第17話
「...」
有給中の朝は楽しみの一つだ。時間を気にせず食べる朝食は美味しい。ただそれは遅くまでゲームをしていた僕が無理やりにでも早起きした理由とはまた別の話。
「最初から開いてたんだって」
僕の言葉に表情は見えなくともツーンとした口調で返す。
「普通覗きます?あり得ないです」
言いながらも明日香は器用に手元のフライパンをあおり続ける。この匂いは炒飯で確定だろう。怒り調子でも狂うことなくテキパキと作っていく。
「いつもあれぐらい遅くまで起きてるの?」
「兄さんには関係ないですよね。ほんっとあり得ない...」
整った顔立ちから放たれる棘が兄の心に突き刺さる。ここまで感情をぶつけてくることなんてここ数年なかったせいで余計に痛い。
「ご馳走様」
それは食事中も同様で、何を言っても会話が広がる隙間が見つからなかった。準備のために自室に戻ろうとする明日香を無意識に目で追ってしまう。
「もう覗かないで下さいね」
拒絶するようなハッキリとした声音。
明日からはまたいつも通りだ。今までも会話せずにやってきて、結局はその形に収まっただけ。
「...」
目の前にいるのは昨日楽しそうに話していた明日香。僕の知らない妹。...いや、そうじゃない。いつだったか、あの笑顔を見たことがある。
このまま離れてしまうと、もうその答えが見えないような気がしてとっさに口を開いた。
「明日香のやってたゲームって先週発売したやつだよね?ちょうど昨日買いに行こうとしてたんだよ。それなのに別のゲームが...ああ感動系なんだけど、それがまた面白くてさ。昨日あんな時間まで起きてたのはそれが原因。で、外に出たらドアが開いててつい覗き込んで話し声まで聞こえてきて」
「ごめん」
素直に謝ったところで許してもらえるかは分からない。ただ次の機会は無いだろうと分かっていたから言えることは言っておきたかった。
明日香は階段を上がる足を止めて、ゆっくりと僕の方を向いた。
「...兄、さん、今なんて」
途切れ途切れの声。先ほどとは打って変わって驚いた表情。
「話し声を...」
「そこじゃなくて!その前。兄さん全然興味なかったのに...」
「興味がなかったわけじゃないんだ。その...時間が無くて」
「...ゲームは嫌いになったはずですよね?」
それはなぜか悲痛ともいえるような弱弱しい声だった。以前の自分なら考える間もなく肯定していたはずの質問に僕は自信を持って返した。
「どうやら好きみたい。なんで今まで忘れてたんだろう。前に明日香からもらったゲーム機、初めて使ったよ」
明日香は俯いて
「そっか...。やっと...」
明日香は一人小さく呟くと、またいつもの声音に戻り
「仕事いきます。また後で」
僕が返事を返すのを待たずに階段を駆け上がっていった。
「後で...か。よかった、なんとか首の皮一枚繋がったみたい」
明日香が家を出ていってから僕はゲームの続き、ではなくPCを前にキーボードをカタカタと叩いていた。
「ゲーム業界ってどうなってるんだろう?プログラマだろ、絵を描く人がいてそれから...」
思考はそこで止まってしまった。今まで一度も触れたことのない業界。とりあえず僕でも名前を聞くような有名な会社にターゲットを絞って公式サイトを漁っていく。
お、この会社こんなゲームも作ってるのか!CMで見たことある!とかミーハーっぷりを発揮しながら目に入った中途採用ボタンをポチる。どこも開発職は見慣れない横文字で、特にテクニカルアーティストなんて何をするのか全く想像も出来ない。
「大きいとこなら総合職の間口も広そうだし、狙うならここかな」
言いつつも半分は夢ものがたり。調べ回った企業は当然ながらレベルが高い。僕が新卒なら軽く叩き落されてしまいそうな、そんなところ。
...行動しなければ始まらないとは言うけれど。
応募するとして履歴書や職務経歴書やらで初めて作るなら軽く一日は持っていかれそうだ。それにゲーム系にアピールできるだけの経験があるかも怪しくなってきた。うーん、落ちる前提でチャレンジしてみるか...
「...確か...そうだ」
その業界にひとつだけ心当たりがあった。
「どうしたの?こんなとこに呼び出して」
目の前に座るのは、如何にも仕事が出来そうなバリバリのキャリアウーマン。
「こんなところって普通の定食屋じゃないですか。いかがわしい場所みたいに言うのは止めてくださいよ、さやかさん」
秋山さやか。大学時代のサークルに居た1つ上の先輩。いつの間にかミスキャンパスに推薦されてまたたく間に優勝を掻っさらったその人である。
男の視線を釘付けにしながらも、異性に一切の興味を示さなかったその人と僕は縁あって知り合うことできて、卒業するまでデート(買い物に付き合わされた)に誘われたことは一度じゃない。
「突然連絡したのに、今日直ぐに会ってもらえるとは思いませんでした。わざわざ時間作ってもらって...」
「お昼一緒にするだけだよ?刺激のないこの時間に優太君が来てくれて嬉しいんだから」
ニコリと笑うさやかさんは相変わらずの魔性っぷりを放つ。男の店員さえも釘付けにする彼女はメニュー表を手に取って、
「何食べよっかなー。優太君のおごりだから...」
「え?まぁそのつもりでしたけど」
当然のように返した返事にムッとした顔になる。
「ダメよ優太君。私じゃなくて、好きな子に奢ってあげること!前から言ってるじゃない。ここは私が持つ。分かった?」
「わ、分かりました」
「うん、素直でよろしい。注文は決まったかしら?」
こくりと頷くと、さやかさんが店員を呼んで注文を終えた。
「...」
静寂が生まれる。いざ話を切り出すとなると口が渇いてしまい、その度に水を飲む。身の回りのだれかに話すのは初めてで、喉まで出かけた言葉を飲み込んでしまう。
さやかさんは完全に受け身の体制。僕がいつでも本題を切り出せるようにということだろう。気を遣わせてしまったらしい。
「転職しようと思ってて」
「そうなんだ。相談してくるってことは、私が勤めてる会社を考えてることになるのかな?」
「はい...」
言ってしまった。他人から聞くのと、自分から言うのとでは言葉の重みが違う。
「確か優太君って営業だよね?」
こくりと頷く。
「じゃあ今年で4年目か。それなら...総合職は今急募中だったはずだから今がチャンスかも」
「ほ、本当ですか!?」
言ってみるものである。驚いた僕を秋山さんが手招きして寄せた。
「大きな声じゃ言えないけど、新しくリリースする予定のゲームがたくさん動いているから猫の手でも借りたいところだったの。優太君さえ良ければ私から話して書類選考は通せるけど、どう?」
「...。」
トントン拍子とはこのことだろうか。あまりに上手く行き過ぎてなんだか信じられない気持ちになる。さやかさんが嘘を付くなんてまずあり得ないし、もちろん入社出来るかどうかはまだ分からないけど。
「お願いします」
「うん。了解」
嬉しさ半分、不安半分。不安な気持ちは就活のときと同じだ。
好きなゲーム業界で働ける。あれだけの大企業なら年収も上がる。営業としての経験も活きる。いいことづくめだ。
今感じている不安は、降ってきた幸運を受け止め切れないだけだろう。
それからはまた雑談が始まって、ゲーム系の仕事を大まかに知ることが出来た。
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