第32話
「...う、嘘じゃないんだよね?」
数秒ほど。いや、同窓会で月坂にニートと言われたときぐらい僕は固まっていたかもしれない。つまるところ、それぐらいの衝撃で。
「こんなタイミングで嘘つくような人に見えるんですか?私のこと」
やり取りをしながらも明日香は上から下に視線を動かして僕の書いたシナリオを読み進めていく。
「ごめん、明日香がそんなことするはずないよね」
その言葉に口角を上げた彼女は素っ気ない態度で言う。
「兄さんが私から興味無くすのが悪いんですよ」
「全く言葉もないです」
僕が知っていたのは新卒って情報だけ。それも年齢を知っていたからで朝スーツを着て出ていくのを見てそう判断しただけだ。あのときの僕は本当に回りのことも、近くのことだって見えていなかったらしい。
「でもなんでそんな職にしたの?」
そこでようやく明日香の目が僕を向いた。明らかに軽蔑するような、それは言い過ぎだけどうんざり呆れたような表情をする。きっとまたやらかしたのだろう。
「はぁ...。兄さんが作った漫画に一々口突っ込んでたの誰だと思います?」
「...明日香かな」
「兄さんが途中で投げ出しそうになったの誰が支えたと思います?」
「...明日香だ」
蓋をしていた記憶が空いていくように霧が晴れていく。そうだ、そこで明日香は
「私楽しかったんですよ。あの日々が。兄さんが作った漫画を世の中に広めるんだって思ってました」
「そう、だったのか」
「なのに兄さん漫画書かなくなって。しかもゲームもしなくなって。でも、」
「もういいんです。ようやくこっち側にきてくれたんですから。内心諦めてたので。
まさかこうして兄さんの作品に関われるとは思ってなかったですけどね」
その顔は泣いているのか笑っているのか分からなくて。でもその言葉が聞けて良かったという想いもあって。
明日香も言い終えたのか、再びシナリオに目を通す。
「時間ないんですよね?」
「うん」
「とりあえず兄さんは続けてください。これから兄さんが手を止めることは罪だと思ってください」
「わ、わかった」
「──出来ました」
ずっと集中していた明日香が、ピンと糸がきれたように言った。
「何か終わったの?」
「兄さんの原稿の校正です。私レベルですけど、普通の人がやるよりはマシかと。後で目を通して修正しといてくださいね」
「山ほどありそうだけど」
「山ほどありましたけど?」
ですよね。
「ありがとう。後で見るよ」
「はい。じゃあ私は晩御飯作りますから。」
「うん...」
カタカタ
「ふーっ」
僕は大きく息を吐いて、時計をチラッと見る。朝書き始めてから半日は立ってるだろうか。内容もその分かけていれば頭を悩ませることもないけど。
「問題は時間と拘りですね。なんども同じところを書き直しているようにも見えます。納期までに書きあがらないのでは、私が校正した意味もなくなってしまいます」
鋭いというかなんというか。明日香はもう最新の部分まで読んでくれているから、僕が原稿を上げるのを待ってくれている感じだ。僕の手が忙しく動いているわりに上がってくる量が少ないこと見てわかったのだろう。
「自分で自分の首を絞めてるのは分かってるんだ。でも手を早めて前回みたいなものに近づいていくのはごめんだ。自分ではそのギリギリで書いてるつもりなんだ。そうしないと何のために作ってるのかがぼやけてしまって」
「兄さん...」
「作品が僕から離れていくような気がする。それだけは嫌なんだ。」
「わかりました。仕方ないですね」
わがままだってことは分かってる。それでもまだ僕は諦めたくない。
「ごめん、明日香もう少しだけ付き合ってく...れ?」
見ると既に僕との会話を既に済ませている明日香が誰かに電話をしていて
「あ、すみません。mika先生ですか?ああ、はいそうです。今からです。では」
「兄さん、今何かいいました?聞いてなくて」
「もう少し付き合って欲しいって言ったんだけど、今の電話は?」
「今一番強い味方、ですかね一応」
悪戯っぽく笑う妹の顔に僕は首を傾げるしかなかった。
「....あ」
絶句とはこのことだろうか。僕は最近目を疑う機会が多い。どこからが夢でどこからが現実なのかとたまに疑いたくなるぐらいだ。
「なんでお前が居るんだ?月見里」
対照的に口がパクパク動くのは目の前にいる男。
「え?もしかしてお二人は知り合いでしたか?」
「いや、こいつとは知り合いも何もクラスメイトだったぜ」
「え....」
妹も固まったらしい。
兄弟そろって絶句したのは僕たちが初めてなんじゃなかろうか。
「...なんでお前ら固まってんだ?」
現れたのは上倉神、書店員バイトだった。
「おかしいと思いました。書き直す前の兄さんのシナリオの展開、最近私が没にしたものと似てるなと思ったんです。」
「俺も忙しかったんですって。それにあのシナリオはこうシンプルじゃないですか?相談されてすぐに渡せそうで月見里にも分かりやすそうなもので行ったらあれぐらしかなかったんですよ」
「なんで渡したんですか?兄さんに渡すならもっと良い感じのを渡していただければ」
「俺は面白いと思ってて、月見里がそれを生かしてくれないかなって思って」
「初心者に渡してどうこうなるわけないですよね?」
「いやいや月見里さん...」
「あの....」
「なんだ?」「なんですか兄さん」
「二人はどういう?」
「上倉さん、もといmika先生は私の担当です。彼はラノベ作家ですから」
僕の目は見開いたままで神を見る。
「隠してたつもりじゃないんだぜ?別に言う必要もないし、誰にも言ってない」
「ちょっと待って。じゃあ仕事を辞めたのも」
「察しが良いな。その通り。今の仕事先は定時で帰れて素晴らしいったらないぜ。で、俺の編集がお前の妹だったってわけだ」
「お手上げだ。もうついていけない」
「お手上げのところアレだが、時間ないんだろ?そんな話より急ごうぜ」
「ああ。うんってもしかして」
「そうです。先生を緊急招集しました。」
「ったく、俺も暇じゃないんだぜ。まぁでもお前のためなら一肌脱いでやるよ」
「...ありがとう。」
「上倉さん。兄さん文章力と筆力と構成力がないんです。助けて下さい」
「いいすぎじゃないか?」
「なるほど、こりゃひでぇ」
ひどいらしい。そりゃプロから見れば分かってたことだけど。
「月見里今は何が問題なんだ?」
「話の流れ自体はあるなけど、なかなか頭の中のイメージを言葉にできなくて」
「分かった。一先ずその頭の中にある流れを書き出して俺に見せてくれ。」
僕は大きく頷いて、そのまま二人に手伝ってもらう形で進めていった。
「...。」
「この調子だと初稿は出せても改稿と校正する時間がないな」
深夜になって続く作業の中で神が呟くように言った。それは明日香も分かっているようで返答することはなく。
「月見里がそれでいいっていうんならいいんだけどよ。俺も、お前の妹だって毎日付き合えるわけじゃないからな」
「分かってる」
ずっと睡眠不足だったから、頭がふらついてくる。言われていることは分かるけど、
これ以上頭を働かせたらパンクしそうで。
「つか、もしかしてこのまま夜通しやるのか」
「...」
沈黙という肯定すると、「マジかよ...」とだけ呟いて聞こえてきた。僕も逆だったらそう思うと思いながら心の中で感謝する。
「兄さん、何か飲み物作ろうか?」
「ありがとう。じゃブラックコーヒーで。神も同じでいい?」
「合わせたいところだが、今は甘いものがいいな。月見里さん、甘い奴でお願いします」
「りょーかいです」
気分転換にもなるのだろう、ずっと座っていた体をほぐすようにして飲み物を用意する明日香。
「で、月見里。この続きなんだが...」
「...合わせる...。そうか。なんで気付かなかったんだ」
「神、いけるかもしれない。明日香、作り終わったら来てくれ」
「?」
僕は三人を集めて
「...俺は賛成だが、いいのか?」
「私は兄さんに任せますから」
「それで行く。必ずいいものにして見せる」
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