第三話 まだ演劇のない世界
帰路に就く客人を送り届けるよう支配人に命じられ、ギュムベルト少年はニィハを連れ立って施設を後にした。
「市塲を直進でしたっけ?」
行き先の確認に対してニィハは恐縮しながらペコりと頷いた。
支配人室を出た直後、待ち構えていたユージムがここぞとばかりに詰め寄る場面もあったが、「前線に送るぞ」とのマダムの恫喝にあえなく撃沈。
雇われ警備兵はしぶしぶ持ち場へと引き返したのだった。
「ご足労おかけしますが、よろしくお願いいたします」
「外出はむしろ気分転換になります。実際、この辺りは物騒ですからね」
流通の窓口である港を要するこの街には多様な人種が行き来している。
取引の現場という事もあり、犯罪組織の人間だって多く紛れ込んでいるだろう。
どこよりも厳重な警備が敷かれているが、同時にどこよりも狡猾な犯罪者が潜んでいる。
「そう仰いますが、寄ってくるのは子供たちばかりです」
言って、ニィハは二人の間を並行して進むオオカミに触れた。
そのサイズは野生の中でも最大級のもので、膝を折ることなく頭を撫でつけることができる。
小柄なニィハなら跨っても支障がなさそうなほど逞く、暴漢がわざわざ噛み付かれるリスクを冒してまで彼女を標的に選ぶとは考えにくい。
「まるで犬みたいに扱っていますけど、オオカミですよね?」
ボディガード役のケダモノに言及すると、ニィハはフフと微笑んで答えた。
「名をアルフォンスといいます。飼い主が頑なに犬と言い張って譲らないものですから、団員もそのように扱っているのです」
ギュムが首を捻ったので補足する。
「――愛狼と呼ぶより愛犬のほうが馴染むのでしょう。一座の名が『劇団いぬのさんぽ』という都合もあります」
「はあ、なるほど……」
どうやら団体名にあつらえて犬と位置づけているらしい。
――それにしても『劇団いぬのさんぽ』とは……。
志の低そうな団体だな。というのが率直な印象だった。
「規模はどれくらいなんですか?」
「まだ旗揚げしたばかりで、団員は私とアルフォンスを含めた三人と一匹です」
一座から連想するには少ない。
パレス・セイレーネスならば抱えている娼婦だけでも十倍が在籍しており、その他の従業員を含めたら更に大所帯だ。
「活動内容は『物語の実演』そう言って伝わりますかし――。どうかなさいまして?」
先程からギュムの視線がキョドキョドと泳いでいることをニィハは指摘した。
「いえ? 別に、なにも……」
マナーに準じているつもりなのだろう。彼女はよく相手の眼を見て言葉を発した。
しかしその飛び抜けた美貌ゆえ、直視してくる瞳を真っ向から受け止めるには相応の胆力を要する。
少年にはそれが照れくさい。
「失礼ですが! ニィハさんって、歳はいくつですか?」
「十八です。見えませんかしら?」
三つ上の女性、手強い相手だ。しかし三つ下のユンナがあれだけ物怖じしないのだから自分も腰が引けてる場合ではない。
ギュムは思いきって申し出る。
「あのっ、タメ口でいいですか? 育ちが良くないもんで……」
慣れない敬語を使うから緊張するに違いないと、打開策に打って出た。
「構いませんわ。どうぞ、自然に振舞ってくださいな」
「わ、わかったぜ、自然に振る舞うぜ……。んー、いい天気だぜっ!」
「まあっ、ワイルドですわ」
強がったところでやはり視線を合わすことはできない。
――あなたのあまりの美しさに取り乱しているんですよ。
頭半分低い位置からジッと見つめてくる大きな瞳に、心の声が映り込んでしまうような気がして恐ろしい。
かといって、顔を見れない方がよっぽど狼狽えて見えるだろう。
――そうだ、瞳以外を見て話せばいい!
思い立って視線を落とすと艶やかな唇に動揺し。
――いかん!
と、更に視線を落とせば。意外と存在感のある胸部に頭が茹だるのだ。
彼女は頭の先からつま先までが眩しかった。
「逃げ場が無いッ!」
「まあ、何かに追われてらして!?」
「違うんだぜッ!!」
――べつに乳房とか見慣れてっから!
叫び出したい衝動を必死で抑え込んだ。
――どうしたんだおれ! 一体どうしちまったんだ、おれよっ!
「もしや気分が優れないのでは?」
「だっ、大丈夫! ぜんっぜん平気!」
案じてくれるニィハを制し、慌てて話題を本題へと修正する。
「ええと、なんだっけ、物語の実演……。吟遊詩人的なサムシングでしょう?」
『吟遊詩人』とは情報伝達の第一人者とされた楽士たちだ。
読み書きが普及するまで伝達は口伝頼りであり、長話をもたせるのに楽器の力を利用した。
彼らの語る物語は人々をおおいに楽しませたものだった。
現在は読み書きが進んだことで伝達の手段は多様化し、独自性の薄れた吟遊詩人は廃れて久しい。
情報共有は読書や井戸端会議で賄われ、弾き語りによる集金能力は著しく低下。
楽士の仕事は主に冠婚葬祭などイベントでの演奏に限定されていった。
楽士たちは新たに活躍の場を開拓し始ると、ジャグリングやナイフ投げなどの大道芸で注目を集めるようになる。
そんな経緯から人前でパフォーマンスをする者は細分化されたが、総じて『吟遊詩人』に分類されている。
「物語を話して聴かせるのではなく、再現して目の当たりにさせることを演劇。演劇を生業とする団体を劇団と呼びます」
「はぁ、再現して目の当たりに……?」
説明を聴いてもギュムにはいまいちピンと来ない。
この世界にはまだ『劇団』という存在は認知されておらず、それを名乗ったのは彼女たちが初めてなのだから。
世界初にして唯一の演劇集団――。
そして三人と一匹のそれは実績どころか、まだまともに機能すらしていなかった。
「この町は芸人さんたちの出入りも活発ですので、アルフォンスを連れていても問題はないみたいです」
吟遊詩人にしてもそこから派生した芸人たちにしても、人の集まる場所を目指すのが道理だ。
彼女たちも一花咲かせる為に訪れた流しのパフォーマーなのだろうとギュムは納得した。
しばらく雑談をしながら歩いていると、市場を抜けた辺りで二人は武装した男たちに呼び止められる。
「そこのおまえ、止まるんだ」
国軍派遣の警備兵に従い二人は足を止めた。
「お務めご苦労さまです。何か御用でしょうか?」
オオカミ連れを咎められるのかとニィハは弁明の構えをとったが、どうやらそうではないらしい。
兵士たちはニヤリと笑う。
「旅芸人だな。一時滞在者からは税金を徴収する決まりだ、払ってもらうぞ」
高圧的な態度で唐突に金銭を要求しだした。
それは末端の兵士がその日の酒代を得るための常套手段、余所者を狙った恐喝である。
完全な不正であったが、難癖をつけられ投獄などされてはたまらないと、行商人などは承知の上で金を握らせたりした。
そうしておけば、いざトラブルに巻き込まれた場合の立ち回りが有利になるといった利点もあった。
同業者と場所取りで揉めた時など、一方的に味方をしてくれるだろう。
しかしそれは副業の強盗であり、法律でも無ければ義務でもない。
「ニィハさん、そんな連中の言うことなんか聴かなくたっていいよ」
ギュムは不正に対して憤りを覚えたが、是正される見込みがないので無視する他になかった。
「小僧。我々への反抗は国家への冒涜と見なすぞ!」
兵士は太い腕で乱暴にギュムの胸を突いた。たまらず転倒する。
「痛ってぇ!?」
「ギュムベルトさん!」
しかし、ギュムは引き下がらない。即座に立ち上がるとお返しとばかりに兵士の肩を突き返した。
「権力を傘にきてチンピラ以下の恐喝に勤しむ方が、よっぽど国家への冒涜だと思うね!」
「貴様ぁぁぁ――!!」
ワオオオオオオオオ――。
ギュムの顔面を警備兵の拳が殴打する刹那、険悪な雰囲気を察知したアルフォンスが遠吠えをあげた。
美しい獣は揉み合いになりかけた一同の視線を集める。
ニィハはアルフォンスを手で制しながら、ギュムを警備兵から引き剥がした。
「乱暴はおやめ下さい!」
凛とした一声は上役を彷彿とさせ、兵士たちを困惑させた。
彼らはそこで改めて、フードの下の面差しが只者ではないことを察する。
「……失礼ですが、どちらの御息女であられますか?」
獣を連れていることから芸人だろうと因縁をつけたが、高貴な人物だとすれば問題になりかねない。
危機感を覚えた兵士たちは今更下手に出はじめた。
「わたくしは一介の旅芸人ですが、取り立てについては隊の責任者から事情を伺いたいと存じます」
恐喝など茶飯事だが、知れれば当然咎められる。
相手が寄る辺もない下民ならば暴力にものを言わせる所だが、もはやその判断はつかなくなっていた。
「隊長は忙しい。どこにおられるか分からん」
「では駐屯所に直接支払いに参上いたします。
あなた方のお名前を伺ってもよろしくて?」
「いえ、もう結構です。忘れてください」
横柄な態度はすっかり也を潜め、立場は完全に逆転していた。
その様子を、いつの間にか部外者になっていたギュムがキョトンとした顔で見ている。
そこへ、一人の少女が駆け込んで来る。
「兵隊さん! 助けてください! ――って、あんた何してんの?」
その少女は娼館の幼なじみユンナで、ギュムベルトとの予期せぬ遭遇に驚いていた。
「いや、それより。助けてくれってどういうことだよ?」
彼女の穏やかではない様子にギュムは説明を促した。
「海賊たちが押しかけてきて、店が占拠されたのよ!」
「はあっ? 警備はなにをしてたんだよ!」
想定外の一大事にギュムは度肝を抜かれた。
「相手は数十人もいて、とても歯が立たないわよ! それに、あいつら相手に手なんか出したらどうなるか!」
略奪目的でもない限り彼らはただのならず者だが、いざ衝突となればどんな軍隊よりも恐ろしい。
命知らずの勇猛さを発揮し、徹底的に交戦する。町は途端に火の海となるだろう。
「ユージムがわたしを裏口から逃がしてくれて、それで援軍を呼びに来たの!
ねえ、兵隊さん。なんとかしてよ!」
「……我々に判断できることではない。まず、上に指示を仰がなくては」
兵士たちは旗色が悪そうに口ごもり、対してユンナは怒りをあらわにする。
「はぁあっ!?」
とんだ臆病者だと罵りたいところだが、数名が救援に向かったところで焼け石に水なのは確かだ。
「奴らが上陸したのは分かってたんだろ? なんで野放しにしてるんだよ!」
ギュムは兵隊を責めたが、苦情を言ったところで問題は解決しない。
「それでは、任務中ゆえ我々は失礼する!」
追及に耐えかねたのか兵士たちは敬礼を残してそそくさと立ち去って行った。
逃亡ではなく、職務を全うしに行くのだとのアピールに余念はない。
「あっ、待てこの役立たず!! ――って、どうしよう……」
当てを失ったユンナが失意のあまりその場にへたり込んでしまう。
こうしている間にも、ならず者たちは空の酒瓶を量産し、従業員たちを危険にさらしているに違いない。
「なにかトラブル?」
寄る辺を失い途方に暮れる一同に、外野から男女の二人組が声をかけてきた。
赤髪のラフな印象の女性と、もう一人は二メートルにも迫る大男。
ギュムはその二人に見覚えがあった。先日に挑戦した、あの『殴られ屋』の二人だ。
「二人とも、どうしてここへ?」
ニィハの反応から、この二人がどうやら一座の人間らしいことが判った。
筋骨隆々とした大男はオーヴィル。赤髪のスラリとした女性はイーリスを名乗っている。
それにオオカミのアルフォンスを加えた三人と一匹こそ、『劇団いぬのさんぽ』の全メンバーだ。
ニィハの質問に赤毛のイーリスが答える。
「そこの市場にいたんだよ。そしたらアルフォンスの声が聴こえたからさ」
二人はアルフォンスの遠吠えを聞き付けて参上したのだ。
「よしよし、偉いぞぉ、アルフォンスぅ――。て、痛い痛いっ!」
頭部を撫でつけたイーリスの腕にアルフォンスが噛み付いた。関係はあまり良好ではないようだ。
「彼らのお店が海賊に占拠されたって」
ニィハからざっくりとした説明を受け、大男がしかめ面になる。
「アイツら悪気もなくそういうことするからな」
「悪気のない施設占拠とかありえる!?」
大男オーヴィルの解説に赤髪のイーリスは驚きの声をあげた。
「そういう連中なんだよ。他人の家に押しかけて、跡継ぎが産まれたから家財を貰っていくぞとか。
初対面の相手にも、せっかくだからうちの娘を抱いていけと言ったりだとか、独自の文化を強行して引き下がらないんだ」
ルールを破るというよりは決して譲らず、どこに行ってもいつも通りに振る舞う。
そして、意見の衝突は腕っ節で解決するのが彼ら不変のルールだ。
「酒をたかりに来たなら、きっと良いことでもあったんだろうな」
「タチが悪いっ!」
海賊の習性を知らされたイーリスが悲鳴をあげた。
オーヴィルの言う通り、ここでの海賊とは北の孤島に独自の国家を築く他民族のことだ。
島で取れるものが限られていることから、出先で略奪することで発展してきた。
奪うことで国を救う――。
彼らにとっての略奪は聖戦であり、生活苦から盗賊に身を落とした軟弱な陸の盗賊たちとは訳が違う。
兵隊たちの消極的な態度は、相手がただのならず者ではなく誇り高き海の戦士であることが原因だった。
いざ力づくとなれば相手は本気で抵抗し、どれだけの犠牲者が出るか分からない。
兵力差がどんなに歴然としていても、彼らは勇猛に立ち向かうだろう。
それを鎮圧するにはかなりの戦力を必要とし、戦地でも城下でもない街で即座に用立てられるはずもない。
旅人を恐喝して酒代の足しにしてるような腰抜け連中には荷が重かった。
「とにかく、俺は戻って様子を見てくるよ。ユンナはそのまま助けを呼びに――」
ギュムたちからしたら雑談などをしている場合ではない。なんとかしなくてはと気持ちが焦る。
「そんなこと言ってもわかんない! 誰を頼ればいいの?!」
警備隊があの有様で、誰がならず者の集団を追い払ってくれるというのか。
例えどんな悲劇に見舞われようと、海賊たちが満足して帰るのを遠巻きにして待つ。それだけが被害を抑える方法だ。
しかし、それは当事者たちにとって絶望的な選択だ。
「どうしよう……!」
ユンナはついには泣きだしてしまう。
ニィハは彼女の背中を摩りながら、仲間たちを振り返る。
「なんとかできないかしら?」
イーリスはオーヴィルと視線を交換すると、軽い調子で言い放つ。
「今日の『演目』は、売春宿で海賊退治かな」
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