◢一幕二場 パレス・セイレーネス


白昼、宮殿然とした外観の施設を二人の男が眺めていた。


「アニキ、ここが例の店なんだね!!」


「おうよ、世界一の売春宿に来た気分はどうだ!!」


弟分の名はラドル。

兄貴分の名はシェパド。


着古した冒険着に使い古したかばん、腰には安物の剣をぶら下げている。彼らは冒険者を名乗るフリーランス、いわゆる無職の二人組だ。



「おい、ここは貴様らのようなゴミが近寄って良い場所ではない。高貴な方々の目に触れぬよう、速やかにゴミ溜めに帰りたまえ」


高級店に似つかわしくない野次馬を追い払うべく、二人の前に警備の男が立ち塞がった。


『パレス・セイレーネス』は貧民が気軽に利用できる価格設定の店ではない。厳選された娼婦による洗練されたサービスの提供が約束された貴人の遊技場である。


任務中の軍人などには優遇措置がされ、その見返りとしてプロの警備が常駐している。

客を選ぶことこそ治安を守ることに繋がる。そういう理念の施設なのだ。


しかし、彼らは物見遊山で冷やかしに来た訳ではない。兄貴分シェパドは警備兵に食ってかかる。


「馬鹿野郎! てめーっ、新入りだな! マダム・セイレーンを呼べ、オレサマが来たっていやぁ通じるからよお!」


そう啖呵を切るなり親指でビシッと自らを指さした。


「すげーやアニキ、支配人と知り合いなんだね!」


弟分のラドルは兄貴分シェパドが大物と懇意であることに感動した。その言葉に偽りはなく、二人は支配人室へと招待されたのだった。


しかし、その対応はラドルの想像していたものとは少し違っていた。



「来たぜ! マダム・セイレーン!」


「来たぜ。じゃないよ、帰りな」


支配人の第一声は冷淡な敵意が剥き出しだった。


マダム・セイレーンは老齢に差し掛かった女性だ。

人売りの元締めという業の深い人物だが、女性軽視の時代に『買う』のではなく『頂く』という女性上位の価値観を成立させた女傑の風格があった。


「そりゃねーだろ。今度は踏み倒したりなんてしねーよお」


知人を名乗るもおこがましい。シェパドは度重なる踏み倒しで顔を知られた迷惑客だった。


「二度と敷居を跨ぐんじゃないよ、話はそれだけだ」


「おいっ! この糞ババ――!?」


威勢よく突っかかったが、マダムが立ち上がるなり態度が一変、シェパドは途端に弱腰になってしまう。


「ちょちょっ、待て、謝る! 謝るって!」


猛獣を遠ざけるように両の手を突き出して宥めた。

大の男が老女に凄まれてたじろぐだけでも滑稽だったが、シェパドは形振り構わず説得を開始する。


「『第七回魔王討伐作戦』の話は知ってるだろ! 麗しきマダム・セイレーン!」



第七回魔王軍討伐作戦。義勇兵募集――。


往来の掲示板に告知が大々的に張り出されている。『魔の森』に巣食うダークエルフ殲滅を目的とした兵士の増員、明日はその集合日だった。



「まさか、あれに参加するつもりなのかい?」


「おう、そのまさかよ! 世紀の決戦前日。景気付けだってんで、かわいい弟分を連れて来てやったぜ!」


マダムは心底哀れたという表情で若者たちを眺めた。


「なんて愚かな子だろうね……」


前回の作戦は十年も前か、軍隊は『闇の三姉妹』たちの前に全滅し。指揮官だけがみっともなく逃げ帰ったという話だ。

家族を失って悲嘆にくれる者、延々と咽び泣く者。当時の光景はマダムの脳裏にも焼き付いている。


「――冥土の土産と言われちゃ無碍にもできないか」


マダムはため息交じりに施設の利用を許可した。


「死ぬつもりなんて更々ないが、解ってもらえて嬉しいぜ! なあ、ラドル!」


「えっ? ……う、うん」


支配人の温情を獲得し大はしゃぎのシェパド。ところが、弟分が乗り気ではない。



「どうした、ラドル?」


「ははっ、おれはいいや。アニキだけ楽しんできて……」


ラドルは童貞だ。ノリノリで便乗したは良いものの、いざ女性を買う段階となった途端に怖気付いてしまったのだ。


しかし、それでは面白くない。


「おいおい、誰の金で遊ぶと思ってんだ?」


支配人に引き続き、今度は弟分を説得しなくてはならないようだ。


「いや、おれの金だけど……」


「だったら遠慮はいらねぇ! 魔族どもをぶち殺しゃあ一躍大富豪まちがいなし、何倍にもなって戻ってくるさあ!」


シェパドはびた一文払わない。二人で稼いできた取り分のうち、倹約家のラドルだけが貯金を残していたからだ。

明日には死骸か英雄かという状況で、残しておいても仕方がない。


――前祝いにパーっと使おうぜ!!


浪費家の兄貴分はそう言って弟分を説得してきた。


「……そうか。うん、そうかも」


「大丈夫だ! 問題なしだ! ぜんぶオレに任せとけ!」


「わかった、アニキに任せるよ」


数分後、全てを委ねたことをラドルは心底後悔することになる――。




案内されたのは見たこともない煌びやかな一室。大陸中に娼館数多あれど、これだけの設備を有する店は珍しい。

貴族が浸かるような浴槽にキングサイズのベッド、締め切った暗室をランタンの薄灯りがいかがわしく演出している。


ラドルはその場違い感からとてつもないプレッシャーに襲われていた。


知らない空間に。

知らない女性が来て。

知らない行為を繰り広げる。


――こ、怖い。


会話を交わすことすら苦手な異性を相手に肌を重ねることに抵抗がある。

手練た客と比べられ、あざけられるのが恐ろしかった。


「笑われたらどうしよう……」


ラドルは頭を抱えた。


期待どころか憂鬱さに押し潰されそうになっている。

ついには逃げ出そうと決意を固め、腰を浮かべるや外から扉がノックされた。



トントン――。


「入っていいかしら?」


まるで死刑宣告。なんてことのない一言に、ラドルは心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けていた。


「駄目ですっ!!」


反射的に拒絶したが、娼婦は「は?」と首をかしげると、遠慮なく戸を開けて踏み入ってきた。


――舌を噛んで死ぬしかない!


「はじめまして、よろしくね」


間一髪、自害しかけたラドルを正気に戻したのは娼婦の姿だった。

流れ落ちるような彼女の長髪から象徴的な『長く尖った耳』が飛び出している。


「……え、エルフ?」


童貞を驚かせたのは裸同然の衣装ではなく、彼女が異種族である事実。


「そうよ」


「この店にはキミみたいな娘がたくさんいるの……?」


エルフの娼婦は首をかしげた。種族を確認されることには飽きているが、それ目当ての客だと思って来たので、彼の反応は予想外だ。


その質問は落胆から出たものだった。


「エルフ族という意味なら一人だけよ」


「そうなんだ……」


初体験の理想としては気心の知れた女友達か近所の憧れのお姉さんか、どちらにしても恋をして望んだ相手と結ばれることに憧れていた。

それが叶わずに娼館を利用するのは自らの不徳として、異国人相手にも尻込みするものを『異種族』ともなれば抵抗があって当然だった。


――そんなの、とんだ変態野郎じゃないか……。



「ガンガン攻めるから受けに徹しろとオーダーを受けているのだけれど――」


「ええっ!!?」


ラドルの意など解さずにエルフの娼婦は準備を始める。


「道具はなにが必要かしら?」


彼女の手荷物には乗馬鞭から猿ぐつわ、刃物、鈍器、そして救急道具などが持参されていた。


「いらない、いらない!? なんの為の道具なの、決闘?!」


受付は全てシェパドに任せていた筈が、何故こんなコトになってしまったのかと頭を抱える。

それはけして嫌がらせでは無い。ダークエルフ討伐に出撃する前にエルフを征服することで精神的優位を得ろ。という兄貴分の心使いだった。


「スパルタがすぎるよ……」


冒険者稼業でこれまでも幾度となく窮地に陥ってきたが、これほどまでに追い詰められたことはない。


「なぜ、服を脱がないの?」


「脱いだら見えちゃうじゃん!!」


その返答にエルフは訝しげな表情を浮かべた。この人間は、何かおかしいぞと。


「べ、別に、キミに非があるとかじゃあないんだけど……!」


さすがに人間以外に欲情できる訳がない。


確かにエルフ族の外見は美しいと言えた。人間の平均値と比べてはるかに水準が高い。

しかしそれは異質なものだ。パーツの一つ一つが鋭角で胴体の起伏が無く、関節は節が立ち、透けるような肌はどこか現実感が無い。


セクシャリティの欠落した美術品のような美しさだ。


人型をしているからこそ、その差異は強烈な違和感を放っていた。それを不自然と感じることはいたって正常な感性のはずだ。



「人間のオスは家畜だろうと木の虚だろうと、産まれたばかりの我が子にだって挿入すると聴いているわ」


「そんなの一部の人だけだよっ!?」


対象を選ばないという指摘をラドルは否定したが、それは無意味な証言だ。彼女こそ人間が異種族を性のはけ口にしている事実の体現者なのだから。


「一部って何人くらいかしら。百人に一人だとして、何千万人がそうするの?」


行動に移すかは別として、そういった嗜好を潜在的に持つ者はきっと少なくはない。

十人に一人くらいか、たとえ千人に一人だとしても少数種族であるエルフ族を総ざらいするに十分な人数だ。


彼女たちから見れば、もはや特殊性癖で済む数ではない。


しかし、ラドルの主張はもっと幼稚な段階だった。


「やっぱり、こういうことは愛し合う同士でですね!」


「……あなた、いったい何をしに娼館を訪れたの?」


もっともである。


ここは性交渉を目的とした場所だ。一向に距離を詰めてこない少年にエルフは困惑し、物憂げにため息をついた。


「人間はなぜ性行為と愛を同列に語りたがるのかしら? 別の概念であることを証明しているのは人間自身の見境のなさなのに。

愛と射精は別のものでしょう。あなたが毎日自慰をしているように」


「毎日はしてないっ!!」


家畜にだって発情の周期があるというのに、人間は常に発情している動物だ。その性事情はエルフにとって理解し難いものだった。


つい本音が漏れてしまう。


「気色わるいわ……」


「そういうプレイはオーダーしてませんよね?」


辛辣な罵倒にラドルは悲鳴をあげた。



「そんなにエルフが嫌い?」


「いいえ、あなたの人間嫌い程では……。とにかく無理しなくていいから、適当に寛いで帰ってもらえますか?」


無理しなくて良いよ。と、取り繕いながら。ラドルは異種族に対する抵抗を理由に望まぬ初体験を回避しようとした。


しかし、その発想も人間特有のものだ。


「困ったわ……」


「な、なにがです?」


彼女がここに居るのは強制ではなく自発的なものである。

変化を嫌うエルフにとって、此処での生活は人間社会にいながら決まったサイクルを過ごせる希有な場所なのだ。


彼女にとっては身体を売ることより、毎日違うことをして過ごすことの方が遥かに苦痛だった。

エルフ族は森に棲息し文明などの革新からは遠ざかった生活をしている。怠惰からではなく、状況の保存を積極的に目指しているからだ。


サービスを与えて賃金を貰うサイクルから逸脱することも同様、楽をしたいのではなくいつも通りにしたいのだ。

慣れてくれば人間は上手に手を抜くことを覚える。しかし、エルフは手を抜かない。彼女のサービスは丁寧なことで評判だ。


そして人気が出ようと一日の客を増減したりはせず、毎日しっかり定数の仕事をこなしている。


他種族に尽くすことに屈辱感はない。そういった介助が不可欠な『動物の世話』を仕事に選んだという認識だ。

不完全で不便な動物だなと見下しながら。



「わたしの身体で射精をしなくても、結局は日課としての自慰をするのでしょう。何故わたしとの交配を拒んでまで頑なに自らの手による射精に固執するの?」


「なにか誤解をされているようですね――」


けっきょく自慰はするのだが、なんでかその決めつけは不本意だった。


少年は反論する。


「当たり前のことですよ。犬と猫が交尾をしている姿を見たことがない。差別とかではなく、健全と思えないんです」


「人間と羊の交尾なら見たことがあるわ」


ラドルの言い分は即座に論破された。


「こんな所でなに言ってんだって思われるでしょうけど! おれはちゃんと人間に恋をして、愛し合いたいんです!」


「変わっているのね」


「普通じゃないかなっ!?」


ラドルは何もしたくない。エルフは職務を全うしたい。議論は平行線だ。



「……提案があるわ。あなたが払った賃金に対する代価として、わたしに贈り物をさせては貰えないかしら?」


エルフの娼婦はしばし思案すると譲歩案を示した。

手荷物の中から指輪を一つ取り出し、それをラドルに差し出して見せた。


飾り気の無い簡素な指輪だ。金銭的な価値があるようには見えない。


「大人しく帰ってくれるなら、まあ、何でも受け取りますけど……」


「呪いの指輪よ」


ラドルは触れかけた手を引っこめる。


「なんだって、そんな物を寄越すんです?!」


不穏なワードからはありがたみなど微塵も感じられない。しかし、それは非常に貴重な一品。強力な魔具だ。


「戦争に赴くあなたを護ってくれるかもしれないわ」


事実、それはエルフが護身用に持ち歩いている最終兵器だった。効果を考慮すればとても金銭に変えられるような品ではない。

献上する理由があるとすれば、裸同然の現状ほかに価値のある贈り物が思い当たらないということと、幼い彼の命を儚んだ上での情けといった所か。


「じゃあ、ありがたく受け取ることにするよ」


場が収まるのならばと、ラドルは半信半疑でそれを受け取ることにした。


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