第十四話 恋の話

【公演十日前】


「はぁ、安請け合いして失敗だったなぁ」


「この時期にそういうこと言うか?!」


ため息混じりに愚痴るユンナをギュムベルトが咎めた。とはいえ、心情的には理解できる部分もある。

ゴールが見えてきたからこそ、苦労を思い返すことが増えてきたのに違いない。


この二ヶ月は過酷を極めた。生活費の捻出に必要なだけの労働をこなし、その上に山積みの課題を重ねてきたのだ。

気持ちいいから痛くない。楽しいから疲れてない。そう自らに言い聞かせ、脳内麻薬を出すことで疲労を忘れ、若さに甘えて身体に鞭を打ってきた。


皆、満身創痍である。


最年長のオーヴィルにいたっては仕事中、殴られながら眠っていたこともあったくらいだ。

最年少のユンナが体力的な限界を訴えるのも無理からぬことだった。


「仕方ないから付き合ってあげるわよ」


「頼むぜ本当に……」


一方、ギュムは稽古の日々があと数日で終了してしまう事実に物惜しみの感情を抱いていた。


芝居を通して他人との意思疎通、連携、気遣いなどを濃い密度で体験し、隣人が仲間になっていくのを実感する。


お互いの意図が芝居を通して成立した時にはえも言えぬ歓びに包まれた。

互いの反応を引き出し合っては、意識すらしてこなかった他者の持つ魅力に心を踊らせた。


彼、彼女の台詞のニュアンスが、あのシーンでの表情が、佇まいが、仕草が、カッコイイ、可愛い、愉快、好き、尊敬に値する。


どんどん人を好きになっていく。


直接的な損得と無関係なことに、こんなにもポジティブな感情を抱ける――。


多くの他人がただ煩わしいだけの存在だったギュムにとって、それは感動的な体験だ。

彼にとって演劇の稽古は生家にいながらにして、まるで別世界のように新鮮だった。


――だけど、本番を終えたら最後だ。


入団目的の公演ではあるが、ギュム自身が嫌という程に適性の不足を自覚していた。


センスのなさから稽古は過酷化し、何度となく恥をかいてきた。

少なくとも、ユージムや娼婦たちの方が役者に向いていることは明白だ。


――きっとこれが最後。


だからこそ後悔のない公演にしたい。


観劇の仕方を知らない人々を相手に、前人未到の一時間公演を達成したい。



「――さあ、もう一度だ。二場を頭からやるぞ」


「なんだかな。二人だけ居残りって、なんか悪いことして罰を受けてるみたいだね」


ユンナの言う通り稽古場は閑散としており、先程から二人だけで『セリフ合わせ』を繰り返している。


罰ゲームという訳ではない。他のメンバーたちは皆、本番に向けての準備で外を駆け回っている最中だった。


掲示板や飲食店に広告を貼らせて貰えるよう片っ端から頭を下げに行ったり、衣装や大小道具の借入れの手続きから当日の搬入、搬出作業の段取りなどで大忙しだ。


観劇慣れしていない人々を物語に没入させるためには視覚的な分かりやすさが重要だと、王様、お姫様、騎士、村人と一目で判別のつく衣装を探して廻った。


とはいえ予算との兼ね合いもあり、あれもこれもという訳にはいかない。


特に光の騎士イブラッド役の衣装調達が難航した。

オーヴィルの巨体に合った甲冑を安価で揃えることができず、「豪華なほどバカっぽくて笑える!」というイーリスの拘りから出費が嵩んだのだ。


身体が大きいこと、ましてやキャスティングされたことに罪はないのだが、そのしわ寄せで舞台美術がほとんど裸同然になってしまったことをオーヴィルは気に病んでいた。



「罰どころか特別扱いだ、感謝しなきゃな」


日数も限られている中、誰しもが稽古に参加したいに違いない。

二人だけが準備作業を免除されているのは『抜き稽古』のためだ。特に出番の多い二人を重点的に鍛えるのが目的だった。


だったはずが――。



「お願いします! 代役で舞台にあがってください!」


演出家待ちの二人を差し置いて、イーリスがエルフ姉さんに頭を下げている。


「話が違う。アドバイスだけって約束だったでしょう!

それがなに? 照明係から始まって、舞台監督。挙句の果てには舞台にあがれ?

厚かましいなんてものじゃないわ、狂っている。あなたは異常者よ!」


ゲスト扱いのはずが気付けば役職を与えられ最大限にこき使われている。

理不尽も大概にしろと、エルフ姉さんは辛辣に言ってイーリスの願いを突っぱねた。


「それは解ってる。けど、今から部外者に声をかけるよりは稽古に参加していた姉さんに頼むほうが確実なんだよ!」


急遽、劇団は稽古どころではない緊急事態に見舞われてしまった。

昨日になって突然、娼婦Dが出演を辞退してきたのだ。


理由は失恋による傷心――。


聴いてみれば確かに酷い裏切りに遭ったようで、Dは絶望のあまり三食喉を通っていない状態だ。


しかし、それは舞台に穴を開けて良い理由にはならない。どんな都合があれど、関わってきた全員を道連れにする権利はないのだ。


イーリスは夜通しの説得を試みた。最中、Dの身勝手に激怒したEが乱入。殺し合いの喧嘩に発展しかけ、更なる脱落者を危惧して説得を断念せざるを得なくなった。



「乗り気じゃない人間に頭を下げて舞台に上がってもらう訳にはいかないじゃんか!」


無理強いしてDを追い込み、本番中に泣き出したり、手首を切ったりされては堪らない。


参加表明の時点で厳しく覚悟を説きはしたものの、結局のところ予定は未定。約束が果たされる保証などはどこにもない。


人間は自らのコントロールすら満足にできない動物なのだから――。


「なおさら、頼む相手を間違えているんじゃあないかしら……?」


条件がやる気の有無であるならば、無理やり引き込まれた自分は対象外であるとエルフ姉さんは主張した。


「他に適任者はいない。だって、姉さんは絶対に仕事の手を抜かないもん!」


群れでの役割に堅実なエルフ気質ならば、新たなメンバーを募るよりもはるかに安心感があるとイーリスは考える。

部外者相手に一から心構え、やる気、チームワークなどを育てるには時間が惜しい。


演劇の素養がある者ならば話は別だが、この世界でそんな人物が見つかるはずもない。


「……けれど、三姉妹を人間が演じるのに本物のエルフが登場したら違和感が……」


「絡みのないシーンに出る分には平気だよ。むしろ効果的だと思う!」


「あなたとニィハが空いているはずよ。二人なら十分に役目を果たせるでしょう」


「舞台の外に分かってる人間が待機してないと、不測の事態が起きた時に対処できないんだよ……」


特に今回はまったく新しい試みだ。何が起きるか判らない。

病人や怪我人が出た時、装置が正常に作動しなかった時、あらゆるトラブルの度に演技を中断し舞台上から解決する訳にはいかない。


それらに迅速な判断を下せるのは決定権を持つイーリスと、制作を司るニィハに限られている。


「この通り、姉さんしかいないんだ!」


「…………仕方ない、わね」


気乗りしないの一言で断るには仲間たちの努力する姿を目の当たりにしすぎている。


エルフ姉さんはこめかみを押さえながら、渋々と代役を承諾した。


「ありがとー! これはもう入団ってことで良いよねっ!」


「今回だけの約束よ……」



エルフ姉さんにとっても今回の公演は特別だ。

演目である『闇の三姉妹』は史実が下敷きにされており、生き証人である彼女からも種族の生態などについて根掘り葉掘り聴き出しながら書き起こされた。


出典となったのは第七回魔王討伐作戦――。


これは二百年にも及ぶ種族間戦争を集結させた一大事件であるが、軍人でも学者でもない庶民たちの関心は薄かった。

分割された二国がひとつだった頃、帝国として重ねた数多ある勝利の一つに過ぎないといった印象だろう。


そんな題材に娼婦たちが没頭できたのは、物語に恋愛の要素が含まれていたからに他ならない。

高貴な身分や英雄でもない人物の恋愛が劇的に語られたことは、これまで無いに等しかったのだ。



「姉さん、セリフ間に合うのかな……」


「稽古をずっと見てくれてたし、なんとかするでしょ」


説得の一部始終を見ていたギュムとユンナが不安と安堵を口にした。


「でも、怖いよなあ……」


「なにが?」


ギュムの発言が何に対する「怖い」なのか、要領を得なかったのでユンナは聴き返した。


「最近よく、本番中にセリフが出てこなくなる夢を見るんだよ。

舞台がシン……と静まり返ってさ、必死になって思い出そうとする。

でも、どんなに探しても頭の中が真っ白になっててセリフが見つからない――」


ギュムは身振り手振りを交えてそれが如何に絶望的な状況かを説明する。


「今でこそセリフは出てくるけど、いざ人前に出たら緊張のあまりそんなことも有り得るのかなって」


「馬鹿みたい、どんだけ小心者よ」


「ええっ、そういう夢見たり、考えたりしたことない!?」


少年の切実な訴えを年下の少女は軽くあしらう。


「舞台上は一人じゃないんだよ?」


ユンナはジッとギュムを見つめると続けた。


「――実際そうなったとしても、舞台は静まり返ったりなんかしない。

あんたが黙っても、相手役のわたしがそのセリフを引き出すから」


セリフは頭の中にある台本を読むのではなく掛け合いによって引き出されるものだ――。


相手役を見失って頭の中に逃げ込まないよう、ユンナは強い眼差しでギュムに存在をアピールした。


「そ、そうか。一人でやるな、だもんな」


「しっかりしてよ。こっちはあんたのために仕方なく付き合ってあげてるんだから」


彼女は気だるげにそう言った。


当初、ギュムが劇団に入ることに対してユンナは否定的だった。

だのに、いざとなればこうして力を貸してくれている。


「ほんと頼りになるよ」


「感謝してよね」


彼女がやりたくもないヒロインという重責を負ってくれた意味は大きい。

知れた相手という理由でギュムは気兼ねすることなく稽古に打ち込めたのだ。


――他の女性だったら勝手が違っただろうな。


ギュムはユンナに対して感謝するとともに申し訳ないという気持ちになっていた。



さて、キャスティングがされた当初から「気が重い」などのネガティブワードしか発言していないユンナだが――。


ギュムの相手役に抜擢された当日、台本を部屋に持ち帰った直後には顔を爛々と紅潮させ声を殺してベッドの上を転げ回っていた。


そして毎晩、まるで愛しい物かのように台本を胸に抱いて眠っている。


彼女はたしかに浮かれていたのだ。


しかし「大役で良かったね」と言われれば「別に」と答え、ボロボロになった台本を「雑に扱うなよ」と注意されれば「勝手でしょ」と悪態をつく。


今回の公演にもっとも心を躍らせているのが、実は彼女であることは誰も知らない――。



残り時間もあと僅か、本番同様に演じ切る『通し稽古』が連日繰り返された。


すでに誰一人としてセリフを間違えたり忘れたりすることなく、舞台上を自由に動き回ることができる。

何度となく繰り返すことが可能だが、それを人前で披露するのは本番の一度だけ。数ヶ月、必死の思いで積み上げてきた物語が披露されるのはたったの一度だけだ。


その場にいた者しか味わうことが叶わず、形としては残らない。それも一つの価値である。


役者たちは期待と不安に胸をふくらませながら、それでも確固たる自信を獲得していた。


そしてついに万全な状態で当日を迎える。否、迎えるはずだった――。

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