な陰茎』は不満を漏らした。


確かに、三十人で分配したら子供の小遣いにもならないだろう。

しかし『殴られ屋』のルールはそうではない。


「いいえ、賞金は勝者の総取りです」


「あん?」


バイキングたちは首を捻り、イーリスは説明を続ける。


「こちらが敗北するまで続けますので、負けた方からお一人ずつ御退場を」


それはつまり、一人で三十人全員を相手にすると言っているのだ。


「そんな無茶だ!?」と、叫んだのはギュムベルト。


しかし、その挑発でダラクの戦士はすっかり納得してしまっていた。



「ガハハハハ!! イカれた連中だ!!」


彼らは強盗団だが、勇敢さを至上価値としている。

正々堂々、一体一を申し込んできた相手を袋叩きにするような真似は信念に反した。


基本、ここへは楽しみに来ており。三度の飯より喧嘩を愛する連中だ。


「いいだろう! 楽しくいこうぜ!」


それすらも気分一つと言えたが、イーリスは巧みに彼らをコントロールし承諾を得ることに成功した。



「よほど腕に覚えがあるようだが、残念だったな。一番手はこの俺様だぁ!!」


様子見などしない。頭領である『偉大な陰茎』自らが先陣を切る。


「成立でよろしいですね!」


「ああ、さっさと始めようぜ!」


広いホールの中央に『偉大な陰茎』が陣取ると、海賊たちが机や椅子をどかして十分なスペースを確保する。


大男オーヴィルは簡易的な闘技場へと踏み込むと、肩を解しながら開始の合図を待った。


『偉大な陰茎』と『殴られ屋』が対峙すると、怪物同士の対立を彷彿とさせる。


海賊たちが決闘を煽る雄叫びをあげ始めた。



ギュムベルトはイーリスに警告する。


「正規軍の兵士が入口で伸びてたのを見ただろ、ちょっとくらい腕に覚えがあるからって無謀が過ぎる!」


オーヴィルという殴られ屋の男が酒場の酔っ払いを相手に、毎度十人かそこらでダウンしているのを知っている。

弱いとは言わない。しかし先日、自分の拳の前に屈した程度なのだ。


「殺されるぞ!」


しかし、イーリスに臆する様子はない。


「皆殺しのオーヴィルと言えば、西の方では有名人でね。ドラゴン相手でも安心して任せられるって」


「はあっ!?」


なんの冗談かと困惑するギュムを放置して、イーリスが開始を宣言する



「偉大なる海の勇者たちを相手に、ウチの力自慢はどこまで食い下がれるのかッ!!


正々堂々、いざ尋常に勝負開始ッ!!」


決闘の火蓋が切って落とされた。


最高潮に高まるボルテージ。血湧き肉躍る暴力の祭典に三十人の戦士たちが熱狂する。

対照的に、決闘中の二人は一切の物怖じをせず沈黙を保っている。


「……おかしら?」


皆がすぐに異変を察知した。開始の合図と同時に地に額を着いた『偉大な陰茎』が動かない。


状況を見れば明らかだが、納得するには時間がかかる。


――しばしの沈黙。


一瞬、儀式が始まったのかと思った。闘いを始める前の異国の作法なのかと。

しかし、『偉大な陰茎』は確かに白目をむいて意識を失っている。


「手を出せるってのは楽でいいよな」


オーヴィルが勝利を宣言した。


「おかしらぁぁぁぁぁぁ!!?」


海賊たちは怒声とも悲鳴ともつかない絶叫をあげた。

一撃だった。開始一秒、海賊の頭領は瞬く間に撃沈されたのだった。



「さあさあ、挑戦しない方は速やかに退去をお願いしますよ!」


イーリスが進行を務める。このペースで三十人を消化するつもりなのだ。


「次は俺だばぁぁぁ!!」


「はい、成立! 皆さん、スペース空けてね!」


乱闘に発展しないように上手に場を仕切っていた。


オーヴィルは上体をほとんど揺らしもせず。

足踏みするだけのボディブローで二人目を撃沈。


先に手を出させ、緩んだ腹筋に重い一撃を放り込んだ。

攻撃に意識を割いてる隙に突き刺さったダメージに、海の戦士は容易く地面を舐めた。



「つ、強い……」


ギュムベルトは半ば唖然としながら感嘆の声を漏らしていた。


『殴られ屋』は仮の姿だと言わんばかりに、オーヴィルは屈強なダラク戦士たちを蹴散らしていく。


無敵としか言い様がなかった。


彼がもし『殴られ屋』で本来の力を発揮した場合、挑戦者は即日枯渇し廃業していたに違いない。


程なく、屈強な海の勇者たちは全滅。約束通り『パレス・セイレーネス』を退去した。


娼館は窮地を免れ、マダムの貞操は護られたのだ。


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