◢三幕二場 長女メディレイン
行動を起こすべきは『道連れの呪い』が解けてから――。
草木も眠る丑三つ時。シェパドが隠れ家一体を見渡せる上階バルコニーへと赴くと、そこで長女メディレインと鉢合わせた。
「…………」
互いに存在を確認しているが、品定めし合うような不自然な沈黙が流れる。
他の姉妹たちとは異なり、長女とは今日までろくに言葉を交わしたことが無かった。
「――シエルは放っておいても良いのか?」
先に口を開いたのはレインの方だ。
「ああ、寝かし付けて来た。オレはどうにも目がさえてしまって、風に当たりに来たところさ」
人間と比べて感情に起伏の少ないエルフ族だが、彼女はとくに無機質めいている。
物怖じしないシェパドから見ても、長女レインには得体の知れない不気味さがあった。
今なにを考えているのか、これからなにをするつもりなのか、まったく想像がつかない。
次の瞬間に刺されるようなことがあっても、まったく不思議ではなかった。
「はて、意図して私に会いに来たように見えたのだが……?」
「確かに、あんたには聴きたいことがあったからな、良いタイミングとは思ったさ」
他人に興味など抱かぬものかと思えば、心の底を見透かしてくる。
事実、シェパドは彼女の居場所を探して屋上にたどり着いた所だった。
「聴きたいこととは?」
「呪いの解除はあんた次第だってリーンエレが言ってたんだが、経過はどんな感じだい?」
シェパドは軽い調子で尋ねた。
仲良し三姉妹にとって、三女を人質にとっている『呪い』は都合の悪いものだろう。
共同生活により対立の意志がなくなった今となっては双方にとって不要なもの、意図せぬ事故などを招く前に解除しようと考えて然るべき。
レインは質問に答える。
「手を付けていない」
「そうだろ、こんな危険なもんを放ってはおけな――」
その回答はシェパドの意図とは真逆のものだった。
「いま、なんて言った?」
「ああ、一切手をつけていないと言った」
「……手をって。まさか、この一ヶ月何もしてなかったってのか!?」
だとしたら自分たちはいったい何を待ちぼうけていたというのか。
これがエルフの感覚か、まるで締め切りの無い作家のように怠惰ではないかとシェパドは驚いた。
「なにやってんだよ。すぐに取り掛かってく、れ……」
掴みかからんばかり勢いで急かしたが、言葉を飲み込む。
ジッと観察してくるエルフの鋭い視線に呑まれていた。
「な、なんだよ……?」
射貫くような視線に萎縮しながらも、その意図を訊ねた。
呪いが解けたら処刑する。という当初の方針が彼女の中ではまだ有効なのかもしれない。
「手をつける必要がなかったのだよ。魔具の呪いは『その日のうち』には解けていた」
レインは呪いを放置していた理由について答えた。
「ラドルにかけた呪いは?!」
「私はそもそも呪いを掛けてはいない」
「はあっ!?」
ラドルが魔具を用いてシェパドとリーンにかけた『道連れの呪い』は即日効力を失った。
レインがラドルにかけたと言った『代替の呪い』は発動していなかった。
「――嘘を吐いたってのかエルフが!?」
「主義には反する。が、模倣が不可能ということもない」
騙して笑うでもない。驚かせて喜ぶでもない。淡々とした態度が不可解だ。
「なんだってそんな真似をした?」
即日切れる呪いでは戦略カードになり得ない。翌日に処刑するだけで話は終わっていただろう。
しかしラドルが決断し、彼女たちとの和解が成立する今日まで、レインはそれを黙っていた。
なぜ、そんなことをしたのか――。
「リーンの望みを叶えてやりたかったから」
リーンの望みとは、停戦を目的に今一度、人間たちと交渉を持つことだった。
それをあの時のシエルは許さなかった。人間にはとっくに絶望していたからだ。
過去に何度となく和平を試みてきたが、当主または世代が変われば人間は約束を反故にした。
同じ指導者のうちにも『情勢が変わった』と言っては裏切りを繰り返す。
結果としてエルフは和平交渉を徒労と判断し、そのほとんどが森を放棄した。
現在は抗戦派のオベロンが率いた三姉妹が残るのみである。
その上で、長女は三女の意志を尊重したいと一芝居をうった訳だ。
「シエルが貴様に懐柔されてしまったことは想定外もいい所だ」
魔姫シエルノーといえば、姉妹の先陣を切り多くの将兵に恐れられた魔軍の主力だ。
冷血の殺人魔人と恐れられた彼女が、人間の男にべったりになってしまうとは誰が想像できただろう。
「オレだって驚いたさ。あれじゃあまるで人間の女みたいだからな」
それはシェパドにとって期待以上の成果であったし、同時にある種の失望も感じていた。
得体の知れなかった存在が、とたんに身近なものに落とし込まれてしまったという落胆。
打倒を目指した魔物が、その辺にいる普通の女子だったことは複雑だった。
「シエルは、いや我々はもはやエルフとは呼べない存在なのかもしれない……」
エルフが皆、シエルのようになると考えるのは間違いだ。
姉妹は人間と徹底抗戦する道を選んだが、破壊や殺戮はエルフの信条とは逆行する行為だ。
殺すことへの抵抗を抑える為、シエルは強制的に『精霊酔い』を引き起こしながら戦い続けている。
精霊魔法により怒りや憎しみを増幅することで、本来の性格を押し殺して戦っている。
殺しを嫌う性質に、怒りや憎しみを無理やり注入して戦闘を強行している。
その副作用により常に情緒が不安定なのだ。
「人間とエルフの違いってのはなんだ? 寿命や見た目の他にはよ」
ふむと言って、レインはシェパドの問に答える。
「人間とエルフの最も相容れない性質は『競走』だろうね。
人間は全てに優劣を付ける生き物だが、エルフは競わない。人間は破壊や創造を好むが、エルフは調和と維持を好む」
結果、いざ衝突となった時点でエルフたちは大人しく縄張りを明け渡した。
殺し合いをするよりはその方が幾分かマシだからだ。
「じゃあ、アレだな。シエルがあんな調子なのは戦争のストレスのせいってことか?」
シエルが男性を求めるのはエルフらしからぬ行動なのだなとシェパドは解釈した。
しかし、レインはそれを否定する――。
「エルフにも発情期はあるんだよ」
シエルが恋に落ちたのは魔法による副作用だとは限らない。
「へえ、聞いてた話と違うな――」
長寿であるエルフは生殖への関心は希薄であるという話ではなかったか、シェパドは指摘する。
「わかった、千年に一度しかないから人間には観測されてこなかった。違うか?」
生物が季節や成長度合いに応じて発情期を迎えるとして、エルフのそれは周期が異常に長いに違いない。
その思いつきは的外れでこそなかったが、レインの解答は違った。
「群れの消滅を意識した時だ」
「なるほど、存続はあらゆる生物の使命だもんな」
尊敬や信頼、または美術的な価値観において異性同士が特別な共感をすることはあるが、平和に暮らしている限りエルフが男女を意識することは珍しい。
増やす必然性がなく、性愛を本能的に促される必要がないのだ。
焦りとは無縁であるが、しかし減ってしまった場合はその限りではない。
自分を含む全体をひとつとする価値観から、一人の死は群れにとっての大事だった。
それを聴いてシェパドはピンと来た。
「オベロンが死んだせいか?!」
「群れからオスがいなくなり、メスが三匹だけ残った。絶滅を意識するには十分な根拠だろう」
「つまり、その……」
「私たちは発情期に入っている」
エルフの発情期は群れの危機に直面しない限りは起こらない。
そして現在、三姉妹はその状況に置かれているということになる。
「なるほど、オレで良ければ力になるぜ」
シェパドはここぞとばかりに名乗りを上げた。
「私も抱いてくれるか?」
どういう訳かレイン自身も乗り気なのである。
「ああ、初体験はこのセックスマスターに任せておけば絶対に安心安全だ!」
「…………」
「ん、どうした?」
一瞬、確かに無機質な姫の瞳に光が刺した。そして輝きはすぐに闇に溶けてしまう。
「いいや、こんな不毛なことは止めよう」
「はあっ、なんでだよ!」
レインは衣服の袖を肘まで捲ると、それをシェパドに向かってかざして見せる。
「どうだ、気味が悪いだろう?」
皮膚の表面が蛇のような鱗で覆われていた。それら明らかな異形。人か怪物かと問われれば後者としか言いようがない。
「――首から大腿部にかけて、私の身体はこのような状態だ。
『深化』の影響だろう。現世と精霊界の双方に身を置くことで肉体が変質してきている」
ダークエルフになることで姉妹は精霊に対する強い強制力を得ることができた。これはその代償とも言える。
変質していくエルフの末路がどうなるのか――。
ダークエルフはエルフの群れから排斥され一切の交流が絶たれるため、その結末をレイン自身も知らされてはいなかった。
「そんな広範囲じゃあないが、シエルの背中にも同じようなのがあったぜ」
「どうやら精霊魔法の乱用が原因らしい。肉体派のシエルと違って私は頼りきりだからな」
半身を精霊界に置くことを『深化』と呼ぶ。その影響で肉体が変質することは『精霊化』とでも呼ぼうか。
マナの欠乏は死を招くが、循環過多も肉体に急激な変化を与えた。それが病なのか進化なのかは判らない。
レインは遠慮がちに視線を落とす。
「蛇女が相手では、さすがに気が乗らぬだ――」
「関係ねえっ!!」
即答の勢いにレインは圧倒される。
「……なん、だと」
対峙した時は及び腰だったが、交尾の話になるとシェパドの様子は一変した。
まるで、世界を終末から救うべく現れた救世主のごとき自信と漢気に満ち溢れている。
「舐めんじゃねえ、とりあえず穴があったらなんでもいけるのが人間のオスだぜ!!」
「そんなことを言われても心底嬉しくないのだが……」
カッコイイ風に言ってはいたが内容は最低だ。
レインは無駄な弱みを見せたことを後悔した。
それを望むのがいかに愚かでくだらないことかは一言で説明が着く。
「不毛と言ったのには訳がある。ダークエルフが人間の子を身篭ったという前例は無い。
貴様と交配したところで、何一つ問題は解消されない」
『深化』によって生物が大きく掛け離れるのだろう。エルフ間でも妊娠できるかは怪しかった。
発情期のスイッチが群れの絶滅であるにも関わらず、妊娠しない交配をしても成果を得られない。
「――なんの意味もないんだ!!」
そう言って、レインはその場に崩れ落ちた。
「……さっき、あんたは人間とエルフの違いは競争意識の有無だって言ったよな?」
絶望に塞ぎ込んだレインにシェパドは語りかけた。
「ああ、言ったがどうした?」
「エルフってのは同じ目的に向かって邁進する仲間たちで、それぞれが役割を全うすることで自己実現ができていると。
なるほど、納得だぜ。お前がいて助かっている。いなくなると困るって社会構造な訳だ。
人間は違うんだよ。ほとんどは居ても居なくても変わらねえんだ。変わりはいくらでもいるからな。
皆、自分の価値を作ることに必死さ。優れている。役に立つ。希少性がある。結果を残した。
そこに競争が生じると――」
長々と語りだしたシェパドに対してレインは戸惑う。
「これは今、なんの時間だ?」
「決まってるだろ!! セックスの時間だよ!!」
「………………あ、ああ。そうなんだ」
「つまり、オレは子供ができなくてもセックスをするってことだ!!」
「その結論に到達する道筋が、今の説明からは確認できなかったんだが……」
そうなんだ。とは言ってみたものの、全く理解が及ばなかった。
呆然とする魔姫に向かって、シェパドは尚も熱弁を振るう。
「存在価値の獲得を命題とする人間という種族にとって、セックスができたってことはな、一つ認められたってことなんだよ!
あんたが良い、あんたが必要だ。そう思われていることを確認する作業だ。その瞬間、自分は相手と繋がることを許される!
つまり自己実現が果たされて、心が救われている状態になるんだ!」
人間の第三者がこの場にいたならば、『必死すぎて痛い』そう思っただろう。
種族の名誉のために彼の主張を一刀両断したかもしれない。
しかし、異種族からの視点は違った。
レインはスルりと衣服を脱ぎ捨て、全裸を晒すとシェパドに向き合う。
「ならば、抱くといいッ!!」
よく知らないけど、生態が違えばそういう文化もあるのだろう。などと、レインはシェパドの言葉を鵜呑みにしてしまったのだ。
「その言葉に二言はないなッ!!」
「ふん、無意味な行為ならばしまいと思ったが、救済になるというなら話は別だ」
――手を差し伸べて救えるものならば救おうではないか。
それは空腹の相手に食事を振る舞うような、人助け感覚のセックスだ。
「ほら、さっさと救われるが良い!」
まるで大軍を指揮する将軍のように力強く、レインはシェパドに指令を下した。
しかし、余裕の態度はそれが最後――。
レインは自らの考えの甘さを後悔する。
星空の下、闇の三姉妹の長女、高潔なりしメディレインは押し寄せる未知の感覚に明け方まで翻弄された。
泣き喚き、命乞いを繰り返し、チョロチョロのチョロでコロコロと転がされることになったのだった。
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