第七話 暴走する少年少女
早朝、パレス・セイレーネスの洗濯所――。
「馬鹿じゃないのっ!」
「それ何度目だよっ!」
ユンナの罵倒に、ギュムベルトは辟易という調子で悲鳴をあげていた。
海賊に占拠され、殴られ屋がそれを追い払い、入団試験に挑んだが昏倒。気が付けばいつもの朝が訪れた。
先日のことはまるで夢か幻のようだ。
美しい女性に出会い、運命の人かと錯覚もしたが、当前のように身の丈にあっていなかったという結末。
当面の目的を失った少年は通常の業務に戻っていた。
「恋ができないから外の世界を知りたい。とかなんとか偉そうに言ってた癖に、翌日にはコロッと堕ちてるのなんなの?」
実際のところ口にした当日には堕ちていたわけだが。
「――真の愛を求めた結果がけっきょく顔って……。
あー、ダッサっ! 心底ガッカリした!」
「顔じゃねーよ全てだよ!」
バチン! 小気味よい音を立ててユンナの平手がギュムの頬を叩いた。
叩いて、特に反省の様子もなく言い放つ。
「あっ、ゴメンね!」
「謝れば何をしても許されると思うな……」
こんな調子で、少女は何だか面倒くさい。
「あーあ、女子と喧嘩して負けたとか、心底ダサい。辛気臭い顔を見ているだけで苦痛」
「じゃあ、どっか行けばいいだろ」
「うるさい、死ねっ!」
バシッ! 水を吸った洗濯物を罵声とともにギュムの顔面へと叩きつけた。
「教えてくれ、どうすればおまえと正常なコミュニケーションが取れるのかを……」
仕打ちこそ理不尽だが情けない自覚はあるので反論しづらい。
意中の女性からは相手にもされず、ようやく見つけた目標には手が掛からず、降って湧いたチャンスを掴めなかった。
――おれはどうしようもない奴だ。
後悔から気落ちし、張り合う気力もわかず、されるがままである。
「なんだなんだ、大声だして」
騒ぎを聞き付けて、雇われ警備兵のユージムが参上した。
持ち場は当然、放置してきた。
「助けてくれ。ユンナがひどく突っかかってくるんだ」
ユージムが視線を向けると、ユンナはプゥと頬を膨らませて怒りをアピールした。
「いったいなにが原因だ?」
ユージムは弟妹たちをなだめる様にして訊ねた。ユンナは答える。
「ギュムがウチを辞めたい動機が不純だから、ムカついた」
昨晩、ギュムが派手にノックアウトされた経緯はユージムも把握していた。
ニィハ嬢の尻を追いかけて、所属先のメンバーに追い払われたとの認識だ。
「伴侶を見つけて子孫を残すってのは生物としての正解の一つだ。
不純ってこたぁねえし、悪く言うことはねえよ」
『パレス・セイレーネス』は自立した女性たちの職場だ。
マダムは未婚であるし、男に依存せずに生きていこうというポリシーの従業員も少なくはない。
それゆえに言葉こそ選んだが、ユージムはギュムの肩を持った。
「――あれだけの美女を見たら暴走して奇行に走るのが正常さ、間が抜けていてこそ青春ってもんだ」
「誤解があると思うんだが」
ストーカー行為があったと誤解しているユージムに対して、ギュムは意義を唱えた。
「恋はどんな賢人も愚者にするもんだし、それくらいの相手でないと惚れる意味がないとも言えるだろうな」
「ユージムは恋する意味より、働く意味を考えなよ」
持ち場を離れて説教を始めた警備兵をユンナが咎めた。
海賊に占拠された昨日の今日で、持ち場を離れて恋バナをしている場合ではないだろう。
「一目惚れをロマンチックみたいに美化するのってどうなの?
見境がないか、アホかじゃん。馬鹿げてると思う!」
「じゃなくて、おれはマジで劇団に興味があったんだよ」
なおも噛み付いてくるユンナに対して、ギュムは紛うことなき本音を打ち明けた。
そして、ギュムが本気を主張するほどユンナは不機嫌になるのだ。
「知らない!! 勝手にすれば!!」
「するさ!!」
あの出会いをきっかけに出来ないようなら、この先、一歩を踏み出せる日は来ない。
――マダムの許可が降り次第『パレス・セイレーネス』を卒業する。
ギュムベルトの決意は固かった。
一通りの雑務を終えると、ギュムは意思表明のために支配人室を訪れた。
「ママ、いま大丈夫? ちょっと相談があるんだけど」
マダム・セイレーンは書類仕事の手を止めると、気だるそうに息を吐き、ひとしきりギュムベルトの全身を眺めた。
「まあ、大きくなったもんだ――。出ていくってんだろ、当てはあるのかい?」
誰から聞いた訳でもないが察しは着く、子供は巣立つものである。
随分とのんびりしていたものだから、むしろ心配していたくらいだった。
「いや、まだ何も決まってないんだけど……」
即日抜ける訳にもいかないだろうと、先ずは相談に伺った次第だ。
先立つものは無いけれど、灯った熱が冷める前に行動に移す必要があった。
「そこにお座りよ」
決まりが悪そうに突っ立っている息子を座らせると、マダムは金庫から札束を取り出し、それをギュムの目の前に積んだ。
「……なに?」
訳が分からないといった様子でギュムは訊ねた。
「まさか自分がタダ働きでもさせられてると思ってたのかい?
だとしたら、お人好しを通り越してとんだ阿呆だよ」
それは仕事を始めてから今日まで、十年間分の給料だった。
「当然、諸々と引いてある。娼婦たちと比べたら微々たる報酬さ」
家賃、生活費、使い物になるまでの研修費などが差し引かれている。
言うなれば、今日まで一切それらの心配をする必要がなかったわけだ。
それでも、しばらく遊んで暮らせるだけの大金が手元に残った。
「開業するなり、勉強の足しにするなり選択肢を増やせるだろ」
「ありがとう、ママ!」
「何もしちゃいないよ」
労働の対価を得るのは当然の権利だ。感謝の必要など無いと、マダムは手を振ってギュムに示した。
未来を切り開くため、目の前の軍資金をどのようにして使うべきか。
一つだけ、ギュムの頭にはその使い道が思い浮かんでいた。
「ママ、相談があるんだけど――」
その日の夜――。
「こんばんわ。少し話しを聴いてもらえませんか?」
ギュムベルトが声をかけたのは、その日の仕事を終えた殴られ屋。
イーリスとオーヴィルの二人組だ。
定番となっている酒場からの帰り道で、イーリスは立ち止まった。
「なにか用?」
ギュムは要件を伝える。
「十年分の貯金を叩いてセイレーネスのホールを一日貸し切った! そこで演劇をやって欲しい!」
ホールを貸し切る条件は、スペースのレンタル料に加えて当日売上の補填だ。
五十人もの従業員と業務内容から、それは莫大な金額になる。
演劇をやるだけなら他にいくらでも安いスペースがあり、現実的ではないというのが結論だった。
「おいおい……」と、オーヴィルが呆れる横でイーリスが瞳を輝かせている。
高額のあまり手が出なかった念願のスペースで、『演劇をやってくれ』と言うのだ。
当然、見返りを求められるだろう。
「引き換えに入団させて欲しいって?」
「いいや、チャンスが欲しいんだ」
ギュムの要求はもっと誠実なものだ。
「――そこで俺が主役の演劇をやって、資質を見て欲しい!
それで必要だと思ったら、改めて入団を認めてくれ!」
それは再試験の打診だった。
分別のつかない若者の暴走をオーヴィルはたしなめる。
「悪いことは言わねえから取り下げて貰えよ。
もっと上手い方法がありそうなもんだし、なにも全財産を差し出すことはないだろ」
『劇団いぬのさんぽ』自体、一度も公演を成功させたことが無いのだ。
ひどい時には開始五分と経たず、観客と乱闘になって流れたことだってある。
十年の稼ぎを注ぎ込んだところで、まともな公演になる保証は無い。
「演劇がどんなものかも知らない奴がそこまでするなんてさ、正気の沙汰じゃないよ」
「そうだぜ。冷静になって、もう一度よく考えた方がいいって」
二人は提案を取り合わない。
親切心から、やめておけ、見合わない。と、繰り返し諭した。
それでもギュムは引き下がらない。
「そんなことはもう、身内から散々言われて来てるんです!
喧嘩に負けたから演劇を諦める。そんなんじゃ納得できない!
本当に劇団に必要のない人間かは演劇で判断して欲しいんだ!」
「あはははははっ!」
ギュムの必死の訴えに、堪えきれないとばかりにイーリスが笑いだした。
「何かおかしいですか?!」
「おまえに才能があったとしても、ボクのほうに見る目がないかもしれないぜ?
合否の判断だってさじ加減ひとつだし、利用だけしてサヨナラってことになるかもしれない」
その行動がいかに危険で見合わないか、イーリスは少年に脅しを掛けた。
ギュムは怯まずに即答する。
「そんなことにはならない」
「なんでさ?」
「そんな人間に、あの人はついて行かない」
あの人とはニィハのことだ。たいした面識もない人間を引き合いに出して、そんなものが根拠になる筈もない。
だとしても、劇団がまだなんの結果も出していないのならば尚更。
ニィハやオーヴィルみたいな傑物が委ねるだけの何かが彼女にはあるはずだと、ギュムベルトは直感していた。
「あんたのことは分からないけど、あの人が信頼する人間をおれは信じます」
イーリスは腰に手を当て頭を掻くと、何かしらを思案し、やがて結論をだした。
「いいよ、やろう」
「おいっ!」
一転、アッケラカンと承諾したイーリスをオーヴィルが責めた。
「ボクが説いた覚悟に対する答えがそれなら、受けて立つ義務があるよな」
なにが決め手か、イーリスはパレス・セイレーネスでの公演と、それに伴うギュムベルトの入団試験を了承した。
「あ、ありがとう!」
ギュムは提案を受け入れてくれたことに礼を言った。
渡りきれるかは分からないが道は開けた。
いや、切り開いた。
「で、小屋はいつを押さえたの?」
「小屋?」
「ホールは何ヶ月後の何日をレンタルしたんだよ」
準備にかけられる猶予期間を把握するため、イーリスは公演日時を訊ねた。
ギュムは答える。
「ああ、一週間後だよ」
「バカじゃないの!!」
「ええっ、なんで!?」
「すでに出来上がったものを出すのとは違うんだよ。
認識の共有から始まって、本を書いて、稽古して――」
必要な段取りについて列挙し始めたが、ギュムにはなんのことだかサッパリ分からない。
「それに美術と宣伝とで二、三ヶ月は欲しいところだよ!」
「えっ、そんなに時間が掛かるもんなのか?」
「おまえが全財産をドブに捨てたがるのは勝手だけど?!」
演劇とやらの準備には相当な時間がかかるらしい。
ギュムはマダムに相談し、二ヶ月後に日程をズラして貰うことにしたのだった。
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