第十三話 台本稽古


台本を手渡された当日、参加者の最終確認に伴い演出家であるイーリスからキャスティングが発表された。


それぞれのキャラクターはこれまでの稽古である程度掴めていたため、スムーズに『役』を割り振ることができた。


キャスティングとは作品にとってもっとも重要な部分である。

ハマり役を与えられれば誰もが名優になり、逆にミスキャストであればすべてを台無しにする。


物語は脆弱だ。どんなに優れた物語も他人事では興味を惹かない――。


限りなく退屈な物語が拙く演じられたとしても、愛するわが子が主役ならばかけがえのない宝になる。

客が物語を置い続けられるか否かは登場人物の魅力次第。役者相手に客が恋に落ちるかどうかに掛かっている。



始めに、役者たちはイーリスから物語のあらすじと登場人物の説明を受けた。


複数ある中からどれか一つ『役』の生き死にが自分に委ねられるのだ。

そう考えれば緊張せずにはいられない。皆、真剣に聴き入っていた。


演者にとってそれは格別な体験だ――。


例えるならば、長い付き合いになる伴侶を当てがわれるのにも匹敵するだろう。


自身とのすり合わせを行う都合、その『誰か』を恋人よりも子細に分析することになるのだから。

与えられた『役』がどんな立ち姿で、どんな仕草をして、どう対話し、どう輝くのか。


キャスティングされた瞬間から『自分ではない誰か』は自分の一部となり、本番を終えるまで常に生活を支配し続けるのだ。


一度しかない人生において、別人を生きることができる。これ以上の贅沢が他にあるだろうか。

別人として生き、別人として恋をし、別人として死ぬ。


それこそが役者の醍醐味だ――。



役者たちは非日常の到来にことさら昂り、芽生えた使命感に瞳を輝かせた。

ヒロイン役に抜擢された少女を娼婦Cが囃し立てる。


「ユンナ、あんた大役をもらえて良かったじゃない!」


「ええっ……。こんなの気が重いだけだよ」


不真面目なユージムでさえ浮かている中、ユンナだけが半ば迷惑そうにため息をついた。

どう繕っても逆転し難い年齢の差、最年少である彼女に末っ子役が割り振られたのは当然のことだった。


「めんどくさいなぁ、もう……。ねえ?」


彼女は同じく大役を与えられた少年を振り返った。


「…………!」


彼はこぼれ落ちそうなほどに眼を見開いて、自分の台詞で埋め尽くされた台本を凝視している。


「ギュム?」


「……えっ?」


「えっ、じゃなくて……。て、あんた顔が真っ青だよ!?」


「ごめっ……うぷっ、う、ちょっと、トイレ……ッ!」


言うなりギュムベルトはエントランスホールから駆け出して行った。

主人公であることが確定していた彼は、そのあまりのプレッシャーに体調を崩しかけていた。




【公演二十日前】


台本が完成するとすぐに立ち稽古が開始された。実際に動いて台詞を交換し、芝居を作っていく稽古だ。


十日もすれば台本を手放して稽古に臨む者も出てきた。

いざ参加する覚悟を決めた娼婦たちは生き甲斐とばかりにやる気を発揮し、初日の内に全員が台本を自分用に写したのだった。


さすがは高級を謳うブランドと言ったところか、出自は様々だがマダム・セイレーンの方針から読み書きを未修得の者はいない。


彼女たちはすれ違うたびに台詞を交換する遊びを始め、効率よく台本を覚えていった。

部外者が見たら奇行でしかないが。台詞を言えば返ってくる、当人たちはそれだけでも楽しかった。



「どうした兄弟、さっきから随分と大人しいじゃねえか。聴かせてくれよ、念願の初体験を終えた心境をよ!」


ユージムが台詞を投げるとギュムが応じる。


「なんでエルフなん、ダヨ……」


エントランス中央を舞台スペースに二人が演技をしている。

それを真正面、机と椅子で誂えた演出席からイーリスが監督し、役者たちはそれを囲むようにして出番を待っていた。


二人の芝居が続く。


「魔の森侵攻といえば一大作戦だ。立派な軍隊が出迎えるはずだろう。そいつがどうだ、何処のぉ……」


役者が言葉に詰まるとニィハがボソと呟く。


「馬の骨」


「馬の骨とも知れない冴えねえ連中が、がぁ……!」


「雁首」


「雁首並べてよお!」


二人は台本を手放していた。完全に記憶できた訳ではなかったが、台詞が飛んだ時にはニィハが即座に助け舟を出した。


「ほんとうだ。セイキヘイとシガンヘイの集合場所、は別ナノカー!

あっ、アニキ、騎士っぽい人もいるミタイダッ!」


「なるほどな。確かにこれは『魔王討伐作戦』の集まりで間違いなさそうだ。あそこで偉そうにふんぞり返ってやがるのがイブラッド将軍だぜ」


出番かとオーヴィルが腰を上げようとした所で、イーリスがパンッと手を叩いて演技を中断させる。

オーヴィルは気まずそうに元の位置へと戻っていった。



「――ハイ、ここまで!」


キリの良いところまでを演じさせ、修正点をまとめて指摘する。その繰り返しで舞台の完成度は上昇していく。


「えーと、シェパドはさ。持ち前の軽薄さがハマっていて実に良いね」


イーリスはシェパド役のユージムを褒めた。


「喜んで良いのか複雑だーっ!」


そして、本題に向き合うと渋い表情になる。


「ラドル……。ギュムベルトはどこから指摘したら良いものか……」


「そんなに酷いですかっ!?」


当の本人は他の何倍もある台詞量を懸命に記憶し、早々に台本を手放し、弛まぬ努力を発揮してきた。

その懸命さゆえに演技の善し悪しなど自覚する暇もない程いっぱいいっぱいになっていた。


「努力はね、伝わってきたよ。膨大な台詞を一生懸命、頭に詰め込んだんだよね。

でも台詞を憶えるっていうのは活字をただ記憶するのとはちょっと違うんだよ」


「えっと、言ってる意味がよく分かりません……」


「有り体に言えば、キミは頭の中にある台本を捲ってその活字を読んでいるんだよ。でも、人と会話をする時にそうはならないじゃん?」


ギュムのそれは芝居ではなく、頭の中にある活字の朗読になってしまっている。

傍から見るとそれは掛け合いとしてはぎこちない。


「でも、そうしないと台詞が出てこないんです」


ユージムが口を挟む。


「オレはけっこう忘れてるけど」


「いや、忘れるなよ!」


ギュムは抗議したが、それは怠惰からの発言ではなく友人なりの助言だ。


「もちろん憶えるさ。ただ、次の台詞はなんだっけって焦って先回りしなくても、相手の台詞を聞けば次の台詞は決まってくるだろ」


その意見にはイーリスも賛同する。


「相手の台詞は『役』が初めて聞く言葉であって、自分の台詞はそれに対するリアクションだ。

だから次の台詞を知っていて準備しているなんてことは不自然なんだよ」


ギュムは混乱する。繰り返し読み込んでいる以上、どうしたって台詞は初めて聞いたものではないのだ。


「――失敗の原因は失敗を恐れていること」


台詞が出てこなかったらどうしよう、芝居を止めて皆に迷惑がかかったらどうしよう。

そういった焦りが先回りして台詞を準備させる。


イーリスはギュムの臆病を指摘する。


「怖がるな」


「そんなつもりは……」


そして問題は得てして本人だけが理解出来ていなかったりする。


「黙ることで生じる『間』を怖がらないで、稽古なんだから、失敗しまくって本番で同じことにならないようにするのが肝心だろ?」


真理だが、それでも恥を嫌煙するのが若さであり男のプライドだったりする。

その結果、より重症を負ってしまうのが青春なのである。



イーリスは全体に向けて指示する。


「皆にもそうして欲しいんだけど、今から台詞を絞り出すのは禁止ね」


台詞を絞り出すな――。


場がザワザワとどよめく。それだけでは意図を測りかねたし、どうすれば正解なのか分からない。


イーリスは続ける。


「相手の台詞をよく聴いて、次の台詞が言いたい感情になるまでは何もしないで。

たっぷり時間を使っていいから自分が何故つぎの台詞を言うのかをよく考えて、解ったならそれに従って台詞を言う。

もし何も込み上げるものが無かったら芝居を中断して構わない。ボクと会議をしよう」


その手法で始めた芝居は間延びし、どうしようもなく退屈で、とても客に見せられたものでははない。

その変わり、役者たちの演技はそれまでよりずっと自然でリアリティのあるものになっていく、それは稽古でしかできない事だ。


台詞は詰め込むのではなく、仕舞って忘れておく――。


一度腑に落ちた台詞は活字としてではなく言葉として記憶される。

二度、三度と繰り返すうちに無駄な間延びもしなくなり良いテンポを生み出すようになっていく。


娼婦たちは職業柄、話を聴き相手が望むものを読み取ることに長けており、すぐに演技に順応できた。

染み付いた癖などが鼻につく場面も多いが、適性は高いと言える。


そしてギュムベルトだけが延々と空回りを続ける日々が続くのだった。

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