第30話

〆切まで残り2週間を切った。


週末は月坂と柚白さんの力を借りながら、平日は一人で部屋に引きこもるかリビングでキーボードを叩き続けることを繰り返す。それでも中々思うようには前に進まないのが現状だった。


これが例えば書類仕事だとして、ある程度フォーマットが決まっているものであればPCとにらめっこする時間分だけ書き進めることは出来ると思う。


しかし、創作となればまったく別物。答えはなくてフォーマットと呼べるようなものさえ僕にはまだない。調子の波しだいでは上手く書ける日もあるけど、それでも思うような文量を書き進めることは難しかった。


頭に浮かんだイメージを文章に落とし込むのだって簡単じゃない。調子関係なくかけるのがプロなのかもしれないけど、今の僕には到底無理な話しだ。


「寝る時間削った方がいいかもなぁ」


悔しいけどこのままだと絶対間に合わない。でも納得できないものにはしたくない。


「ただいま」


「あ、おかえり明日香」


挨拶だけ交わして、明日香はそのまま自室へと上がっていった。僕もまたPCに向き直ってウンウンと唸りながらちょっとずつ進めていく。


「...」


「大変そうですね」


「あ、降りてきてたのか」


モニター以外に気を回していなかったせいで、着替えてきた明日香が後ろに近づいていたことにさえ気づけなかったらしい。


「まぁ、締切が近いからね」


それだけ言ってまたキーボードをカタカタといわせる。そんな僕の座るソファーの隣に明日香も腰をかけて「ふぅ」と小さく息を吐いた。対して気にせずにそのまま作業を進めていると


「休憩したらどうですか」


「区切りの良い所までは進めておきたいから、そこまでいけば」


「兄さんがそんなんだから、私一人で行ってきたんですよ」


「へ?どこに?」


その返事にため息を吐くのが聞こえてきて、何か忘れてることあったっけ?と手をとめて暫し回想にふける。


...。


数秒考えても答えが出ることはなく、明日香は諦めた口調で言う。


「前に言いましたけど、ゲームのコミュニティイベントです。記念すべき第一回の開催で、会場には人数もそれなりにいてけっこう盛り上がったんですよ?」


そのときの会話を思い出すのと同時に、この前の月坂に誘われて外出した日のことが頭を浮かぶ。


「ああ、それなら見たよ。明日香が会場に向かってるところ」


「え?兄さん外出できるなら言ってくれればよかったのに。誘えばよかったです」


アレは遊びに行ったというより、柚白さんの笑顔でなんとか家から出ることが出来たような感じだった。


「少し前まで休日は家にこもってばかりだったのに、最近はすぐどこかに出かけますよね。帰ってくるのも遅いみたいですし」


「友達の家にね。色々と手伝ってもらってて」


「兄さん...」


何故だか僕の言葉に明日香は感極まったような声を上げる。


「友達いたんですね」


「いるよ!」


「だって、休日は家から出ないですし、誰かを家に連れてきたこともないですよね。最初は何とも思いませんでしたけど、ここ数年は兄さんの交友関係が心配になってしまって」


妹に交友関係を心配される兄なんてこの世にいるのだろうか。おそらく僕だけだろう。いや、そうじゃなくて、


「最近出来たんだよ。ほんと偶然なんだけどね」


偶然お店の前で出会って、一人でいるところを話しかけられて、落とし物がキーだったのかもしれない。もう3カ月ぐらい前の出来事なのに、ここ数カ月があっという間過ぎたんだと思う。


「同じ会社の人、とかですか?」


「ううん、仕事とは全く関係ない人」


「いいですよね。そういう関係。私はゲームの中で顔も知らない人と友達になることがあります。お互いのことを知らないから仕事関係なく面白い話が聞けたり。オフ会でいざ会ってみると私と同じぐらいの歳だったりして」


「分かる気がする。最近分かるようになった」


月坂に出会う前の僕だったら聞き流すぐらいの内容だと思う。ずっと会社の中にいたら気付けなかったようなことがたくさんあったし。


その続きのまま、ふふっと笑う明日香は僕の手元に目をやった。


「その友達と遊ぶためにも、身体は大事にした方がいいと思いますよ?」


「あと少しなんだ。そこまで終わったらまたいつも通りに戻るよ。心配かけてごめん」


「ほんとです。私も夜中までゲームはしますけど、睡眠時間は調整してます。」


そうなのか。しっかりしてるな明日香。


「最近の兄さんは危なっかしいです。それにあくまで趣味なんですから、それこそ応募するコンテストだってたくさんあるわけですよね?無理に間に合わせなくてもいいと思うんですが」


明日香のいうことは最もだと思う。僕だって趣味に神経すり減らした経験なんてないし、傍からみればどうしてそこまで、って思われても仕方ない。頑張ったところで給料が増えるわけじゃないし。でもこれだけは譲れないんだ。


「目標だから。やっと見つけた目標だからやりぬきたいって思ってる。仕事とは全く関係ないけど」


僕の妙に納得したような言葉に明日香は懐かしむようにして言った。


「こどもの頃を思い出します。兄さんが何かを一生懸命に作ってるところを見ていると」


「昔...?ああ、僕が見様見真似で漫画を描いてたときのことか。確か小学生ぐらいだったっけ?」


微かに覚えてる記憶だと、小学生のときに読んでた漫画が相当面白くてそれを誰かに広めたいと思ったんだ。それで思うがままにノートに書き写して学校に持って行って。そんなことがあったように思う。中学で止めてしまったからほとんど覚えていないけど。


「あの頃は家に帰ってくるなり、好きな漫画を模写してた。いつか専用のノートがあったのを覚えてる」


「そうです。学校に漫画持ってきちゃいけないって決まりがあったのに、兄さん模写してるから良いって荒業でうまいことやってましたよね」


思い出しながら何やってんだと思う。あの頃はなんのしがらみもなくて。ただ自由に思いつくままに生きてたんだ。それがその結果だと思うけど笑えて来てにやけてしまう。


「我ながらによくやってたよ。今考えればすごく効率悪いことやってた気がする」


「でも結局先生に見つかったんですよね?」


「そうそう。てっきり怒られると思ってたんだけど褒められたんだよね。絵だってうまいわけじゃないのに」


「多分怒られても続けてたんじゃないですか。あの頃の兄さんは自分を押し通してましたからね」


「そうだったの?今じゃ考えられないけどなぁ。いつの間にか変わっちゃったのかな僕は」


色々あった。色んな人と出会って影響されて。それで今の僕がある。昔のままなんてことは


「でも」


明日香は頭を傾げた僕の顔を真っすぐ見て


「今の兄さんはその時と同じ顔してます」


「それは良いこと、なのかな」


「兄さん次第ですね」


僕はその言葉はプッと噴き出してしまう。


「大人だなぁ、明日香は」


「いや兄さんが子供っぽくなったような気がします」


「そうかもしれない。きついけど楽しいのはきっとそれが原因なんだ」


「全く、兄さんはいつまでたっても世話が焼けるんですから」


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