第4話『坊主、襲来』




「ミョーケー君、居ますか」


 夜の勤行ごんぎょうを終え、本堂の扉を閉じていた私へと掛けられた声。

 振り返れば、そこには坊主頭の男が立っていた。


「連絡はしてあるんで、宗純そうじゅんが来た、って取り次いでもらえるとありがたいです」

「そー……じゅん、さん」

「ムネズミでもいいよー」


 そう言って、タレ眼がちの目を更に下げて笑う男。

 つるりと綺麗に剃り上げられた形のいい頭。それに不釣り合いな薄手のニットに、緩めのジーンズ。年齢は、明慶あきよしおじさんと同じくらいだろうか。


「……お坊さんだ」

「うん、きみの知ってる男もだからね」

「何やってんだ、おまえら」


 呆然と立ち尽くす私と、にこにこ笑う宗純さん?へと掛けられた声。

 呆れ返ったようなそれは、本堂と庫裏くりをつなぐ渡り廊下に立つ明慶あきよしおじさんが発したものだった。


「おー、明慶みょうけい久しぶり」

「悪いな、わざわざ」

「いーよいーよ、納骨の帰りだし」


 未だ立ち尽くしたままの私の前で、おじさんとお坊さんが肩を叩き合っている。いや、おじさんも正真正銘、お坊さんなんだけども。


 聞くに、宗純さんとおじさんは仏教高校時代の同級生らしい。

 え、つまり。え。宗純さんも同じ宗派なの?


「え、そんなに意外?」

「だって……その、あた、あたま……」

「ああ、これ? 確かにうちは剃らないやつ多いもんな」

「はぁ……」

「これはね、趣味」


 そう言って嬉しそうに頭を撫でる男に混乱する。触る?と頭を下げられたのでとりあえず触れせてもらった。

 なんだこれ。ご利益あるんです?


「お坊さんって感じしていいでしょ?」

「趣味……お坊さん……」

「ちとせ、そいつの話まともに聞いてたら馬鹿になるぞ」

「えぇ、それがわざわざ隣町から来てやった親友に対する言葉ですかぁ?」

「気持ちの悪い」


 そう言ってテンポのいい会話を繰り広げる姿を見る限り、宗純さんのいう「親友」というのはあながち間違いでもないらしい。


「ちとせ、俺、この阿呆とちょっと話してから寝るから、先に寝てろ。大丈夫だろ?」

「うん。大丈夫」

「ちょっとバタついたらごめんな」

「大丈夫」


 どうやら酒盛りする気らしい。グラスを用意して客間へと向かうおじさんに「生臭坊主」って言ったら苦笑いされた。

 いつもならもっと突っかかってくるくせに。


 寝る前にトイレに行こうと部屋を出る。

 客間から、「マジで一緒に寝てんだな」って宗純さんの声が聞こえた。さっきまでのおちゃらけたそれと全然違う、低い声だった。


「きついべ、正直」

「……いや、」

「俺に電話まで寄こしといて、まどろっこしいのはやめようぜ。なぁ、しんぽっつぁん」

「誰が新発意しんぼちだ……」

「言わせてもらうが、今のお前はそんなもんだぞ」

「だってこんなことになるなんて思わねぇだろ」


 がたん、と何かがテーブルに突っ伏す音にびくりと肩が跳ねる。

 どっ、どっ、ど。知らず無意識に詰めていた息と、暴れる心臓。


 私は、暗い廊下で、縫い付けられたように動けなくなっていた。

 聞いちゃダメだって、悪いことだって、分かってるのに。自分が傷つくだけだと、どこかで分かっているのに。一歩だって足が動かなかった。


「帰せよ、実家なり、東京なり」

「馬鹿言え……オムツまで変えてやったんだぞ。そのまま死なれてみろよ、二度と安眠出来る気がしねぇよ……」


 それに、と。薄く笑っているであろうおじさんの嘲るような声が、言葉を続ける。


「好きなだけここに居ろって、俺が言ったんだよ」

「わー、バカダナー」

「だから! こんな展開になるなんて思わねぇだろ、普通!」

「自分の愚かさを恨むんだな」

「ほんと……きっついわ、まじで……」


 いつの間にか、私はおじさんと共用の寝室へと戻っていた。トイレにも行かずに。自分がどういう足取りで、どんなことを思って、ここに戻って来たか、ちっとも思い出せない。

 気付けば私は、ぼんやりと天井を眺めていた。


 毎日、この時間が幸せだった。

 今日の目標を達成した充実感と、おじさんと立てた明日の予定への高揚感。心地よい労働への疲労感が混ざって、どこかくすぐったいくらいの幸せに感謝して、目をつむっていた。


 それが、今はドクドクと跳ねる心臓が痛くてたまらない。


 私の幸せは、おじさんの我慢によって成り立っていたのだ。私がバカでさえなければ、少しくらい想像出来たに違いなかった。私は、愚かな人間だ。


 胸が苦しくて、鼻の奥がつんとする。それでも、私が泣くのはお門違いな気がして歯を食いしばる。

 布団の中でぎゅっと目をつむっても、ちっとも眠くならなかった。


「……ちとせ」


 どれくらい、そうしていただろうか。す、と静かに襖の開く音がして、おじさんが仕切りの向こうで腰掛けたのが分かる。

 私はもぐり込んだ布団の中で、懸命に眠ったふりを続けた。


「ちとせ、寝たか?」


 私のことをもっと疎んだっていいはずなのに、おじさんの声はどこまでも穏やかで、混乱する。

 下手をすれば、愛情すら感じる声でこの人は私の名を呼ぶのだ。


「ちとせ、明日は何をしようか」


 少し酔っているらしい、ちょっとだけ舌っ足らずな声。いつもより熱い手のひらで私の頭を撫でたおじさんはそう言って、電気を消した。

 豆電球にされた薄暗い部屋にはすぐにおじさんの穏やかな寝息が響き始める。


 そんな空間で、私は一生懸命に考える。

 明日。そうだ、明日の予定を立てなければ。いつもおじさんと一緒にするように、明日の自分を想像するんだ。


 ぼんやりと見上げた天井。


 結局その日、私は少しも眠ることが出来なかった。

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