第13話
「...寝すぎた。ふぁぁ...」
二日目の朝。昨日の夜更かしのせいで10時半に起きてしまった。
平日に10時起き。なんて幸せな響きだろうか。
ラップしてある朝食を食べて、家を出る。昨日の夜に用事を作ったからだ。このまま部屋で過ごすのもいいけど、このままずっと部屋でダラダラするのは有給の使い方としては不正解な気がする、という漠然とした理由で。
平日も人が行き交う大きな駅に隣接するビルの7階。そこが今日の目的地だった。
「人が少ないのは当然だよね」
社会人が働いてる時間に書店巡り。社会人になって初めての体験である。
この書店はこの辺では一番大きくて、広々としたフロアは本で埋め尽くされている。レジは4人態勢で申し分ない戦力。これだけ広くとも、目当ての本を見つけるための検索機もあるので迷うこともない。
だけど今日は本を買いに来たわけではなく、ここに居る店員に用がある。探すようにレジ、文芸、教材、と見て回りフロアの奥、漫画スペースにそいつは居た。
「よ」
「いらっしゃいま...ってなんだ、お前かよ。」
振り向いたそいつは営業面から一瞬で安堵の表情に変わる。
「久しぶりだね、神」
「この書店は喫茶店も併設されてるんだ。最近よく見るだろ?」
「見たことはある。ただ本を読まないから実際に来るのは始めてなんだ」
「なるほど。確かにお前が本読んでるところなんて見たことがない」
目の前にいる顎髭を生やした男、
通称ゴッド。大学時代の少ない友人の一人だ。
話しかけて早々「長くなるか?」と聞かれ頷くと、併設された喫茶店に行くようにお願いされた。従うようにして中でブレンドコーヒーを飲んで待っていると、仕事で使うエプロンを外した恰好で近づいてくる神。古い友人が来たと言って、時間を融通してもらったらしい。なんて良い職場なんだ。
「で、どうした。平日にしかも朝方にこんなところまで」
「神が書店で働いてるって噂を聞いたから。いつか来ようと思ってて、今日来てみたんだ」
まさか噂を聞いてから一年越しで訪れるとは思わなかったけど。有給使って普段やらないことをしようと考えた結果がこれだった。
「そりゃ嬉しいね。こんな時間に友達が来るなんて思わなかったぜ」
神は大学時代と変わらず濃い顎髭を生やし、ダンディーさに磨きがかかっている。モテるためだと彼は言うけど、書店員がその顔だとインパクトが少々...大分デカい。
それも含めて僕たちは久しぶりの再会を喜んで、大学時代の下らない話に華を咲かせた。
一時して、ある悩みを持ちかけた。
「やることがないんだ」
「ああ、無職か。何か困ったら言えよ、ここも良いところだ。お前の性格は知ってるから、紹介だって出来る」
「...」
「おい、何驚いた顔してんだ。マジで困ってたら言えよ?」
「ありがと...って違う!今週は全部有給とってるんだ」
「なるほどな。通りで私服なわけだ。しかし一週間も有給取れるなんて良い職場じゃないか?お前んとこ」
「まぁね」
偶然の産物だけど、ここで話すことじゃないか。
「相談があるんだけど」
「結局困ってるじゃねーか」
「まぁ聞いてよ。土日合わせて長期休暇なんだ。合わせて7日で、残り6日」
「さっき聞いたぜ。自慢か?」
「ごめんごめん。本題はさっきも言ったようにやることがなくて。ちなみに言っておくと昨日は寝て過ごした」
「ったく寝正月じゃねぇんだから。そりゃ簡単な話だ」
前かがみの体勢から、腕を組んで椅子の背もたれに体重を預ける神。答えは得たらしい。
「本を読め。本はいいぞ。お前に全てを与えてくれる」
一歩間違えれば危ないやつの台詞にも聞こえてくる。
仕事辞めて書店で働きだしたと聞いていたから、予想できた答えではある。神が読書好きなんて聞いたことがないけどハマるきっかけなんて人それぞれだと思うし。僕だってこれからハマるかもしれない扉を現在進行形で開けつつあるわけで。
それにしても本、か。悪くない。平日仕事で動き回ってて、休みも動くなんてごめんだしね。
「それはいいけど、何を読むかが決めないと」
「月見里は確か営業だろ?それなりに勉強になる本でもあるんじゃねぇか」
「あーその系統で有名な本を1つ買ったことがあるんだけど、例え話が多くて途中で読むのを止めた」
それに休みも勉強なんて到底むり。まだ寝てた方が良い。
「そりゃ読み方からだな。うーん、趣味でもあれば紹介出来る本もあるだろうが...」
「基本スマホで動画見てゲームしたりアニメ見てる」
何なら昨日寝ころびながら見てた。アニメなんて有料サイトでいつでも見れるから、1話見てそのまま全話って流れも珍しくない。
「他には?」
「あればやってる」
「始めたい趣味は?」
「ない」
「よし、わかった。俺のとっておきを勧める」
このやり取りで充分らしい。流石はプロ。相談してみるもんだ。
神はグイッとコーヒーを飲み干すと
「じゃ行くか?これから案内しようと思うんだが」
立ち上がる素振りを見せた。
「あ、ちょっと待って」
「?」
神は上げた腰を静かに下ろす。僕にはもう一つ聞きたいことがあった。
いや、むしろ...
「言いたくなかったらいいんだけどさ...どうして仕事を辞めたの?」
「...やっぱり気になるか」と神は微苦笑してゆっくりと口を開く。
「俺はな、月見里」
勿体付けた口振りに、思わず唾を飲みこむ。
友人の退職理由。業界は違っても社会人で働く限りは僕も例外じゃない。いつ身に降りかかるか分からない話だから。
「プライベートが欲しかったんだ」
「うん...。は?」
「いやだからプライベート。帰る時間が遅かったんだよ、前の会社」
「...はぁ」
「それに比べてこの書店は残業は少ないし、週4で働ける。本の割引だってある。本は買い放題だ」
神は嬉しそうにスマホの画面を見せてくる。
「どうだ?」
「部屋というより、図書室だね」
言うだけあって神の部屋にはスライド式の価値の高そうな本棚。ざっと2,300冊はあるだろうか。
「とまぁこんなところだ」
「な、なるほど...」
呆気にとられた表情をする僕を見て、
「なんだそれ、って感じの顔だな」
多分それで有ってると思う。
「本当なの?嘘じゃなくて?」
僕は疑い100%で問い返す。てっきり人間関係や給料だったり重たい話を想像してたから、はっきりいってしまえば拍子抜けだった。打って変わって、何故だか神は腹を抱えるほどに笑い始め、
「あっはっは!月見里は前から真面目だよな。悪く言ってるんじゃないぜ。こう素直っていうかなんつーか」
「お前はもっと色んなヤツと話した方が良い。価値観がガチガチになってる」
どっちが幸せかって話になれば責任は負えないけどな、と笑いながら神はコーヒーをすすった。
顎髭のダンディーさとはかけ離れて、砂糖の量はてんこ盛りだった。
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