第十五話 客入れ


そして、その日は訪れた――。


【公演当日】


娼館の完全休業により施設は一日限りの『劇団いぬのさんぽ劇場』だ。

夜明けとともに役者たちがエントランスホールへと集まり挨拶を交わす。


「おはよう、アニキ」


「おう、ラドル。今日で最後ってのもなんだか変な感じだな」


ギュムベルトとユージムは双方に役名で呼び合うと、欠伸をしたり瞼を擦ったりした。


枯渇した体力を気力で持たせている状態が続き、休息が足りている者はいなかった。

娼婦たちにいたってはつい先程まで接客をこなしていた者もいる。


ふと、ユンナが呟く。


「――妊娠したかも」


少女の冗談に男たちは空を仰いで肩を落とした。


「やめろよ、笑えねえ!」

「職業柄、紛らわしいんだよな……」


二つの人格を連日行き来していれば錯覚に陥ることもある。

妄想にささいな違和感を誘発し、これかな?と、勘違いしたとしても仕方がない。


「経験がないと、どんなものかなって余計に想像を膨らませちゃうんだよね」


「解る。妊娠させる役をやってると、現実でも問い詰められるんじゃないかって気が気じゃなくてな……」


ユージムも然り、役に強く感情移入をしている証拠だろう。

稽古による疲労は肉体だけにはとどまらない。思考や精神をより蝕んでいる。


これだけの苦労をよくも長期間、無報酬で行えたものである。

負債も無ければイーリスが恐ろしい訳でもない。結局の所、物語に参加することが楽しいあまりにここまで来れてしまったのだ。


「そんな苦労も今日でお終いだ――!」


全てはたった一回の本番のため。ギュムの言葉はユンナとユージムに限らず、皆の心に名残惜しさを呼び起こさせた。


散々苦しめられた愛しいキャラクターからの解放だ。

ほんのひと月の付き合いだったが、あまりにも濃密な関係だった。できることならば最高の形でお別れをしたい。


公演の成功を願う気持ちでみんなの心は一致団結していた。



「おはうー。そいじゃあ、始めるよぉ」


イーリスが公演準備の開始を告げた。『パレス・セイレーネス』の閉店と同時に行動を開始する。


スペースを二日借りることができたら良かったのだが、少年の財布からはとてもじゃないが賄えない。

早朝まで営業されていた娼館を昼までには劇場へと模様替えし、夕刻までには諸々の確認など最終調整を済ませなくてはならなかった。


公演準備は大急ぎで進められた――。



「えっ、大丈夫なの!?」


娼婦Eからの報せを受け、イーリスの表情に焦りの色が浮かぶ。なにかしらのトラブルが発生したらしい。


「動けそうにないって、どうしよう?」


「うーん……。回復魔法が効くかもだから、受付の準備をしてるニィハに相談してみて」


それはキャストの一人である娼婦Dが頭痛を訴えて寝込んでいるという報告だった。


イーリスは祈るようにして呟く。


「――何ともないと良いんだけど……」


本番まではまだ半日ある。なんとかそれまでに復調することを願うしかない。



エントランスホールを埋め尽くす家具を一階通路から裏口へと撤去。

まっさらになったスペース中央に演技スペースを確保。舞台が円形になるよう客席で取り囲んだ。

外からの光を完全に遮断し、照明器具による灯りのみが劇場内を照らし出す。


警備員たちから厚意の助力を得られたことで作業は予定よりもスムーズに行われた。


裏も表もない円形舞台が完成する――。


四方の壁際に通路を確保し二階への通り抜けが可能になっており、階段や二階デッキも演技スペースとして活用できる。

客席を回り込んで二階へと上がり、二階通路へと消え、ふたたび一階に現れることも可能だ。


二階最奥の非常階段は遠いため、手前の部屋の窓から梯子で降って一階の窓から侵入するなど、舞台裏の光景はなかなかにアクロバティックだ。


女子供の寄り付かない娼館で、演劇が何かも知らない人々を相手にするのだ。客席を百席用意したが埋まることはないだろう。

役者たちが客に営業をかけていることもあり、客層は彼女たちのファンや高級店を利用するある程度分別のある大人と予想できる。


入場料は場所柄、性的な接待を期待させない程度の、それでいて冷やかしお断りなプレミア感の無い価格設定。

受け付けは公演前に行う。舞台の都合、途中入場は禁止だ。


総掛かりで全ての設置を終え、いざ役者が一名不在のまま段取りの最終確認を行う。



「イーリス!」


体調不良だった娼婦Dを看ていたニィハがイーリスに駆け寄った。


「どうだった?」


開演時間も間近、皆、朗報を期待していた。


Dは娼館の支配人役に配されている。


長女メディレイン役だったCが脱落し、エルフ姉さんを代役に立てた時、三姉妹の一人だけが生エルフでは浮くという理由から、姉さんをエルフの娼婦役に、エルフの娼婦役だったEをより出番の多い長女役へと差し替えた。


エルフの娼婦は幕間ごとの語り部の役も担っており、舞台監督を兼任するエルフ姉さんの負担が多きいということで、娼館の女支配人に語り部役は託された。


つまり要所で登場しけっこうな台詞量を喋る。稽古をしてきた本人以外、容易に代わりの務まらない役だ。


皆、ニィハの報告に注視する。


「わたくしでは手の施しようがなくて、お医者様に見せたの。どうやら虫歯が悪化して命に関わるらしく今から手術を受けることに……」


「「ええっ!!?」」


一斉に悲鳴をあげた。


ニィハは治癒術士ではあるが、傷を塞ぐことと原因を取り除かなくてはならない治療は勝手が違う。

Dは舞台に上がるどころか、生死の境をさまよっていた。


「…………」


Dの脱落を受けて、なんとかして舞台を完遂できないかとイーリスは思案する。


――彼女の登場シーンを全てカットするか……。


それによって物語にどれほどの破綻が生じるか分からない。

また、それを防ぐ為に台詞やシーンを追加した場合、せっかく仕上がっている役者たちに混乱を与えかねない。


「うう、頭痛い……!」


「おい、客が集まり始めてるぞ!」


外の様子を伺っていたオーヴィルがタイムリミットを告げる。


「とりあえず、列形成しておくわね!」


そう言ってニィハは時間稼ぎのために外へと飛び出して行った。



「どうする、中止か?」


頭を抱えるイーリスにオーヴィルが訊ねた。


中止――。その言葉を聴いた役者たちから重苦しい空気が漂い始める。


たとえ延期するにしても、この場所での公演は二度とない。そうなれば本日来場してくれた客が再び足を運んでくれるとは限らない。


――ボクが出るか?


イーリスは自らによる代役に思い当たった。


全体の流れを把握しており、手が空いているのは自分だけだ。

しかし役者たちと芝居を合わせたことがないため、稽古とはまったく違う感触になるに違いない。


そもそも、セリフが入ってすらいなかった。


自分の脚本であるだとかの問題ではない。一つに没頭すれば良い役者と違い、演出家は全員の芝居を監督しなくてはならないのだ。

劇場の使用法、照明、舞台装置、必要な道具の選出、その他諸々、全ての判断を委ねられ役目を果たして本番を迎える。


当日には力を使い果たし、役者たちに後を託すと肩の荷が降りた気持ちでいられるはずだった。



「先生、どうしたらいい?」


ギュムが指示を仰いだ。客を外に待たせっぱなしにはできない。


ユージムが現実的な意見を口にする。


「一番穏便なのは、不測の事態があったことを説明、謝罪して帰ってもらうことじゃないのか?」


仲間たちから一斉に非難の視線を注がれたので弁明する。


「いや、オレだって残念だよ! とっても!」


努力の成果が披露されることなく終わる。役者たちの落胆は大きい。

『劇団いぬのさんぽ』にとっても、開幕前の中止は公演の最短記録だ。


ここで公演を中止してしまえば、せっかく集まってくれた観客を失望させることになるだろう。

それ以上に、ここまで頑張ってきた仲間たちに苦い記憶を植え付けることになる。


演劇は辛いばかりで良いことなんて無かったと――。



「まあ、仕方ないか……」


誰かが呟いた。私たちの挑戦は失敗したんだ、そんな諦感の籠った言葉だ。


それを受けてイーリスは決断を下す――。



「よし、予定通り開演するよ。みんな、配置について!」


解決策の提示もなく下された決定は、その場にいる全員を驚かせた。

稽古通りでは済まない未知のぶっつけ本番が決行されるのだ。


劇団いぬのさんぽ公演【闇の三姉妹】の舞台はついに幕を上げた。

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