第三幕 種族間和平交渉/第三章 稽古

◢三幕一場 三十日目


「キミたちに人間を害する気がないことはよく解ったよ。お互いの平穏の為にぜひ協力させて欲しい」


人間とエルフ、敵対する種族間の架け橋になる――。

選択を迫られたラドルが、全ての疑念を払拭し決断を下したのは猶予を与えられてから一ヶ月が経った頃だった。


「――精霊の通り道を守護することは人間にとっても、いや、全ての生物にとって必要なことだ。

それがエルフにしかできないことなら、人間は理解を示して保護するべきだと思う」



人々が樹海を『魔の森』と呼ぶのは、数百年にも亘ってその攻略が果たされていないからだ。


数多のモンスターが棲息し危険視されているが、人間が住処を追い立ててきた結果に過ぎない。

それらを悪と断じることは人間側の主観に偏った傲慢な表現だ。


エルフたちこそが先住民であり、争いの原因は人間側による一方的な侵略行為にある。ラドルはそう結論づけた。



「ありがとう。賛同してくれて嬉しい」


闇の三姉妹、三女リーンエレは人間の少年に感謝を述べた。


人間との争いを二百年も続けている彼女たちにとって、一ヶ月は待ったうちにも入らない。

話し合いはスムーズに進んだといったところだが、問題はここからだ。


「とはいっても、それをいったいどうやって実行に移すかなんだけど……」


ラドルは腕組みをしながら首を捻った。


一個人が理解を示したところで何の解決にもならない。

和平を結ぶ方法について、リーンはラドルを連れて姉たちに相談をしてみることにした。



しかし――。


「そんな方法は無い」


次女シエルノーの返答は素っ気ない。


「――はっ、ワタシたちになんの落ち度がある?

敵のする選択に配慮する謂れもない。短い命が惜しければ、あちらが手を引けばいいだけの話だ」


幾千、幾万もの命が失われ、それでも反省がないのならば仕方がない。

森に侵入するものは容赦なく駆除するまでだと、シエルは断固抗戦の意志を主張した。


「聴いて、ラドルはよく理解してくれた。こちらも歩み寄るべき」


身内を説得できないようでは人間たちと和解する以前の問題だ。

リーンは強硬な態度をとる姉の説得を試みる。



「――レインの身体のこともある。シエルにだってこれ以上の負担を強いる訳にはいかない」


「いらぬ心配だ。人間など物の数ではない」


二人の口論が熱を帯び始めた頃、昼過ぎまで寝こけていたシェパドが姿を現した。


「あ、アニキおはよう」


「おう、なんだ朝っぱらから喧嘩か?」


兄貴分は起き抜けの朦朧とした視界でエルフの姉妹を確認する。


「いい加減にしろ。何があろうとエルフ族が人間に譲ることなどはありえない!」


「シエル、腹が減ったんだが」


憤怒する次女を見つけるとシェパドはタイミングも構わずに声を掛けた。

口論を中断させれられたシエルは振り返る。


「そうか、朝食の準備をしよう。材料を採ってこなくてはならないが、待てるか?」


「なら、先に風呂に入りたい」


「わかった、すぐに用意する」


シエルはシェパドをかいがいしく世話しながら、リーンへの協力を拒否する。


「――とにかくだ、ワタシは人間に与するつもりなど毛頭ない!」


すかさずラドルが指摘する。


「説得力が皆無なんだけど……」


「なんだと!」


「シエル。どうかレインも交えて一度、真剣に話し合いを……」


「馬鹿な考えは捨てろ。じゃあな、ワタシは忙しいんだ」


リーンが説得の続行を試みたが、シエルの関心は完全に他へと移ってしまっていた。


「シエル、風呂と飯をはやく……」


「すまない! すぐに行ってくる!」


シェパドが催促すると、シエルはリーンとの会話を打ち切ってその場を走り去ってしまった。



「ラドル、シエルの様子がどこかおかしいとは思わない?」


「別人のようだね……」


リーンの指摘に、ラドルは今更といった感想を述べた。


本来、自分たちはいつ殺されてもおかしくない敵陣に囚われた捕虜のはずだ。

そのはずが、シェパドはすっかりシエルを飼い慣らしてしまっていた。



「おはよう、二人とも。オレはちょっくら風呂に入って来るぞ」


「ねえ、アニキ」


困惑する二人を横切り、立ち去りかけた兄貴分をラドルは引き止めた。


「――どうやったら今後、軍による森への攻撃を辞めさせることができるかな?」


シェパドは答える。


「オレたちが言ったところでなんの効力もないだろうな。エルフが言ったからそうすべきだ、なんて言って誰が納得する?」


人間の敵が『魔族』と置き換えられているように、エルフ部分は『化け物』や『敵』に置き換わる。

そんなものの言葉を鵜呑みにする者はいない。


「だけど精霊は確かに存在するし、エルフたちが世界の均衡を保っているのは事実なんだよ」


「事実ねえ――」


実に頼りない言葉だな。と、シェパドは思った。

損得に重きを置いた人間社会において『事実』などはまったく脆弱な代物だ。


そんな荷物を後生大事に抱えていては勝負に勝てない。

勝者も理想を口にはするが、それを心に据えているのはいつでも負け犬の方だった。



「何にしても、権力者に話を通さなけりゃ始まりようがないだろうな」


この場合は国王か騎士団長ということになるだろうか、命令の出処まで届かなくては意味がないとシェパドは述べた。


しかし、自由人の二人にとっては雲の上の存在だ。


「偉い人の知り合いとかいないの?」


「いるかよ、そんなの……」


シェパドは否定しかけて一人思い当たる。


「――いや、イブラッド将軍ならどうだ?」


六人挟めば会えない人物はこの世にいないとも言われている。

雇い主である彼ならば自然に接触できるし、騎士を通せば国のトップにだって届くかもしれない。


ただし、第七回討伐部隊はすでに壊滅していた。


「もう生きてないんじゃ……」


「あいつが部下より前に立つとは思えねえ、きっちり皆殺しにでもしない限りしぶとく生き恥を晒してるさ」


どういう訳か、シェパドのイブラッド評は辛口だ。


「だけど、あれからもう一ヶ月も経ってるんだよ?」


生きていたとして、とっくに見切りをつけてどこかへ行ってしまったに違いない。


「イブラッド経由で偉いさんに取り次いで貰う。これが思いつく限り最短の道だ。

なんなら、オレたちで行って説得してきてやろうか?」


シェパドはリーンを振り返った。


人間社会でエルフの真実を共有し和平を結ぶ。そのために二人を解き放つことは動理にかなっている。


リーンは首を縦に振った。


「尽力すると約束してくれるなら、わたしはそれで構わない」


「ちょっと待って――」


意義を唱えたのはラドルだ。


「せめて呪いが解けるまでは互いに目の届く場所にいた方が良いと思うんだけど……」


無鉄砲なシェパドを解放したらどんなトラブルに巻き込まれるか分からない。リーンがその巻き添えを食うのは理不尽な話だ。


人間側がシェパドを失ったとしても痛くも痒くもないが、リーンの損失は彼女たちにとって人口の三分の一を失うに等しい。


呪いが解けてから行動に移した方が安全だと思える。


「確かに、ラドルの言う通り」


リーンは二人の解放を思いとどまった。


「おい、まさか百年かかったりしないだろうな!」


「レインがその気になればすぐにでも解けると思う。でも、そうならないのが彼女なんだ」


エルフの時間感覚は信用ならないとシェパドは不安を訴えた。



「まあ、のんびりやろうよ。エルフの隠れ家も快適だし」


帝国軍の侵攻は二百年の間で七回。まさか今日、明日中に攻めては来るまい。

考えうる限りのことをしてから行動に移すべきと、ラドルはシェパドをたしなめた。


「べつによ、オレは一生このままでもかまわないんだぜ?

飢えもねえ、他人と比べて焦る必要もねえ、誰も憎まずバカにもされず、あるものをありのままに受け入れて生きる。

そんなのもまあアリだなと思えてきた所だ」


シェパドはそう言い残すと朝食の支度に向かったシエルの後を追いかけた。



「心配しないで。アニキとおれで、きっとなんとかするからさ」


二人きり取り残されると、話し合いに大きな進展がなかったことをラドルはフォローした。


リーンは悲観などしていない。対話を試みた時には言葉がまったく通じないことすら覚悟していたのだ。

反してラドルもシェパドも非常に協力的だ。その時点で、不安よりも安堵の方が遥かに上回っている。


「わたしたちは人間を誤解していたのかもしれない。多くがキミたちみたいなら、きっと和解は容易いだろうと思える」


ラドルにはその言葉が嬉しかった。まるで意中の異性を喜ばせたかのような達成感があった。

一ヶ月前、たしかにエルフを差別していた彼からは考えられなかった感情だ。


人間はその立場になって、実感して初めて考えを改めることができる。


「そうだね。みんながみんな悪人な訳がないんだ。真実さえ伝われば、きっと仲良くできるに違いないよ」


現世と精霊界の架け橋となり、上も下もなく世界の保存に務めるエルフ族。

彼女たちは、同族同士で手を取り合い、支え合い、まるでその宿命に殉じるかのように己の役割を全うしている。


それをラドルは美しいと思った。


「このような感情を、人間の言葉では何と言うのだろう?」


リーンはラドルたちとの間に芽生えた絆めいたものについて言及した。


ラドルは答える。


「わからないけど、きっと『友情』なんじゃないかな」


そして極力無難な言葉を選んだ。踏み込んだ表現をするには繊細で、勇気のいる問題だ。


――種族感に結ぶ架け橋をまずは友情と名付けよう。

嘘はいつも事実より大袈裟なものだから。遠慮がちな方が誠実だろうと思えた。


リーンは応える。


「そうか、ならお互いの『友情』がどうか裏切られることがないよう、大切に扱おう」


そう言った彼女の表情はときおり姉妹たちに見せるそれのように柔らかかった。

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