第ニ話 運命の出会い
マダム・セイレーンの呼び出しに応じる道中、ギュムベルト少年は警備兵に呼び止められる。
「おーう、ギュムベルト。支配人室になにか用か?」
警備兵の名はユージム。
娼館が提携している軍隊から派遣されて来ている一人。女だらけの環境においてギュムとは年若い男同士の気安い関係である。
「おまえこそ、こんな所でなにしてんだよ。勤務中だろ」
ユージムの主な仕事は外周の見回りだ。
彼の勤務態度はもともと誉められたものではなかったが、それ以上に下っ端が支配人室の前を行き来するのは極めて不自然なことだった。
「ああ、どうせなにも起きやしないさ。気を張ったところで効率が上がるわけでもなし、無駄に疲れるだけだしな」
『パレス・セイレーネス』は富裕層向けの施設だ。弁えた客が多く、特に昼間の警備は退屈を極めた。
中には行き過ぎたストーカー事件などもあるにはあるが、酔っ払いや不審者などの排除にプロが手を焼くこともなく、軍隊の保護下にあるという事実さえ周知されていれば十二分に平和だった。
それゆえ手柄とは無縁の環境であり、彼のような出世欲の希薄な人物が左遷、もとい派遣されてくるのが通例になっている。
「そんな態度だから、とうとうクビでも言い渡されたのかと思った」
多くの業務を抱えるギュムならばいざ知らず、一警備員と支配人室前で出くわす理由は不祥事による説教くらいしか思い当たらない。
「いや、珍しい客人が来ていてな。気になってチラッと様子を見に来たんだが」
不真面目な警備員はそう言って背後の支配人室を振り返った。
訪れたまではいいが、さすがに室内をのぞくまでには到らなかった様だ。
ギュムはユージムの指し示した方向へと目を向ける。
「客人……って、うおっ何だあれ!?」
ユージムの指した方向を見てギュムは驚愕した。支配人室の前に『獣』が陣取っているのだ。
犬にしては大柄で、鼻筋の通った野性的な面差しから一目でオオカミであると判別ができた。
海沿いの港街には珍しい獣だ。紛れ込んだはずもなく、客人が連れ込んだのだと想像できる。
オオカミは壁沿いに伏せてジッとしている。
「おおっ、でけえ!」
などと言うギュムの声は少年らしい好奇心に満ちていた。
「よく躾けられてるんだな。噛み付いたりはしないようだ」
任務放棄して野次馬をしに来るだけのことはある。オオカミを連れての来訪とは、いったいどんな人物なのだろうか。
「サーカスでも来てるのか?」
「いやー、見たら驚くと思うぜ」
それが何を意味するのかは分からないが、おのずと期待値は上がってくる。
どうやら普通ではない来客があり自分はその関係で呼び出されたのだ。
怖いもの見たさに心を踊らせながら、ギュムはオオカミを避けながら支配人室のドアへと手を伸ばした。
「おい、入るのか?」
「呼び出されてるからな」
ユージムは期待に満ちた表情をする。しかし持ち場を離れて来ている以上、厚かましく便乗する訳にもいかない。
「ああ、クソッ。客人の案内とか命じられたら俺を推薦してくれよな!」
「えっ、ああ……」
やる気のない警備兵がやけに積極的なことに首を捻りながら、ギュムは支配人室のドアノブに手をかけた。
ギュムは雇われ警備員を廊下に置き去りにして支配人室へと足を踏み入れる。
「ママ、呼んだ?」
室内にはマダム・セイレーンと客人が一人、センターテーブルを挟んで談笑をしていた様だ。
「と――」
ユージムが浮き足立っていた理由をギュムは瞬時に理解した。来客は美しい女性だったのだ。
高級娼館で美女に囲まれて育ったギュムから見ても、それは異質の美しさ。
佇まいからは高貴さが漂っており白銀色の髪がまるで異世界の存在感をまとっている。
眩しいほどの透明感から豪奢な支配人室さえ色褪せて見える程だ。
目利きのできる馬番が初めてユニコーンに遭遇したかのように、女性を見飽きているギュムですら見とれて言葉を失っていた。
「ああ、ギュムベルト。ちょうど良いところに――」
「えっ、この娘。うちで働くのッ!?」
われに返ったギュムは支配人の言葉を遮って素っ頓狂な声をあげた。
「客人に失礼をするんじゃないよ!!」
「あ、いや、ごめん……」
マダム・セイレーンの叱責は高齢とは思えないほどの迫力だ。大陸一と名高い娼館を仕切っているだけはある。
美しい客人は雑用係の無礼に気分を害すこともなく、わざわざ立ち上がって深々と頭を下げた。
「ニィハ・マルルムと申します。どうぞ、お見知り置きを」
「あ、ギュムベルトです。こちらこそよろしくお願いいたまし、ますっ!」
下働きには到底向けられることのないご丁寧なあいさつに、ギュムは連られてかしこまった。
二人があいさつを交わすと、マダム・セイレーンは立ち上がる。要件はすでに済んでいるらしい。
「さあ、お客人がお帰りになられるよ」
ギュムベルトはマダムに尋ねる。客人の要件と、自分が呼び出された理由とをだ。
「なんだったの?」
「うちの玄関スペースを借りたいんだとさ」
エントランスホールは施設の受け付けに面する待機スペースであり、飲食などをしながら娼婦を物色するスペースだ。
行為は個室に移動して行うが、高級酒場さながらのホールで時間をつぶす者も珍しくはない。
マダムの解説をニィハが補足する。
「本日は条件の確認に伺っただけですので、お手数をお掛けしました」
結論、それは不可能だった。
単にスペースの借用というだけでは済まない。娼婦たちの営業を制限してしまう上に、飲食提供による収支も滞ってしまう。
それらを補填しようとすれば相応の額になってしまい、ニィハ側にそれだけの持ち合わせはなかった。
「『劇団』だっけ? 乞食みたいなまねをするよりウチで働くことを薦めるよ。
芸人なんかやらなくても、あんたならすぐに宮殿を建てられるさ」
お世辞ではない、金を積んで抱けるなら糸目をつけない男はいくらでもいる。彼女はそれだけの美貌の持ち主だ。
「お褒めに預かり光栄です。必要が訪れた際には検討していただけるとうれしいです」
散々された勧誘をニィハはやんわりと断った。
「さあ、ギュムベルト。お客様を送ってさしあげて。こんな美人が一人で出歩くだなんて、自殺行為だからね」
都市のただ中ではあるが往来での誘拐が皆無とは言いきれない。
流通が盛んなこの港町には雑多な人種が出入りし、事件も多い。一歩裏路に入れば何が起きても不思議ではなかった。
「番犬を連れております。お気遣いなさらないでください」
「遠慮しなさんな。うちの面目の問題さ」
ニィハはオオカミ連れであることをアピールしたが、マダムは聞き分けずにギュムを押し付けた。
「あっ、と、それなら――」
「それでは、ギュムベルトさん。よろしくお願いしますね」
ユージムが任されたがっていたことを思い出し、ギュムは律義に推薦してやろうしたが、ほほ笑みかけられたことで意見を翻す。
「はい、お任せ下さい!」と、騎士さながらの力強い返事をしていた。
――あれっ、どうしてだ?
まるで魔法のような強制力で反射的に従ってしまっていた。
ギュムにとっての女性は汚らしく、けたたましく、なにより恐ろしい存在だ。それは一部では事実だが当然、偏った認識だ。
彼の周囲の人間には夜の商売をなりわいとする者特有の下品さがある。酒、うそ、色恋が常につきまとい、情欲の混濁した激情と痴態が入り交じっている。
そして眼前の女性からは育ちの良さが滲み出しており、まるで対極側にいる人物の様だった。
中間をすっ飛ばして対極の存在が現れた。ギュムの眼には彼女がまるで未知の生物であるかのように映っていた。
造形の美しさばかりに心を奪われるのではない。彼女の手を取れば、代わり映えのしない毎日が一変する。
別世界への扉が開く。そんな予感が心を掴んで放さない――。
ニィハが外套などをまとい帰り支度を始めた隙に、マダムはギュムに耳打ちする。
「口説き落としてウチで働くように説得しな」
「はあっ!?」
親切で護衛をつけた訳ではない。娼館として、このまま縁を切ってしまうには惜しい逸材だ。
「任務の難易度が高すぎるよ……!」
「情けないこと言うんじゃないよ! 私が男だったら抱いて堕として風呂桶に沈めるまでは帰らないけどね」
「ママが女で心底良かった!」
毒牙にかかったかもしれない女性たちを思ってギュムは安堵した。
「それでは、参りましょう」
そんなこととは露とも知らず。準備を終えたニィハが出発を促した。
フードを被っているのは日よけというより、目立つ風貌を隠すのが目的だろう。
「美人は大変だね」と、マダムが共感して見せた。
美女は常に破滅と隣り合わせのリスクを背負っている。
美しければ人が集まる。その中には少なからずむちゃをする輩が含まれており、彼らは手段を選ばない。
善良を装い、あるいは得意分野をアピールして近づいてくる。
時には同情を煽り、時には脅迫し、目的を遂げられないと察すれば豹変し力尽くで欲望を満たそうとする。
殺されてしまうこともあるだろうし、それより恐ろしい目に遭わないとも限らない。
美しい存在は常に羨望と同じだけの憎悪の対象である。そうでなくとも売れば金になるのだ。
そういったリスクもおのずから楽しむ者や利用する者もいるが、その多くは愚にもつかない結末を迎えることになるだろう。
美をひけらかせば悲劇に見舞われる。それが世の理。
『パレス・セイレーネス』は常にその問題と向き合っており、娼婦たちを守るために高級を謳い権力とも結びついているのだ。
「急な訪問に丁寧な対応をしていただきありがとうございました。それでは失礼いたします」
ニィハはペコりとお辞儀をするとギュムと並んで支配人室から退室した。
「どちらへ向かいますか?」
少年が行き先を尋ねると異世界の少女は答える。
「一座のもとへ」
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