第31話

それから明日香が作ってくれた晩ご飯を10分もかけずに食べて、ものの5,6分でお風呂に入って。何をするでもなく、ずっと同じ体制。といっても疲れるから休憩はちょこちょこ挟んでる。


「腰が痛くなってきた」


合わせて眠気もやってくる。僕は三大欲求の中で一番きついのは睡眠欲だと断言できる。朝起き上がるのが本当辛くて溜まらないからだ。このまま目を瞑れってしまえば今日の僕は天国にも上る様な気持ちで幸せになれることだろう。しかし、明日の僕が地獄を味わうので出来れば睡魔に負けたくない。なんだけど。


区切りの良いところで僕は一度手を止めてスケジュール表をチェックする。


(やっぱり無理...なのかなぁ)


いくら月坂たちに力を借りたところで、結局書くのは僕一人。それは変わらない。ただ二人にいくつかアイデアをまとめてもらったのに、焦りが出てきてしまう。せっかく整えた内容も書いていく内に安定感がなくなってきて、またしても読みにくくてごちゃごちゃとしたものが出来上がりつつあった。


「簡単じゃないってことは分かってた。それでもやるって決めたんじゃないか」


なんであの時の僕は、作り直すなんて無茶したんだろうって思いがちょっぴりとだけ芽生えてくる。選択しなかったもう一つに未来に縋りたくなる。だけど、いくら考えたところで、あの時の僕は何度やっても同じ選択をしてたはずだ。行き当たりばったりだったのかもしれない、でもここで辞めたらもう僕は自分の選択した道への自信がなくなってしまう。多分それはこれからも引きずることになる。


僕の選んだ道でも歩けるってことを自分で肯定したい。

誰が見てなくてもこれは僕の戦いだから。


「何徹してでも、書き上げてやる。自分で選んだことぐらい最後までやりきらせてくれ」




「...さん」


「兄さん」


...なんだ人が気持ちよく寝てるときに。

ほぼ無意識で、声のする方に手を伸ばす。


パフッ


ん?...パフッってなんだ?


「に、に...兄さんっ!!」


「うおわっ!」


真隣で優しく聞こえていた声が罵声に代わり僕は、飛び上がるようにして頭を上げた。その声の方には顔を赤くして軽蔑したような目をしている明日香がいて、視線を下げるとその胸元には僕の手があって...


「!! いやこれは、その」


「謝る前にまず、放してもらえますか。その手を!」


慌てて手を引っ込める。まだ頭が動いていないせいか、触ったまま謝ろうとしていたらしい。ここは素直に、


「ごめんなさい」


「もう...。あり得ないです。朝から何てことするんですか!」


「ほんとごめん。悪気はなくて...」


両手を組む明日香にどう謝ろうかと考えているうちにようやく脳が働き始める。


朝から?それってまずくないか!?


「明日香、今何時?」


「朝の10時です」


「っ!?」

昨日覚えてるだけでも朝の4時までは起きてたはずだ。

つまり6時間も寝てしまった、というわけで。


「マジか...」


昨日までずっと気を張っていたはずの体をだらりと脱力させて天井を見上げる。


「やっぱり兄さんのここ最近睡眠時間が短すぎたせいだと思います」


明日香の言ってるがちっとも頭に入ってこない。少し気を抜いたせいで大切な時間がドカッと消えていく。あとこの一周間。この間で書き切る力だけ、それだけでいいっていうのに。僕は...。


『無理』という文字が頭をグルグルと回り大きくなる。


僕の本気が足りなかったのか?

せっかくあの二人を巻き込んだのにか?

僕が甘えてしまってそれで呆気なく終わるっていうのか?


「...くそっ」


僕は自分を奮い立たせるために頬をパチンと強めに叩いた。諦めたくない。少しでも可能性があるならそこに懸けたい。


「明日香、起こしてくれて助かったよ。何も無かったら昼過ぎまで寝てたと...?」


言いながら明日香を見ると、コンビニの袋を持っている。つい先ほど買ってきたらしい。僕の言葉を最後まで聞く前にその中をゴソゴソと漁って取り出したもの

をコトリとテーブルに置いた。


「エナジードリンク?あ、ありがとう?」


わざわざ買いに行ってくれたことに感謝しながらも突然のことに僕は少なからずの疑問を持って、再度明日香を見やる。


「兄さん、一先ず落ち着いてください。深呼吸です」


「え?」


「深呼吸です」


明日香の言葉に押されるようにして、僕は言われるがままにゆっくりと息を吸ってしっかりと吐いた。


「とりあえず、ご飯、作ってあるので食べてください。作業中眠たくなったらそれを飲んでください」


食卓を見れば、朝食らしい朝食が並んでいる。こういう状況でなければ有難く頂くところだ。ただ寝た分を取り返さなくちゃという思いが僕を急がせる。


「ありがとう。後でゆっくり食べるから」


そう返して、僕は昨日の続きとなる作業を始めようとする。しかし、明日香はそれを遮ろうとグイッと身体を近づけた。


「間に合わせたいんですよね?それなら私のいうことを聞いてください」


当たり前だ、そんなの。


「いや、だから今...」


そこで初めて時計を見てようやく違和感に気づいた。


「あれ?僕が有給とりすぎておかしくなったのかな」


「今日は平日、だよね?もう明日香は仕事に行ってないとおかしいような...」


ようやく気付きましたか、とでもした顔でフッと笑みをこぼす明日香。


「兄さんの言う通り平日ですよ。今日だけは休みを貰ったんです」


「それは...」


「そうです。そんな姿の兄さん見てたら仕方ないじゃないですか。手伝います私も」


「いいのか?」


「良いっていうかもう休みましたし。断っても遅いですよ」


僕が感謝の言葉を告げる前に明日香は自室へ向かって、戻ってきたときにはノートPCを抱えていた。


「早速ですが、今書いてる分を読ませてもらえます?」


「ん?ああ、それは構わないけど...」


データを受け取った明日香は何を言うでもなく、自身のPCでデータを開き、シナリオの初めから読み進めていく。


「ありがとう明日香」


関係のない明日香を巻き込んでしまったのは僕の責任だ。それだけ心配させてしまったということだろう。


「いいんです。私がやりたいだけなので。それに兄さんが私を頼らないところも感心したっていうのもありますし」


「そりゃそうだよ。全く関係ない明日香を巻き込むわけにはいかないからね」


始めから付き合ってくれてる月坂たちならまだしも明日香は飛び入り参加みたいなものだ。それでも会社を休んでまで手伝ってくれるって言うのだからその好意を無下にする方が良くない。


集中して読む明日香に悪いので、邪魔しないようにあまり話しかけるのはやめておこう。


「読みにくいし、大変だろうけど何か感想が貰えるだけ参考になるから。お願い」


「いえいえ。まぁ仕事でもやっていますし、普通の人よりは貢献できると思います」


「うん。...仕事?」


言葉に疑問を持った僕が明日香の方を見る。視線があって、顔を傾げ続ける僕と時間経つごとに頭を下がっていく妹。


「まさか兄さんそんなことも知らないんですか。どれだけ私に興味なかったんですか」


(そういえば、妹って何の仕事を...)


「別にどこで働いてても関係ないですしね。こんなことになる未来なんて想定外でしたから」


僕は黙って明日香に続きを問う。


「私、こういった媒体の編集やってるんです。仕事で」


「...マジ?」


「マジですね」


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