第十二話 ワークショップ

【公演30日前】


地面に尻をつき足の裏を合わせて座るギュムベルト、その背に覆い被さるようにしてイーリスが体重をかけている。


「今更だけど、胸を押し付けることにいっさいの躊躇がありませんよね」


「躊躇するとおまえが意識するし、意識されるとこっちも恥ずかしくなるだろ?」


イーリスは両手でギュムの膝を外側に倒しつつ、背中に乗り上げて上体を前傾させていく。股関節を開く体操だ。


「いたたた……っ! 先生、もう無理、ここまで!」


ギュムは自らの足裏に額を埋めながら、可動域の限界を訴えた。


「喋るな、そしたらもう少しいける。吐いて、息を全部」


「ふっ、フーっ、ブフーッ!」


「そうそう、息を吸うときに身体は硬直して吐く時に弛緩する。

ここから十カウントキープいくよぉ、いーち、にーい――」


「うぎぎ……ッ!」


息を吐き続けることで平時よりも関節が開く、その状態を維持することで可動域が広がっていまよりも柔軟になっていく。


ここ数日、イーリスはギュムベルトにベッタリだ。付き合いたてのカップルじみた距離感で過剰なまでのスキンシップを繰り返している。


事情を知らない人間から見たら誤解をされても仕方がない。しかし、これはトレーニングである。


即興劇を通してギュムの抱えるいくつかの問題が明るみになったことが発端だった。



向き不向きで言えば、ギュムは演劇にはあまり向いていなかった――。


彼は物心がついた頃から従業員として扱われ、指示され、従い、客や娼婦たちの顔色を伺いながら過ごしてきた。


甘え方を知らずに育った彼は人に委ねることを苦手とし、底辺の自覚から卑屈で猜疑心が強い。

いざ演技をさせてみても、その表現は間違ってはいないかと常に疑問を抱えながら演じてしまう。


『正解』を思い切って演じられることを一番として、 『疑いながら正解を演じる』ことは『疑わずに間違いを演じる』ことに劣る。


本人が信じていない表現は説得力を伴わない。そういう意味で、自分を信じる者こそが表現者としては強かった。


疑いながらの演技は、思い切りの良い間違いよりも人の心を打たない――。


その原因は環境によるものが大きく、一人の人間の人生を塗り替えるのは途方もないことだ。


しかし今回の主役はギュムベルトであり、何より時間が迫っている――。

苦肉の策として、イーリスは肉体の接触という直接的な方法を実践した。


相手を支え、支えられ、押し付け、押し付けられてバランスを維持する。

それによって他人に委ねたり頼ったりすることへの抵抗を矯正しようとしているわけだ。



二人は床を不規則にゴロゴロと転がる。


ルールは一つ、身体のどこかを接触させ一時も離れないようにすること。


相手の背中にのりあげて自らの背を伸ばし、相手の手脚を利用して自らの手脚を伸ばす。表面を滑らせ、ピタリと吸い付くように止まる。


ひとしきり転がると今度は立ち上がって同じことをする。


互いを押しのけないように身体を貸し借りしていると、次第に言葉を交わさずとも相手の意図を感じ取れるようになってくる。


どちらへ行きいのか、どんな姿勢になりたいのか、どれくらいの力を掛ければ均衡が取れるのか。

自らを相手に委ねることで、信頼とともに相手の意図を察知する感性が備わり始めていた。



「良いよなあ、あれ。オレも女子とくんずほぐれつした――痛いッ!?」


囃し立てたユージムの脛をユンナが蹴った。


「羞恥を煽るのはマナー違反だって言われたよね?」


相手を恥ずかしめるような発言は禁止。それによって萎縮し、挑戦を躊躇するようなことになってはいけない。


「上達への近道に興味があるのは当然だろ?」


「あんたには必要ないじゃん」


ユンナの言う通り、ユージムにカウンセリングめいたことは不要だ。


彼はそれが平常だと言わんばかりに仕事をサボり、それでも解雇されずに過ごしてきた。

人と衝突するような功績は立てず、排除されるような失敗もしない。類まれな要領の良さは天才的といえた。


耐えるか衝突するかしかないギュムとは違い彼の演技は非常にスマートだ。


「必要かはともかく女の子には触りたい」


「なら、わたしが乗ってあげる」


ユンヌはそう言って柔軟中のユージムを乱暴に踏み付けた。


「あっ、これはっ、乗ると言うよりかは虐げると言った方が正しいッ!」


過度な負荷をかけ始めた二人をニィハが注意する。


「あら、いけませんわ。加減を誤ると筋を痛めてしまいますので、気をつけくださいね」


イーリスがギュムベルトの指導に集中しているので、それ以外の参加者はニィハやオーヴィルが見て回っていた。


稽古場を見渡せば二人の他にも幾つかの新顔が目に入る。

ユージムとユンナの他にパレス・セイレーネス所属の娼婦たちが七人と、本日は十三人と一匹がホールに集っている。


日がな客をとるだけの彼女たちにとって体操やゲーム形式のトレーニングは新鮮だったらしく、連日の稽古を物珍しがって覗きに来ると楽しそうに参加していた。



「ニィハちゃん、また新しいの教えてよ!」


娼婦Aの呼び掛けにニィハは応じる。


「はい、いま参りますわ」


走り去るニィハの背中にユンナが舌打ちを飛ばす。


「チッ!」


「おい、やめろ。舌打ちする女子は嫌いだ」


それをユージムが注意した。


参加者は毎回違う顔ぶれだ。毎日来る者もいれば初めての顔もある。

来る者は拒まず去る者は追わず。入れ代わり立ち代わりする彼女たちを団員たちは丁重にあつかい、それゆえに人気者だった。


今もAを指導するニィハをBからGまでが囲んで見守っている。


「それでは首の後ろで、こうやって手を組んでいただけますか」


ニィハは言いながら実践して見せ、娼婦Aはそれを真似た。


「こう?」


「そのまま両肘を胸に付けるようなイメージで、そう顎を引いて下を向いて――。失礼いたしますわね」


ニィハはAの背中にピタリと張り付くと、首を抱えて下を向く娼婦の両腕ごと抱え込む。


「いきます」「えっ、なになに!?」


ニィハが「はい」っと上体を反ると娼婦の足が地面を離れ――。

バキバキバキバキ!! と、破裂を錯覚する程に背骨を鳴らした。


「やだっ! なにこれ!」

「絞め殺した!?」


尋常ではない大音響に一同色めき立ったが、いちばん興奮しているのは背骨を鳴らされたA本人だ。


「嘘っ、ぜんぜん痛くない! それになんだか身体が軽くなった気がする!」


こんな調子で劇団は受け入れられ、稽古は連日賑やかに行われていた。



体操を一通り終えると十三人は輪になって座った。今日の稽古内容についてイーリスが発表するのを待つ体制だ。


台本が無い都合、今日までは即興劇中心の稽古が続いていた。


「大変お待たせしました、エルフ姉さん監修のもと脚本が完成いたしました!」


イーリスの第一声は神妙な謝罪まじりの完成報告――。

オーヴィルが「待ってました!」と合いの手を入れ、ギュムも何となしに「おお」と感嘆の声を漏らす。


「――でね、皆に相談しなきゃいけないことがある。

ここからの稽古は全て脚本に沿ったものになります。

なので、皆が楽しんで参加してくれたレクリエーションみたいなことはお終いです」


それは娼婦AからGへと向けられた言葉だ。Bがイーリスに尋ねる。


「部外者は解散ってこと?」


本格的な稽古に入る以上、当然そうなるに違いなかった。しかし劇団は今回の演目に対しては深刻な人手不足。


「むしろ協力者を募りたいと思っているよ。ただ、相応の覚悟がないと務まらないってことを理解しておいて欲しいんだ」


前置きをするとイーリスは条件を提示する。


「――参加条件は以下の通り。


連日の稽古に必ず参加して、理不尽な要求に応えられて途中で投げ出さない人。

一生を左右する問題や身内の不幸に直面しようとも、公演を優先できる人。

自己管理をしっかりして終日まで病気、事故などにけっして見舞われない不死身の人。


以上を満たせる人にはぜひ参加して欲しい」


それらの条件はあまりに厳しく到底承服できるものではなかった。

それだけの難題を背負わされた上に完全なボランティアなのだ。


当然、即答できたものではない。



「現在、参加が確定しているのはギュムベルトを含むボクたち四人にユージムとエルフ姉さんを加えた六人だけ」


イーリスが参加者を列挙するとユージムが首を捻った。


「参加条件に了承した覚えがないんだけどな……」


不平こそ述べたが参加の意思は揺るぎなく、いちいち確認もされない。


「わたし、やる!」


娼婦たちの中で真っ先に参加を表明したのはユンナだ。勢いよく、ピンと指先を天に突き立てた。


「――参加しなかった祭りの思い出話とかをさ、後日、目の前でされてもムカつくし!」


その短絡的な動機に安心したのか、続いてCが手を挙げた。


「今後、何十年と体を売って生きてくだけの人生って思うと、間にそんなイベントの一つも欲しいなって」


結果、ユンナの他にB、C、D、Eの四人が参加を表明。

七人のゲストを加え、劇団は十一人の人手を確保することが出来た。


参加を見送った娼婦たちも可能な範囲で力を貸すと言ってくれた。



「台本は原本の他に写しが二冊あるよ。原本はボクが管理するから、残りを皆で使ってね」


イーリスは二冊の台本をパタパタと振りながら伝えた。

昨夜完成したばかりのものをイーリスとニィハが眠い目を擦りながら書き写したものだ。


これまでにない厚さの台本を捲りながら、オーヴィルが悲鳴を上げる。


「おいおい、この量を短期間で憶えるのは無茶が過ぎると思うぜ!」


台本には台詞の他に場面の説明や大まかな動きの指示などが書き込まれている。

本番ではそれを手離して動き、台詞を発する。つまりは物語一本の暗記が求められていた。


「――これは創設メンバーである俺の責任と負担が尋常じゃないなあ!」


その心配はイーリスによって彼の想像とは違う形で払拭される。


「大丈夫、おまえのセリフは少ないから」


「えっ?」


オーヴィルは情けない声を出した。


台詞を憶えることは大変だ。しかし、やるからには大役を担いたいのが人情というもの。

古参のメンバーと呼べる彼は疑いもなく、その役目を担うだろうと信じていたのだ。


「すぐ退場するから」


「えっ?」


そんな二人のやり取りを後目に、脂汗が浮き出るほどに苦しんでいる少年がいた。


「………………!?」


分厚い本を捲れども捲れども文字文字文字文字文字文字文字――。


ギュムはこれまで長編の物語を読破したことすら無い。暗記なんてものは買い物のメモ帳程度しかした試しが無かった。


ここからが本当の地獄の始まりである――。

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