第6話『ゆっくり、のんびり、生きていこう』
「でもやっぱり、一回帰る」
「はぁ!?」
散々泣きじゃくって、落ち着いたころ。
なんとも言えない、気恥ずかしい空気の満ちた車内でそう呟いた私の言葉におじさんは声を上げる。
「電車来ねぇぞ、しばらく」
「次ね、一時間後」
私はそう、電源を入れたスマホをタップしながら呟く。
あんなに電源を入れるのが怖かった文明の利器。確かに電源を入れた途端、つらつらと表示された会社からの連絡履歴に息が詰まったけれど、その間に挟まったまばらな着信履歴や、メッセージアプリの通知。
私を心配するうまの書かれた、たくさんの人達からの連絡に、私は息をのんだ。
そうだ。心配してくれた人はたくさん居たじゃないか。
転職を進めてくれた人、息抜きに出掛けようと誘ってくれた友人達。彼らの言葉が届かないくらい、あの頃の私は追い詰められていた。
私はきっと、また、頑張れる。
「週末に一緒に行ってやるから」
「ううん。大丈夫。会社に連絡して、大家さんにも謝りに行かなきゃだし。あと、友達にも会って来る」
「……そうか」
そう、困ったみたいに、ちょっとだけ情けなく笑って、おじさんは私の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「あとね、親子丼がどうなってるか……」
「親子丼?」
「出てくるときに出しっぱなしにしちゃった」
「……おまえ、それは」
「わかってる。やばい。換気とか、掃除とか、いろいろするから。だから、帰る」
「おう」
それでもまだ心配そうなおじさんに、私は笑う。
「大丈夫」
「おまえはアレだ、前科が多すぎる」
「わかった。じゃあ、今日の私の予定を発表します」
「お願いします」
気取って宣言した私に乗っかるように、仰々しくおじぎをしたおじさんにまた笑ってしまった。
「一時間後の電車に乗ります」
「はい」
「新幹線に乗り換えて、東京駅まで戻ります。で、また在来線に乗って最寄り駅まで戻ったら、近所のコンビニでマスクと消臭剤を買います」
「そうした方がいいだろうな」
「それから、ゆっくり歩いて帰ります」
今から戻ったらきっと東京に着く頃には日はすっかり暮れているだろう。
明るいあの街で星を見ることは難しいだろうけど、きっと、今夜の三日月は美しく見えるに違いない。
ここに来て、初めておじさんと一緒に見た、あの日の三日月に似たそれを東京でも見てみたかった。
「今度、東京での月がどう見えるか話してあげるね」
「楽しみにしとくよ」
そう言って、ハンドルに顎を乗せて笑うおじさんの横顔。それが、母さんの幸せそうなそれと重なって、はっとした。
ああ、そうだ。母さんは、こんな顔で笑ってた。幸せで幸せで、仕方ないって顔をして。
「……おじさん、私のこと大好きなんだね」
「バカ言え、ホトケサマの次だ」
「またまた」
ああ、そうだ、おじさん。あのね、もうひとつ。
「週末に、蛍光灯替えてほしい」
「……おお、いいけど?」
「ありがとう」
あの日途切れた蛍光灯。一緒に途切れたと思っていた私の人生を繋いでくれたこの人。
あなたと一緒に、生きてみたい。
この先も、ずっと、ずっと。
End.
歩いて帰ろう よもぎパン @notlook4279
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