第20話

「...ありがとう。私の質問はこれで終わりだ」


目の前に居座る重役からいくつかの質問を問われた。およそ15分程度だろうか。


「...ありがとうございます」


「大丈夫かい?部下から聞いた情報だと、もっと元気な君を想像していたんだが」


「今朝少し体調を崩しまして。すみません、管理不足です」


「そうか。帰ってゆっくり休むと良い」


──。


「さすがにまずかったよなぁ」


間違いなく今朝のあの一件が原因だ。それが面接始まる前から今の今までずっと心に引っ掛かっていた。あの時のことを明確に思い出せるあまりにその気持ちに引っ張られてしまって受け答えがおろそかになってしまった。


この道は間違っていないはずなのにどうしてこんなにも迷ってるんだ。


今から職種を変えるなんて出来っこないのに。


途方に暮れた僕は噴水公園を横切る。そこにはいつものベンチ近くでスケッチブックを広げ絵を描く月坂の姿があった。


「つ...」


集中している月坂の邪魔するのはやめておこう。急ぎでもないし、手が止まるまで待つことにする。


「...。」


後ろからコッソリと覗いてみる。やっぱり僕が言うのもなんだけど、絶賛するほどうまいわけじゃない。が、


「上手くなってる...」


零れるようにして呟いた声が聞こえたらしく、彼女は手をとめて僕の方を振り返った。


「あと5分だけ待ってて。もうすぐ終わるから」


邪魔にならないようにベンチに腰を掛けて、彼女が一段落するのを待った。


「すごいね。前より上手くなってる」


以前との差が明確に表れている。一言でいえばバランスが良くなり違和感がなくなった感じ。


「まぁね。始めたばっかりだから当然かもしれないけど」


「まさかほとんど毎日書いてるの?」


「最近はそうかも。大体2カ月目ってとこだと思うわ」


月坂は手元のおおよそ完成している絵を見ながら言う。


「2カ月でこんなに上手くなれるなんて。僕なら絶対無理だよ」


「優太も絵描いてたんだ。もしかしてあたしより上手い?」


感心したように言う月坂に僕は慌てて返す。


「なんでそうなるの!?絵なんてからっきしだよ」


このかた26年間描いてみたいと思ったことはあれど、やったことはない。


「なんだ。じゃあ絶対無理なんて分からないじゃない」


その言葉に僕の常識は崩れそうになる。彼女は少し夢見がちなところがあると思う。


「それは無理があるよ月坂。希望を持たせてくれるのは嬉しいけど、絵書きっていうのは子供の頃から描き続けてる人がなれる職業でそれこそ美大に行く人が...」


憧れてからでは遅い。そういうものはある。才能が必要になる職業なら尚更だ。なのに、


「いつ初めても関係ないでしょ?そんなの」


言葉を遮って当たり前のように言ってくる。だけど、それはいくらなんでも


「そんなのが曲がり通る世の中じゃないと思うけど」


「あたしはそうは思わない。いつから始めるか、なんて大きな問題じゃないもの」


月坂は疲れを取るように両腕を上げて、うーんと伸びをしてから言った。


「自分を信じて続けられるか。問題はそれだけよ」


「自分を信じて続ける...」


「そ。やる前から言い訳して諦めて自分の可能性を潰すのは簡単でしょ。誰だって出来る。でもあたしはしない。今だって一カ月前は感想さえ言わなかった優太が褒めてくれた。続ければなんとかなりそうって思えてこない?」


「...」


僕は反論するでもなく、さっきまでせめぎ合うまでもなかった考えが揺れ始めているのを感じていた。


「結局今やらなくても何年か後になって後悔する。それだけはしたくないから」


月坂の言うことは分かる。分かるけど、そんなの僕に言わせればキレイごとで、幻想で、...縋りたくて。


「はーっ...」


「あれ?なんであんた死にそうな顔してんの!?」


ガックリと項垂れた僕を見てびくりとする月坂。

月坂は趣味でやってるかもしれないけど、こっちからしてみれば人生を分ける選択なわけで。そりゃそうもなるって。


「...迷ってるんだよ。目の前には人生安泰ルートが見えてる。なのに月坂がそんなこと言うから僕も...少しだけ夢を見てしまう自分がいる」


0からのスタート、しかも仕事になるかすら分からない方と経験を活かした大企業。普通なら悩むことすらおかしいレベル。もちろんの後者の方が良いはず。だけどクリエイターを夢見た気持ちを捨てていいとは思えない。


「うーん...」


自分で決めるのがこんなにも難しいなんて思わなかった。誰かに道を決めて貰った方が万倍マシだった。


それでも、この選択は僕が選ばなくちゃいけない。


「解決したい?」


「うわっ」


耳元に息がかかってゾクッとする。いつの間にか彼女はすぐ傍まで近寄ってきていたらしい。自分の世界に入り込んで周りが見えてなかった。


「どう?」


悪戯っぽく笑う月坂がもう一度問うので、僕は肩をすくめて


「...当たり前だよ。分かってると思うけど、この選択は自分で決めるから」


これは決めたことだと言い聞かせる。


「別に助言なんてする気ないから。まぁ見てなさい」


そういうと月坂は鞄から財布を取り出し、一枚を僕に見せる。


「これ10円ね」


「...」


なんだこれ。


「バカにしているわけじゃないわ。まず、裏と表に今悩んでる二つを紐づけて。...出来た?」


「まぁ、うん」


「で、あたしが今からこのコインを上にはじく。止めたときに見えている方が優太の選ぶ方よ」


「待って。そんな簡単に」


「優太が自分で決めれないからでしょ?いくわよ」


「ちょっと待ってくれ...僕はっ」


──パシッ。


大きく上に弾かれたコインは、彼女の左手の甲に収まり右手で覆われている。


「やっぱり無理だ。こんなことで僕の人生が」


「今」


「?」


「このコインが落ちてくるまでの間、何が頭に浮かんだ? ...ううん、を願ったの?」


「...」


時間で言えば数秒だったと思う。

誰かに流されるままだった人生からやっと一歩踏み出して、大きなチャンスが降ってきて。そこまで終わっとけば良かったのに、自分から勝手に試練を作って悩んで。本当にどうかしてる。


「月坂、僕はバカなのかもしれない。だけど...」


「優太。違うわ」


「なんだよ、今いいところで」


「それが生きてるってことだとあたしは思う。どちらを選んでもね」


僕はこくりと頷いて、月坂と別れた。


──僕が目指すのは。抑えつけていたこの気持ちは。



家に戻って。


「さやかさん...謝らなければいけないことがあります」


携帯越しに自らの決断を告げる。どう言われても受け止める。その覚悟は出来ていた。


「...兄さん」


「明日香」


「誰かに謝ってませんでした?」


「やりたいことが出来ちゃって」


「? そうですか。変な兄さんですね」


くすりとほほ笑む明日香を見て僕もあわせて苦笑いした。




次の週。毎度のごとく月坂宅を訪れていた。


「どうしたの、朝から急に」


特に驚いた様子もない月坂はリビングに入って来た僕をチラ見する。この家に来るのもなれたもんだ。


「差し入れを持ってきたんだ」


そう言って僕は甘さ漂う箱をテーブルに置いた。


「休日に差し入れなんかないでしょ。...あ、これあたしが好きなやつ。なんで分かったの?」


「これだけ来れば分かるよ。このシュークリームの存在だけが異質だったから」


「良く見てるわね。探偵にでもなったらどう?」


残念ながら探偵は選択肢にないんだよね。


「遠慮しとく」


「冗談よ。次が決まったってチャット来てたけど、内定でも出た?」


月坂は僕の顔を見て、十中八九そうであると言わんばかりに言う。


「ゲームを作ろうと思うんだ」


「作る?ああ、ゲームに関わる全ての人がクリエイターってことね」


「近づくだけじゃダメだった。違ったんだよ」


「僕は、で決めたんだ」


月坂の目が次第に大きく開かれていく。


「目指すのは開発職。ゲームシナリオライターだ」

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