終幕 千年の物語/終章 千年の物語
◢四幕一場 聴いて欲しいこと
「どうやら、わたしは妊娠しているらしい」
ラドル、シェパド、シエルノー、メディレインの四人は、リーンエレの告白に対し言葉を失っていた。
「――皆の意見を聴きたい」
その口調があまりにも事務的だったため、意味を飲み込むまでには数秒を要したのだ。
「……まず、相手を確認しよう」
一様にきょとんとする中、初めに口を開いたのは長女だった。
以前からまた一段と肌の色が変色し、青黒くどこか変温動物を彷彿とさせる姿になっていた。
半身を精霊界に置くことで現世での姿が変質を起こす『深化』、人間はそれをダークエルフと呼んで畏怖する。
精霊に近しくなることで干渉力を発揮し、強力な魔法を行使できるようになるが、深化したエルフの辿る結末は知られていない。
レインは森を監視する役割上、精霊との交信を随時行っており変質の進行が速かった。
このひと月、彼女がろくに自室から出なかったのは急激な肉体の変化に対して安静を心掛けていたからだ。
「相手の確認とは言っても二択しかない訳だが……」
シエルノーが男二人を睨みつけた。
犯人探しをするまでもない。心当たりがない方からすれば答えは一択しかなかった。
「…………アニキ?」
「おいおい、そんなに早く結果が判るもんなのかよ?!」
促されたことで、ようやくシェパドが名乗り出た。
顔色を伺うようにして周囲を見渡し、居心地の悪さを大袈裟に振る舞って誤魔化した。
「――勘違いじゃないのか。それとも、エルフの出産はそんなにハイペースなのかよ!」
外見には一切の変化が見られない。しかし、生命の気配に対してエルフは人間よりも遥かに敏感だ。
リーンは相手がシェパドであることを断言する。
「間違いない。それ以外にはありえない」
エルフは人間の子を身篭っていた。
――リーンがアニキと?
事態が確定していくほどに、ラドルは困惑していくばかりだった。
――なんで、なぜ?
シェパドがリーンを意識している様子も、リーンがシェパドに想いを寄せる様子も、そんな気配は微塵もなかった。
この二ヶ月ラドルは異種族同士の相互理解を深める為、リーンとは二人三脚でやってきたつもりだ。
そしてエルフというものを理解し、その習慣や能力を素直に尊敬するようになっていた。
人間とエルフは手を取り合って生きていける――。
そう結論付け、協力することに一片の迷いもなくなっていた。
イブラッド将軍という人脈を得たことで、帝国中枢とのコンタクトも可能になった。
先に解放した彼が会談の席を調えている手筈であり、ラドルとリーンエレはこれから和平会議へと参加する予定だった。
目的の達成も間際に、先程まで清々しい気持ちでいたのも一転。
ラドルは頭蓋の中に石でも詰められたかのような強烈な不快感に吐き気を覚えた。
「――わたしは出産するつもりでいる」
幾分か神妙な調子でリーンは皆の意見を求めた。
メディレインは否定的だ。
「半エルフは不幸な存在だ。対等な扱いをされる世界はどこにもない」
結束が固い反動からエルフは排他的な種族だ。使命感が強いゆえに異物のもたらす秩序の崩壊を嫌煙している。
集落に余所者を招くという行為は体内に異物を混入するのに似た認識だった。
今回のリーンみたいなことを未然に防ぐ意味でも、エルフの集落は半エルフを受け入れない。
かと言って、人間社会に紛れ込んだところで半エルフを待っているのは過酷なまでの差別だけだ。
産まれてくるべきなのか。それを議論しない訳にはいかない――。
「産むべきだ、ワタシたちで育てよう!」
シエルが賛同の意を示すと、ラドルは思わず反発する。
「シエルはそれで良いのか!」
「どういう意味だ?」
「だって……!」
――シエルはアニキに想いを寄せていたじゃないか。
恋人を妹に略奪された。もしくは弄ばれたあげくに裏切られたのだ。激怒して掴み合いの喧嘩になるのが当然だ。
だのに、シエルノーはラドルの問いの意味さえ解していない。
ポカンとした様子で見当違いの返答をする。
「いいじゃないか、エルフ社会から決別したワタシたちが半エルフを排斥する理由はない。
それどころか、絶滅のリスクを緩和する存在に成り得るんだ」
自らがダークエルフでなければ、その結論に到ることは決してなかっただろう。
異物たる姉妹たちが生き残るためには新しい価値観を駆使して道を切り拓いていくしかない。
「わたしはかまわない。二人の負担を鑑みれば、当然の結論だ」
リーン一人ならばまだ引き返す道があるにも拘わらず、彼女はそれをすんなりと受け入れた。
シエルとレインが連日シェパドと交合ってみたが成果は得られなかった。
もはやエルフ相手に不確実なものを異種族相手では到底無理があったのだ。
「深化エルフに出産例がない以上、我々の存続はリーンとその子に委ねられたということだな……」
レインには妹たちの決断を無下にすることはできなかった。
――気持ち悪い。
三姉妹が和解する様子にラドルは吐き気を覚えた。
産まれてくる子供を皆で育てる。それは人道的でもあり理想的な展開のはずである。
――気持ち悪い、気持ち悪い。
それが連帯からなる尊い帰結であるにも拘わらず、理解者たるラドルが拒否反応を起こしている。
――なんで、そんなにも議論がスムーズなんだ?
結論へと導いていくその過程に、葛藤だとか、嫉妬だとか、未練だとか、そういう紆余曲折が一切見られなかった。
淡々と、ただ淡々と話し合いは終了した。
彼にはそれがどうしようもなく不気味に感じられていた――。
「人間との交渉だが、ワタシがリーンに付き添って構わないか?」
留守にするという都合上、シエルがレインに許可を求めた。
当初はリーンとラドルの二人で行く予定だったが、そういう訳にもいかなくなったとの判断だ。
リーンはそれに反対する。
「大丈夫、気遣いはいらない。産まれるのはまだ先だし、シエルが来るとむしろ諍いを起こさないか心配」
「なんだとっ!」
そのやり取りはじゃれ合いの一環であり、次女の同行はリーンにとって非常に頼もしかった。
「ラドルもそれでいいな?」
レインが付き添うからといってラドルの同行が免除される訳ではない。
森の外の世界を目的地まで案内し、種族間交渉において緩衝材の役割を果たさなくてはならない。
ラドルは即答できなかった。
「おい、どうした?」
「えっ、あ……。アニキ、おれの代わりにアニキが行ってくれないかな……?」
咄嗟に兄貴分へと助けを求めた。
「別にいいけどよ。いい加減、人のいる所に行かねえと気が狂いそうだしな」
「ラドル?」
リーンはラドルの異変を察知した。しかし原因にまでは思い到らない。
「いや、おれから言えることはリーンと変わらないし、交渉事ならアニキのほうがよっぽど頼りになるんだよ。
レインの体調も心配だし、誰かが残った方が良いと思うんだ。一人にしておくのは不安だろ?」
本心を偽り、言い訳などを始めたものだから尚更だ。
エルフの姉妹たちはその内容だけを追って、理にかなっているなと納得するだけだった。
――気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
「気を付けて、和平の成立を願ってる」
少年は笑顔を繕った。一刻も早くここから立ち去りたいという思いが頭の中を埋めつくしていた。
「その方がいいかもな……」
シェパドはラドルの願いを聞き入れて、和平交渉の場へとリーンたちを連れていく任務を引き受けることにした。
弟分の心変わりは不可解だったが、元々が消極的で前に出ない性格の男だ。
特別ほじくり返す必要も無いだろうと納得した。
「――なあ、メディレイン」
「なんだ?」
森を出るに当たって、シェパドは長女に頼み事をする。
「何かあった時、例えばはぐれたりした場合なんだが、ここまで帰って来れるようにして欲しいんだ。
隠れ家を自由に行き来できるようにしてくれないか?」
「森の中ならばどこにいても迎えに行くことができる。迷子にはならないさ」
「捕虜でもあるまいし、ちょっと出入りするたび迎えに来て貰うってのは堅っ苦しいんだよ。
オレの子供をここで育てるんだろ?」
シェパドの言い分は正当である。二人の子供をエルフ側で独占するのは不公平だ。
今後を考えれば彼の要求に答えるのは当然のことだろう。
生来のいい加減さからか、彼がすんなりと現状を受け入れてくれたことはエルフたちにとっても都合がよかった。
――問題ない、彼らは仲間だ。
姉妹たちにとって異種族の来訪者たちは思いもよらないほど大きな存在になっていた。
種族の性質として結束を重んじる彼女たちにとって、群れを離れる選択をしたことは半身を失ったかの如き心細さがあったのだから。
例えまやかしの数合わせだとしても、二人の存在は孤独を埋める役割を果たしていたのだ。
彼女たちはシェパドの要求にも快く応えた。
「それじゃあ、行ってくるぜ弟よ! 果報を期待して待っていてくれ!」
好調なシェパドと対照的にラドルの表情は暗く、終始だれとも視線を合わせることができずにいた。
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