第35話

「一次落ちか」


あれから2カ月。

一次通過の日、同じメンバーで月坂の家で集まったにも関わらず、健闘むなしく僕の戦いははじめの一歩で終わってしまった。


僕が呟いて以降、沈黙が走ってしまうのがなんだか申し訳ない気持ちになる。


「どんまい」


そういって月坂は僕の肩をパンッと叩いた。僕はなぜかそれに笑ってしまって、


「くっそー、やっぱり厳しいなぁ。はー...」


分かった。甘くないってことは。

自分のすべてをぶつけてそれが無になったような、そんな感覚。


頬を流れる感触を味わうのは久しぶりだ。こんなに悔しくて、悲しいのはいつぶりだったかもう分からない。それにこんなの仕事以外でこんな気分になるなんて思っても見なかった。


良い大人がさ。たかだか趣味のコンテストで落ちたぐらいで、しかも知り合いの前で泣くなんて。なんだよ。もう。


「すっごく悔しいな」


流れる涙は止まらなくて。もっと出来ることはなかったのかって。


「それだけ自分が作ったものを想えるなら大丈夫よ」


「...」


心配して投げかけてくる言葉にも僕は上手く返すことができない。


「最後まで作り上げるってことは言い訳出来ないってことよ。結果を受け止めなくちゃ前へは進めない」


その言葉に誰も反論することはなかった。多分僕以外のみんな同じ体験をしてるのだろうと思う。僕はまだ一歩目を踏み出しただけ。


「月見里、そっからだぞ。これがスタートだ」


「うん。分かってる」


もう次は動き出してるんだ。こんなところで立ち止まってるわけにはいかない。


「兄さん、今度はきっちり間に合わせましょう」


「今回のは特例だからね。次はもっと現実的に組むよ。もう次の作品を書き始めてるからとりあえずそれを応募してみようと思うんだ」


「ああ、兄さんがずるずると執筆にハマっていく...」


「私は大賛成です。月見里さんにはクリエイターを感じました」


「いいんじゃない?優太の好きにすれば」


「それもそうだね。そうするよ」


好きにやるっていうのは良さそうに聞こえてけっこうきつい。自分で選択しなくちゃいけないし、その責任だって自分で負う羽目になる。


じゃあなんでわざわざそんなことするのって聞かれたら、やっぱり好きだからって言うしかないんだと思う。

簡単な道じゃないのは分かってる。でもだから面白いのかなって思うんだ。


それにもう一つ大きな目標が出来た。



それから一時間ほど経ってバルコニーにいる月坂から呼ばれた。


「はじめてきたけど風が気持ちいいね」


月坂の隣に立てば、高い場所から見下ろす光景と、吹いてくる心地よい風が僕の気持ちを安らかにしてくれた。


「ここ、あたししか来ないから」


「そうなんだ。柚白さんがバルコニーにいくことなんてなかったし、僕も呼ばれてなかったら来てないと思うよ」


月坂は僕の方を見ずにずっと遠くを見つめていた。


「もう平気?」


「うん、次のやつはもっと面白くなると思うんだ。自信はある。まぁ文章になったときにこの自信が続いてるかはどうだろう。頑張ってみるよ」


あれから仕事は定時で帰るようになった。自分の仕事だけを終わらせて、直帰。残業なんてめったにしなくなった。そのおかげで見事部長の評価は下がって僕の出世コースは閉ざされてしまった。


でも面白かったのが、部署内の人と話すときに深いところまで話しかけてくるようになったことだ。どうやら会社命に見えた僕には深く突っ込んだところまでは切り出しにくかったらしく、今では退職を決め込んでるグループとも飲みに行くようになった。


会社から一歩離れてみて、さらに交友関係が深まるなんて思っても見なかった。

ひとつだけ驚いたのは、そのグループの中に後輩の千羽がいたことだろうか。僕の知らないところでも世界はしっかりと回っているらしい。


「優太がまさかこんなことになるなんてね。出会った頃は思わなかった」


「ほんとだよ。次の応募までスケジュールに余裕ないし」


「そういうことじゃなくて。あたしツッコミじゃないんだけど。もう...どれだけハマってるのよ優太」


「え?ああ、ごめんごめん」


そういわれてもこれが日常になってしまったわけだから、もう元の生活に戻るっていわれても無理だ。土日ダラダラしてたのが信じられない。張り付いて書けば大抵の遅れは取り戻せるだろうと思う。


「ほんと感謝してる。あのとき声をかけてくれたから変われた」


「良いのか悪いのかわからないけどね」


「会社的にってこと?あー確かにそうかも」


「そういうこと。ね、感謝してるならお礼で返して欲しいんだけど」


「お礼か。それはもちろんいいけど、月坂にお礼って言ってもなぁ。ならお金じゃないだろうし、検討もつかないな...」


というより月坂に欲しいものなんてあるのだろうか。恋愛にもお金にも興味なさそう、というより興味がないと僕は思ってる。見てる分には何不自由なく暮らせてるわけで、その上でお礼っていったい何がほしいんだか。


「うん。ダメだ。全然分からないよ。そもそも月坂の行動指針って面白いかどうかだろ?それなのにニートやってるし、昼間は絵を描いてるし、正直全く読めないのが僕の総意だ」


考えを張り巡らせた結果なので仕方がない。僕は分かりやすく肩をすくめる。


「分からないのも無理はないわ。あたしに欲しいものなんてないから」


「答えがない問題をかんがえさせるのはやめてくれ...」


「優太」


「はいはい、僕にできることがあれば何なりと」


「そう、じゃあ言わせてもらう」


へっ?と僕がその言葉の真意に気づく前に月坂が言い放った。


「あたしのサークルに入らない?」


「...さーくる?」


意味も分からずオウム返しをした。月坂も理解できないのは察してくれたらしく、改めて言い直す。


「仕事辞めて、あたしが個人的にやってる活動に参加してくれないかってこと」


「...」


僕は頭の中でかみ砕いてから、答えを返した。


「仕事を辞めるわけを聞いていい?手伝う形ならそれこそ土日で良くないか」


「一人手伝いが居るんだけど、その人は働いててね。どうにも進みが遅くなるのが分かったから、傍にずっとフリーな人間を置いておきたいの。もちろん、雇うからには給料も払うわ」


月坂の表情はずっと真剣なまま。僕は大きく息を吐く。

友人に仕事を辞めて活動を付き合ってくれなんて、僕の常識じゃ考えられない。月坂は僕の知らない世界を見ている。ずっと先だ。


それにもう答えは出ている。


「ごめん月坂。僕はその提案に乗れないよ」


これは自分で決めた道だから。いくら月坂にだって変えられないものだ。

僕の返事を聞いた月坂は遠くを見つめたままで、


「分かった。理由を聞いてもいいかしら?」


少しだけ沈んだ声で再び問う。

僕の決意が伝わったのかすぐに理解してくれる月坂。仕事を辞めて、というだけあって彼女自身も簡単には言いだすことができなかったはずなのに。


「今回のことで、僕には目標が出来たんだ。今のところの夢だと言ってもいいと思う。それは」


「夢か。優太それって」


「ゲームシナリオライターだ」「ゲームシナリオライターじゃない?」


は...?


驚いた僕を見て月坂がけらけらと笑う。


「な、なんで知って...」


「いうなれば女の勘ね。...っていうのは冗談よ。そんな驚いた顔されても困るから。ゲーム業界受けて、シナリオ書いてって流れならおかしくない流れじゃない?あたしなんかその流れを間近で見続けてきたわけだし」


「言われてみれば」


「じゃあ問題ないわね」


彼女は「よしっ」と僕から離れて、


「あたしのサークルはゲームを作ってるの。優太にはそのシナリオライターをお願いしたい。どう?悪い話じゃないと思うわ」


くるっと反転して僕の方を向いた。


「え、ゲーム?月坂そんなことやってたの?知らなかったよ」


「言ってないから当然でしょ。今はあたしと真恵の二人でやってるの。いきなりいわれて戸惑うかもしれないけど、もちろん考える時間はあるから...」


「入るよ。月坂のサークル」


「うん...そっか。良かった」


へなへなと座り込む月坂。小さくなったって可愛いと言ったら怒られるだろうか。


「夢も叶うし、まぁ会社じゃないけどさ。誰と働くかって凄く重要だと思うんだ。きっと月坂の隣なら大変だろうけど上手くやれる」


「...当たり前でしょ。前もそうやって二人でやってたんだから」


「くっそ大変だったけどなぁ...」


「悪いけど、あのときの比じゃないから覚悟しててね」


断ろうかな。いや真面目に。


「それはそうと、退職するにも期間がいるから。多分2カ月ぐらいかかると思う」


「行動早いわね」


「自分でも分かってるから。これ以上続けても意味が無いってことは。これぐらいの熱量で働けてれば、また違った未来だったのかもしれないけどね。もうそれは考えないことにする」


「そう」


月坂は右手を差し出した。その手は思ったよりしっかりしてて、こどもじゃないんだなって感じだ。

僕もしっかりと右手でその手を握り返す。


「ようこそ、あたしのサークルへ」


その時見た彼女の顔は今まで見た何よりも煌めていた。

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