第十一話 イーリスと。

【公演40日前】


劇団が稽古場として借用しているスペースには一階就業スペースへの通路と、接待部屋のある二階へと続く階段がある。

とうぜん従業員たちの行き来があり、稽古風景は衆目に晒されていた。


ギュムベルトは眉をしかめる。


「やり辛いんだよなあ……」


人目を気にしていては劇団員など務まらないが、家族も同然だった従業員たちから奇異の視線を向けられて居心地が良いはずもない。


稽古の再会を待つギュムの視線の先で、エントランスを通過しようとするエルフ姉さんをイーリスが引き止めていた。



「わたしたちエルフは自然を尊重する種族よ。ドワーフや人間のように物作りに頓着したりはしないわ」


エルフ姉さんの反応は芳しくない。


「そうかなあ、劇団活動との相性はきっと悪くないと思うんだけど」


海賊騒ぎの後、接待中に引き出した話がよほど琴線に触れたらしく、それを題材にして公演の脚本を書いているほどだ。

イーリスはエルフ姉さんをいたく気に入っていて、不毛な勧誘は連日のように続いていた。


「優先すべきは現状の維持なの。核心的な活動なんかに興味はないわ。

脚本の上演許可なんて取りに来なくて構わない、好きにしたら良い。そのかわり放っておいて欲しいのよ」



――望んでいない姉さんがこんなにも求められているというのに……。


入団試験を控えるギュムの心境は複雑だ。



「……わかった、入団の催促は止める」


無理強いしたところで良い成果は得られないと、イーリスは勧誘を断念することにした。


「もっと早くに気づいて欲しかったわ」


「――その代わりなんだけど!」


安堵しかけた所に提案が畳み掛けられ、エルフ姉さんは嫌な予感を覚える。


「なにかしら……?」


「エルフの話を上演するに当たって、今回だけで良いからアドバイザーになってくれないかな?

エルフの描写に不自然はないかとか、こうした方がよりリアルだとか、修正をして欲しいんだ」


それは脚本の添削や演技、演出への指摘をする役割だ。

つまり入団しろとは言わないから、一公演にがっつり参加して欲しいという要望だった。


エルフ姉さんはため息をつく。


「興味な……」


突っぱねようとしたエルフ姉さんを説得すべく、ギュムが割って入る。


「姉さん頼む、この舞台に蝉のように短く儚いおれの人生がかかっているんだ!」


「…………」


成長をゼロから見守ってきた子供に頭を下げられると弱い。

劇団を手伝ってやる義理はないが、巣立っていく仲間の頼みくらいは利いてやっても構わないだろう。


「解ったわ。但し、口出しだけよ。それ以上は何も求めないで……」


「わーい!」


イーリスは諸手を挙げて喜びを表現した。


「ありがとう姉さん、恩に着るよ」


「その恩が無駄にならないよう、努力して欲しいものね」


力を貸した結果、適性試験に失格では格好がつかない。

ギュムは「もちろん!」と言って気合いを見せた。


彼女の仕事は脚本ありきだ。公演参加の約束を取り付けられたことで満足だと、イーリスは一旦エルフ姉さんを解放した。



「ふふっ、この調子で少しずつ劇団に染めていってやるぞー」


「おれが恨まれるんで、あんま無茶しないでくださいよ先生……」


ギュムはいつの間にかイーリスのことを先生と呼ぶようになっていた。


対等だと思うから反発や嫉妬がもたげる。ダメ出しにムカついたり、すでに連帯ができている三人に疎外感を覚えたりする。

そういった無駄を無くすために、わざと自分を下に見繕った。


「先生、稽古よろしくお願いします!」


人生経験に雲泥の差があることを認め、改めて経験値を吸収しようとする覚悟の現れだった。



「おっ、今日も元気にやってるね!」


軽い調子で稽古の輪に入ってきたのは雇われ警備兵のユージム。


「――なにをやってんのかは分からんけど」


当然のように持ち場を放置してきた。


「部外者は出てけよ!」


ギュムは冷やかしを締め出そうとしたが、それをイーリスに咎められる。


「本番は大勢の前でやるんだ。身内一人を恥ずかしがるなって言ったろ」


「身内だから恥ずかしいっていうか……」


茶化されるのが目に見えていて鬱陶しいのだが、確かにそれくらい耐えられなくては務まらない。


「ユンナも誘ってみたけど興味ないってさ、心底忌々しげな顔をしてたな」


そう言って、ユージムはハハッと笑った。


「あいつ、まだ不貞腐れてんのか」


パレス・セイレーネスを退職して以来、ユンナの一方的な敵視によって二人の関係はギクシャクしている。


「オレは好奇心が旺盛だからな、新しいことにはとても興味がある」


「おまえが興味を持つべきは施設の警備なんだが……」


――覚悟もなく参加したところで、どうせすぐ脱落するに決まってる。


そう結論づけると、ギュムはユージムの参加を受け入れることにした。



では、と切り出してイーリスが今日の稽古内容を発表する。


「そろそろ演技をしてみようかと思います」


「おっ、台本できたんすか?」


どんな演目が与えられるのかと皆が心待ちにしていたが、その期待は裏切られる。


「……まだです」


どうやらこれは周囲を待たせていることへの罪悪感からくる敬語のようだ。


「おい、急ぎで頼むぜ。一ヶ月切っちまうぞ!」


「……はい」


催促したオーヴィルへの返事も俯き気味だ。


台本は遅れるほど役者の負担になるため、一刻も早く手に入れたいものだった。

その負担をもっとも被ることになるのが自分だとも知らずに、ギュムはその様子をキョトンと眺めていた。



「話はもう頭からケツまで出来てるんだよ。ただ、どこで妥協したものかという葛藤ガガ……」


イーリスの言い訳をニィハがフォローする。


「せっかくの大作を少人数で演じられるよう、スケールダウンしなきゃいけないことが不本意なのよね」


やりたい物語があって十分な会場も押さえた。

しかし人手が足りないことから、登場人物を減らしたりエピソードを削ったりしなくてはならない。


「正直、もっと役者が欲しい。彼が最後まで付き合ってくれると助かるんだけど?」


イーリスに催促されてユージムは即答する。


「べつにかまいませんよ、暇だし」


「いや、暇じゃないだろ!」


ギュムが咎めた。二つ返事で了承したが、今この瞬間も彼は勤務中のはずである。


「――先生、こんないい加減なやつ戦力になりませんよ!」


やる気のない人間を加えて全体のクオリティが下がったら嫌だな、とギュムは思う。

それこそ、当日に寝坊したり姿をくらまされたりしては堪らなかった。


否定的なギュムをイーリスはたしなめる。


「舞台に上げるかは置いといて、当日は客入れから何から人手が必要になるんだよ」


四人いたら四人全員が舞台に上がる訳にもいかない、裏方の仕事がいくらでもあるのだ。



「という訳で、配役や分担を決める参考のために、とりあえず『即興劇』をやります」


その役者が舞台上ではどんな立ち姿で、どんなニュアンスのセリフを喋るのか。そして、どんな役を与えたら面白いのか。

『即興劇』は芝居感が鍛えられると同時に、役者の持つ魅力を見出すのに適した稽古法だと言える。


「――与えられた設定に沿って、各々が自由に演技をして繋いでください」


「設定って?」


ギュムの質問にイーリスは答える。


「前提というか、ここではゲームのルールみたいなもんかな」


イーリスはユージムを手招きする。


「彼、ちょっとここに横になって」


「?」と、思いながらも。ユージムは黙って指示通りに寝そべった。


「与える設定は、居合わせた三人と死体一つです」


演じるのはイーリスを除く、ギュム、ニィハ、オーヴィルの三人。


死体役のユージムは確認する。


「動いちゃダメですか?」


死体は動かない。という固定観念を崩す面白い質問だとイーリスは思った。

ユージムの頭のやわらかさを伺わせる。


「死んでいるって前提を崩さなければかまわないよ。死体って時間とともに変化するものだしね」


ココ、ソコと死体役の周りに三人を適当に配置すると、イーリスは離れた位置に座った。


「ここはどこでもありません。室内でも屋外でもかまわない。

貴方は貴方ではありません。自分以外の誰でもかまわない。自由に振る舞ってください」


自由ほど不自由なことはない――。


台本とは道しるべだ。沿って進めばかならず定められたゴールにたどり着くことができる。

しかし、自由とは全くの手探り状態のことを指す。進む方向も分からなければ、たどり着く場所も分からない。


『即興劇』では、道しるべの無い暗闇をけして立ち止まらずに正解を目指さなければならない。


「ボクが終了と判断して合図をするまで、決して芝居を止めないこと。


それじゃあ、始め!」



――さて、どうしようか。


一同、考えを巡らせる。


オーヴィルは死体役を見下ろし、何かしら湧き出してくるものを拾いあげようとする。


ニィハは神妙な面持ちで彼らから距離をとると、腰を下ろして縮こまった。


死体を前にしている前提からか、空気がどんよりと重くなる。


第一声を発したのはオーヴィル――。


「……埋めるか?」


それを受けて、ニィハはフルフルと首を横に振った。



「はい、ストップ!」


何かが始まりそうな予感を断ち切って、イーリスが芝居を中断させた。


「俺か?」「わたくしかしら?」


行動を起こした二人がそれぞれに自らの落ち度を疑う。しかし、原因は二人ではない。


「おまえだよ!」


指さしされてギュムは驚いた。


「えっ!? まだ何もしてない……」


「してください。突っ立ってるだけでもいいけど、せめてそこに『居て』くれ!」


「えっと、どういう……?」


なぜ怒られているのか、何を言われているのか、まったく理解ができていない。


イーリスは説明する。


「死体があってもなくても関係なく、皆はどうするんだろうなって眺めてるだけの『素のおまえ』だった!」


つまり、演技をしていなかった。


「いや、だって……」


「だって禁止! つぎ言ったら一回につき腕立て三十回ね!」


「なんでですか!?」


「できてないことの言い訳を探してる暇があったら、できるようになるんだよ!」


――そんなこと言ったって、『居て』ってどういうことだよ! すでに『居る』だろ、ここにこうして!


イーリスの指示をギュムは理解できていなかったが、即興劇は再開される。


「じゃあ、もう一回始めからいくよー!」


――分からん。分からんが、何かしらアクションを起こさなくては!



「はい、スタート」


「わあああ!!し、死んでいるううう!!」


何もしないことを咎められ、ギュムは思い切ってアクションを起こしてみた。


物怖じしない。それは褒められたことかもしれない。しかし、イーリスは即座にそれを中断させる。


「ストップ、ストップ!!」


「おれですね! なんでしょうか!」


何が悪かったのかは解らないが、自分が原因であることに疑いはなかった。

ギュムはダメ出しを待ち構える。


「やらないで!」


イーリスの指示は、やらないで――。


「なにを!?」


「やるな、なれ!」


「居ろとか、なれとか、なに言ってるかさっぱり解りませんよ!」


ギュムからすれば彼女の指示はあまりにも抽象的に感じられた。しかしそれは極めて基本的な指示だ。


イーリスは合点がいったという風に語りだす。



「あー、殴られ屋の進行が下手な理由が分かった。

おまえさ、演技を嘘の延長線でやろうとしてるだろ?」


演技を嘘の延長線上でやろうとしている――。

それのどこが間違いなのかがギュムには解らない。


殴られ屋で言えば、事実でない危機やチャンスを演出すること。

物語で言えば、起きてない奇跡に喜び、起きていない悲劇に絶望すること。


第三者にそう感じさせることが騙し、いわゆる『嘘』のテクニックでなくて何だと言うのだろう。


ギュムはイーリスの言葉に耳を傾ける。


「やろうとするなって言うのは、つまり。

悲しい場面を演じるときに涙を流そうとするのは間違いだってことなんだよ」


悲しい場面を演じる時に涙を流そうとするのは間違い――。

それはあまりにも意外な指摘だった。


「涙を流せば悲しみがより伝わるんじゃないですか?」


逆にそれ以外の方法をギュムは思いつかない。


「悲しくて泣く時、人は泣こうとはしない。涙を堪えようとする。

泣こうとして泣くのは、別の目的がある時だ。

だから、堪えた上で涙が流れるのが正解」


多くの人は涙を悲しみの記号と判断する。涙さえ流して見せれば感動してくれるかもしれない。

しかし、意図して流す涙は虚偽の涙だ。それを察した相手からは不快を買うだろう。


堪えようとした涙がそれでもこぼれてしまう。それこそが心の琴線に触れる。


ただ、それをやれと言われたとしても――。



「泣くべき場面で泣こうとせずに堪えろって、そんなの涙が出る気がしませんよ!」


あまりの難題にギュムは頭を抱えた。


全ては物語上の出来事で、実際に悲しいことなど起きてはいない。

そこで嘘以外にどうやって涙を流せるというのか。


「おまえが上手くやれないのは演技を八百長だと思っているからだよ。正直者だから、人を騙してる気がして後ろめたいんだ。


人間の機微を完全にコントロール下においてやれたらそれは優れた表現だけど、おまえには向いてないと思う。


やろうとするな、なれって言うのはそういうこと。嘘をつこうとしなくていい、嘘をなくしていく努力をして」


楽しいシーンで声を出して笑う。

悲し場面で涙を流す。

怒りの場面で大きな声を出す。


それらはその場しのぎ用の近道なのかもしれない。

ただ、その方向性で慣れてしまうと軌道修正が難しい。


「嘘をなくす努力……」


「悲しくないのに泣かないで、楽しくないのに笑わないで、言いたくなるまで喋らないで――。


本番中にそんな余裕はないよ、小手先のテクニックが必要な時もある。

けど、その為の稽古なんだから。焦らないで本当の気持ちを探して」


その言葉の意味をギュムは懸命に考えた。改めて、演技が舞台上でセリフを喋るだけの技術ではないことを思い知る。


それは繰り返しの稽古の中で実感を得る以外に理解する方法はないのだろう。



「じゃあ、もう一回始めから――」


「ちょ、ちょっと待った!」


イーリスが再び開始の合図を出そうすると、床に寝そべっていたユージムがそれを遮った。

そして苦渋の表情で訴える。


「すまん。そろそろ、体制が辛くなってきた……」


硬い床に寝そっべりっぱなしの身体が悲鳴を上げていた。

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