第8話
歳を重ねても本質は変わらない。
問題が起ころうとも決して悪いようにはならない直感を信じているからこそ僕は月坂に付いていくのだと思う。
エレベーターが開いてからも緊張が解けることはなく、月坂の後を追いかけた。
「この会社...知ってる」
進んだ先で見えた社名ロゴに見覚えがあった。
業界内で知る人ぞ知る老舗のシステム開発会社。受注を専門として扱っているから、表に顔をだすことはないけれど、かなり儲けているとの噂を聞いたことがある。そして良くない方でも。
「ここって良い意味でも悪い意味でも有名だしね。耳に入りやすいと思うわ」
月坂はチラッと社名に目を通すだけで大して興味を示さない。
一体何しに来たんだ...マジで。
やがて向かい側から出てきた事務の女性に連れられて、応接間のソファーに腰をかける。先方が来るまでに時間はかからなかった。
「どうも。お待たせしてしまって」
50代ほどの小太りの男性が現われて軽い挨拶から、月坂は慣れた手つきで名刺を交換する。
「そちらの方は?」
「すみません、こちらは私の臨時マネージャーでして。まだ名刺がないんです」
「おお、そうでしたか。お忙しいという話は伺っていますよ。いやはや個人にもマネージャーが付く時代ですな。はっはっは」
僕の存在は全く問題ではないようで、月坂に続いて名刺を貰う。ん?
...開発責任者?
「話を始める前に彼は仕事の最中ですので、出来れば別室で待機させたいのですが構いませんか?」
「ええ。それならば、このフロアに休憩室がありますのでそちらをお使いになるのが良いでしょう。君、案内してあげて」
「ご案内いたします。」
そうして何をするでもなく、男性に軽い会釈をしてその場を後にする。応接室から出るまでの間も二人は雑談交じりに話を進めていく。”マネージャー”という単語が随所に聞こえてくることに嫌な予感を感じつつ、案内されるままに部屋を出た。
「仕事終了、でいいのかな」
休憩室にて、僕は一面のガラス越しから都会を見下す。
内容的には、軽い挨拶と会釈を数えるほど。あの月坂が仕事を頼みたいというから、どんなものかと思えば。合計しても、1分も経ってないはずだ。
やけに長い待ち時間で、月坂が戻ってきたのは僕が部屋を出てから小一時間過ぎたころだった。
「雑談で30分取られた...。もー」
口をとがらせる月坂。
「大変だったね」
「なんで仕事の話から趣味の話になって、お金の話になるのよ!最初の30分でまとまってたのに話題をコロコロと変えて...」
ビルを出て先ほど通った噴水公園でひと休憩する。着くなり彼女は噴水を囲う石畳にへたり込んでしまった。
「20分で終わらせるって言ってた割りには長かったかな。まぁでも、月坂なら仕方ないんじゃない」
異性にウケそうな容姿なのは同感だ。それに比べて月坂自身は僕の言葉が理解できないらしく、頭の上に疑問符を作る。
「? でも助かったわ。優太のおかげで良い条件で話が進められたから」
あれで、か。
「居た意味あった?空気のように扱われてた気がするけど」
先方からしてみれば顔を合わせるだけで、そそくさと出ていったマネージャーだ。何かの効果があったようには考えにくい。名前を憶えられたわけでもないし。
「離れすぎたかもしれないね、あたしたち」
「?」
今度は僕が首を傾げると簡単に説明してくれる。
「応接室で会ったおじさん。あれ、開発責任者って言いながら実は技術に疎いのよ。それはあの人の部下に知り合いがいるから知ってて」
(そんな人は...いる。心当たりがなくはない)
「あー...年功序列の会社だと有りそうな話だね」
「そそ。だからどれだけの技術力があるか話すより、どれだけ価値がありそうな人間かを見せることが大切だったってわけ」
その言葉をキーに部屋を出ていったときの嫌な予感とつながる。
「で、僕の話か。マネージャーを連呼していたのはそういうこと」
「うん。臨時のマネージャーが、現役で働いてる6年目のベテランで...」
「嘘はダメでしょ」
「どっちも同じよ。どうせ次会うことはないから安心して」
「まったく...。名前を知られてないからいいけどさ」
「あとのことは部下とやり取りすることになってるの。あたしだって次に会うのは何か月か先の話だから」
「そのときには状況変わってて、一人でスケジュール回せてますって?」
僕の呆れに笑みを混ぜたような口調に、彼女はご明察とばかりに口元を緩ませた。
どうやら上手い具合に使われたらしい。結果的に僕に不利益があったわけでもないし、この件が丸く収まったなら問題ない。むしろあの仕事内容で喜んでもらえたなら来た甲斐があったというものだ。
「あ!ちょっと待ってて」
そう言うと月坂は肩にかけていた小さな鞄の中に手を伸ばし、ゴソゴソと動かす。お目当ての物を掴むと僕にそれを差し出してきた。
「この封筒は?」
「今日のお礼。まだ渡してなかったから」
昨日の話だ。彼女からこれは仕事、時間の貰う分のお金は払うと。断ったのは始めだけで、それでもと食い下がるから受け取ることにしたわけだ。だからビルに入っても緊張感が抜けなかったし、仕事という実感を持って臨めたのかもしれない。
内容が内容だったが。
「じゃあ、ありがたく」
受け取る封筒の中身が太陽と被さって透けていく。それは何も入っていないぐらい薄い封筒で...
「い、一万!?」
「うわっ!びっくりした。いきなりどうしたっていうの」
「これ...間違ってないか。自分で言うのもなんだけど、1分も働いてないぞ」
せいぜい昼ご飯が1,2回食べられる程度に思ってた。慌てて突き返した封筒を月坂は目もくれず、困惑と驚きを混ぜたような表情をする。
「何言ってんの。家から出て今まで拘束してたでしょ。1分程度なんかじゃないわ 」
そうとも言える?のだろうか。困惑していると、
「どう思うかは優太次第よ。あたしはそれぐらい感謝してるってこと。っていうか多い分には越したことなくない?」
「...そうまとめられたら返す言葉もないか」
彼女の言葉になんとか納得。
これ以上言うのは無粋だと思い、僕は突き出した封筒を内ポケットにしまった。
「それで良し。いや、お金渡した相手に多いって理由で突き返されるなんて夢にも思わなかったわ。そんなことする人なんて世界で優太ぐらいじゃない?」
はー、と涙が出るぐらいケラケラと笑う月坂。
その姿を見た僕はムッとするでもなく、否定するでもなく。ただ、見ていて。
まるで僕の常識が通用しない彼女は昔と何ら変わりない。だけど、今と昔では僕の見ている世界と彼女の見ている世界が全く別物のように思えた。
「次の用事があるからここでお別れね。今日は本当助かった。またいつでも遊びに来て」
「わかった。休日なのに忙しいんだね」
「偶然よ。家でゆっくりしたいのは優太と一緒だから」
「そっか」
いつでも遊びに来ていい、と言われて会わないのが社会人あるあるだと思う。今でこそ仕事で疲れた身体にむちを打ってでも行きたいと思えるけど、果たして当日になって身体が動くかと聞かれれば微妙なところだ。誘いは受けたわけだし、用事があればまた行くこともあるだろう。
このまま用事が無ければ次の同窓会....30歳になるのか。そのときもお互い元気にやっていたいもんだ。
「じゃ」
別れを惜しむ様子もなく、背を向ける月坂。
次会えるのはいつの日か。
......。
...。
...何か忘れてないだろうか。
「なぁ月坂」
後ろ向きの彼女に語りかけるようにして言う。前に踏みだそうとしてた彼女の身体はピタッと止まりこちらを振り返った。その姿は落ち着いていて、どこか大人びた優しさを感じる彼女は、僕の知る月坂とは違うことをまざまざと見せつけられたようだった。
いや、それは今どうでも良いことで。流れが速すぎて疑問に思わないまま別れを迎えるところだった。
そもそも、だ。
「ニート...なんだよね。なんで、あの時名刺なんて」
「あー。そうなる、よね」
僕の重要な質問にそういえば、程度の様子で答える月坂だった。
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