連結部分で大便かます者
物書きの練習でもらったお題で書いております。
https://odaibako.net/u/albino_itati
『人間は常に楽を求めるものである』
そんな言葉をいう自己啓発系の何処かの偉人だったか。有名なインフルエンサーだったかに触れる機会が一度でもあれば一言一句違えたとしても、かようなニュアンスの言葉を誰しも見聞きするものだろう。
その証拠に雑貨屋に顔を出しても洗濯板を売っている店は恐らく3桁もなく、釜で米を炊く人間は現代では既に少数だろう。
『初めちょろちょろ中ぱっぱ...』
かくして実用性のあったこの唄も今では過去を懐かしむだけの遺物と化したわけだ。
しかし同時にほとんどの人は表面上にあるモノだけを見聞きして『なぜ、そうなのか?』と実際に自身で深く考える者はそう多くはないと私は思う。
『なぜ風が吹くのか』『なぜ空は青いのか』
そう幼子に聞かれた大人が全員が全員分かりやすく答えられるとは到底思えない。
もちろん答えられない人間がいるのもまた当然とも思う。何せそういう類の問題は義務教育の必須問題でもなければ報奨金が出るわけでもないのだから。
ただ探偵業という不確かな仕事をしている私にとってはそういった日常の摂理をある程度把握しているし、その時々で答えられなくとも最後には絶対に答えを出すように努めている。
何せ分からないことを調べる職業なのだから『分かりません』なんて言ってしまっては探偵の存在意義が薄れ、万が一にもその時が来てしまったのならばこの仕事をやめる覚悟で日々を生きている。実際今まで経験してきた謎はすべて解き明かしてきた。
だから『なぜ人間は常に楽を求めるものなのか』という問いについても、私なりに答えを出しておかなければ格好がつかないだろう。
なれば、そう。私風に言わせるならば『適度に生き、順応する能力がある為』と答えを出しておくのが妥当だろうか。
もし、この能力がなければ人は簡単に多彩な死に方で過去を彩り、繁栄はおろか、文明すら怪しく、そうなれば私の存在自体も疑わしくなってくる訳だが、幸いなことに人間は賢くしぶとい生き物であったわけだ。
特に、昔から人間は移動手段に関しても常に楽を求めた結果故に進化し、大木で海を渡った事から始まり、馬で大地を走って、果ては鉄で空を飛んだ。
とはいえ、現代ではすでにほぼすべての移動手段は鉄製の何かに置き換わって利便性を手に入れたわけだが、同時に我々は引き換えに失った物がある。
勿論、当たり前の事として完成に至るまでの膨大な時間と資源はそうなのだが、特に今回これから語る話に関して言うのなら融通の利かなさと言う多様性の喪失によって悲惨な現場を目の当たりにすることになった。
少なくとも私にとってこの事件は非常に複雑で、最も恐ろしい体験だったと言え、
そして付け加えて言うのならば時代が悪かったのではないのだろうか?と、そう言わざるを得ない。
朝焼けの鳥のさえずり響く空の下、私は優雅さのかけらもなくハァハァと見苦しい程に息を切らしながら始発の電車に乗り込んでいた。
普段ならば車両が到着する十分前には駅のホームに到着し、設営されている小型売店にてお気に入りの経済新聞を買い移動時間を潰すのが習慣であるのだが、今日に限っては長年生活を共にしていた目覚まし時計が夜中、ひっそりとその生涯の役目を終えたことによって私の一日の始まりはとても忙しないモノと化し、朝の食事、日課とも言える用を済ませる事も出来ずに急いで家を出る羽目になったのが事の発端だった。
肺が押し付けられたかのように苦しく、普段引きこもり怠けていた脚は突然酷使したせいかその待遇に訴えるようにジンジンと痛みを訴え全身から汗がにじみ出ている。
早朝である為車内はがらんとしていて、とはいっても少なくはあるものの乗客は居るものでこんな成りで電車に駆け込んでくる人間がいるのだ。既に乗車していた人からの視線が自分に集まっているのが分かり気まずくいたたまれなくなる。
別に電車内に快適な空間を求めているわけでもないが、だからと言って劣悪な環境を好む人間も居ないと思う。平日朝の満員電車愛好家たちは知らないが恐らくは大抵の人は私と同じ考えのはずだ。
だからだろう。電車が発車して数分待たずに私はすぐに最初に駆け込んだ車両から人気のない先頭車両へと移動したのだった。
―――
――
―
その時は唐突に訪れる。
「マアァァァァァァ」
その独特な言葉と声色は電車の走行音をかき消すように周囲に響き渡る。
男性が金切り声を出そうとしたらこんな音になるのだろうか。聞きなれない声に私を含めた周囲の人間がその男性にぎょっと視線を向けた。
170cm前後、少し小太りの黒縁眼鏡をかけた普段着だと思われる服装の男性が続けざまに「うぁー!落としたァー!」と叫ぶ。
そこまで彼にとって重要な物なのか。悲嘆にくれ、なりふり構わないといった様子からは察するに余程のことなのだろうと推察は出来る。
しかし間違いなく彼は気が付いていないのであろう。奇声とも取れるその常軌を逸した声によって周囲が驚き怯え、警戒されていることに。
まさにそれは意思疎通のできない獣を見るかのような眼差しで周囲から見られていることに。
まともな教育を受けた者なら幼い頃に『人には優しくあるべきだ』とか『困っていたら手を差し伸べてあげるべきだ』と親や小学校の先生から教わるが、彼らの言う”人”とは厳密には”常識と礼儀を弁えた人”であり、既に異常な生き物として見られてしまった現状もう彼に助けるどころか近づく人間すら現れるとは到底思えなかった。
なんとなしに腕時計を確認すると時刻は私が乗り込んだ始発の電車から約1時間後の午前7時。人気のない先頭車両でもこの時間となれば各駅に停車するたびにまちまちだが人は乗ってくる。
ちょうどよく電車が駅に到着し、開いたドアからは数人の学生と会社員と思われる男女が乗り込んで来た。
なれば。もしかしたら。困り顔で俯きどこか心寂しげな男性を助けてくれる人が居る可能性は十分にあった。
なにせ今乗り込んできた彼らはあの小太りの男性の奇行を知らぬ者たちなのだから。
もちろん人助けを生業としている探偵が彼を助けるのが最も自然で冥利に尽きると答える人もいるかもしれないが、無給で進んで厄介ごとに首を突っ込みたい人間など多くはないのだ。
しかし悲しいかな、続けざまに「マアァァァァァァ」と甲高い声を再び聞いて私は渋々彼の元へと駆け寄り声をかけた。
「どうか、しましたか?困りごとでも?」
「はい!」
まるで勉強意欲のある学生が挙手を求められ我先にと意気揚々と挙手をする勢いで即答する彼に私は戸惑った。
彼は先ほどまでに情けない声を上げ不安そうな眼差しだった筈なのに、どうして今は得意げなんだろうか?
不思議には思ったが、まぁ確かに”困っていた”という点では彼には間違いがない。完璧なのだ。ならば『困っているのか?』という私の問いに対して、答えを知っている学生のように誇らしげな返答が出来るのは道理なのかもしれない。
「ゲームのカードを落としてしまったのですが!」
彼は勢いのままにそう言うと、どうすればいいかと具体的な案を求める様に顔を覗かせる。
ソレを聞いてあの情けない声に納得をした。
常に動いている電車でモノを、特に小さなものを落とすというのは確かに致命的なのである。
移動手段が自転車や車なら、何かあれば近場に止め、各々したい事を済ませることが出来るが、電車はそれらとは違い一個人の事情で止める事など難しいく、かつ電車に乗っている人間はほぼ全員時間に追われていると言ってもいい。
特に2分ほどで次の電車が来る都会と違って私たちが今乗車している田舎の電車などは最悪2時間待たなければ次の車両が来ず、つまるところ落とし物を探すために目的地を逃してしまっては遅刻が確定するのだ。
「ソレは大変ですね。一緒に探しましょうか」
私は同情の念から目的の駅までの間、協力してゲームのカードを探すことに決めたのだった。
意外にもゲームカードの捜索というモノは5分もかからなかった。
何せ電車内だ。複雑な構造にもなっていない。
例のカードは何処かで見たことのあるようなアニメキャラクターが書かれたキラキラと光る物で、記憶が正しければ昨今こういったゲームカードでさえ数十万という値が付くものも存在するらしく幸いにして目立った傷もなく誰かに盗られることも無く一安心したのもつかの間、またしても「マアァァァァァァ」という悲痛に近い声を三度聴く羽目になった。
最早この車両で恒例と化しつつある声が聞こえた方向を頼りに駆け寄ると、先頭車両と車両を繋ぐ貫通幌に覆われた小さな狭い空間でコンビニ袋を片手に眼鏡の彼は顔をゆがませて立ち尽くしている。
一見どこにも問題のないように見える姿は、されど確かに微かな異臭がそこには漂っている。
その臭いを私はうまく表現できない。
ワインソムリエや美食家などの嗅覚が優れていて色々な体験をしている人間ならば、もしかしたらその臭いを様々な言葉として表すことが可能なのだろう。
しかしながら私はしがない探偵であり食事を生業としている人間ではない。
だから今回に限っては遺憾ながら情緒もなく端的に言ってしまうとそれは『人間の便の臭いだ』と私は臭いを嗅いだ瞬間確信をした。
恐らく袋を持った彼は『どうしてこんな所に人間の便があるのか』と考えてるのだろう。しかし私にとってソレは些細な事でしかなく、本当に重要な問題は別の所にある。
それは騒ぎ立てない様にその事実を周囲に知らせない事である。
だからまず目の前の男性を落ち着かせることに専念して優しくゆっくりと声をかける。
「まずは落ち着いてください」
しかしかくも現実は非情なようで私がそう言い切る前に彼は叫ぶ。
「ウワァァァァァァなんだこれぇぇぇぇぇええ」
奇しくもこの瞬間だけは私も彼に対して同じ感想を抱いた。
共感をすると好意を持ちやすくなると何処かで聞いたことがあるが今私が抱いている焦燥感が好意のそれだと言うのなら私は間違いなく人間嫌いになる自信がある。
加えてそれを助長するように先ほどまで今まで無視を決め込んできた人々がなんだなんだと集まりだしてくる。
驚愕するような”何か”があると知ったからか。はたまた彼が思いのほか無害であると分かったからか。
恐らくどちらもだとは思うが彼らは興味津々に集まり、謎の異臭に戸惑いながらも手持ちのスマートフォンで我々を含めたこの場を撮影して居る様子から察するに肖像権と言うのを知らないらしい。
これではどちらが”人”であるのか私にも分からなくなりつつあった。
加えて好機とばかりに高校生だと思われる制服を着た男性が突然こちらに来て袋の中身を確認するや否や語りだす。
「皆さん。落ち着いてください。どうやらここに人間の便が捨てられていただけのようです」
すると周囲は多少のざわめきは残っているもののほとんどは各々元居た場所へと去ってゆく。
「しかし誰がこんなところに捨てたのでしょうか?」
男子生徒は右手で自身の顎を撫でて考え込むしぐさをして独り言を続ける。
「まず、貫通路に置いてあったということは一般客からは見つけてほしくなかったという事。それにこの電車にはトイレはなくこのビニール袋は半透明で異臭を放っている為、持ち歩くにはリスクがある……」
淡々と私の横で語らう姿はさながら某アニメに颯爽と登場し事件を速攻解決するキャラクターを連想し、恐らく学生自身も多少なりとも意識しているのだろう。
私から言わせればその姿は腹立たしい事この上ない。
冷たいことを言うようだが、彼もまた元は物を落とした眼鏡の男性に対して傍観決め込んでいた人間だったはずなのに(恐らく)得意分野となると出しゃばり前に出て語りだす姿は自信過剰で生意気な一人の若造なのだ。
「恐らく犯人はここで――」
「もういいじゃないですか」
しかし私も大人だ。感情をそのままあらわにして怒鳴りつけるなど節度のない人間のやることである。
「だって、これも立派な軽犯罪ですよ」
「ああ、そうだね。でも生まれて一度も罪を犯した人間は居ないだろう?それにさっき君が言った通りここにはトイレがない。きっと犯人も仕方がなくやったんじゃないかな」
ゆっくりと優しい声で諭すように語ると男子生徒は少し黙った後納得するように頷く。
「幸い落としたゲームのカードも見つかったんですよ。これで問題解決です」
先ほど拾ったカードを眼鏡の男性に渡すとお礼の言葉と共に満面の笑みを浮かべて座席へと座る。
これにて一件落着だ。
きっとあの若造では少ない状況証拠だけでの推理じゃ答えなどにはたどり着けなかったに違いない。
『ガキが。もう一生でしゃばるんじゃねぇぞ』
そう心の中で叫びつつガッツポーズをしたのち心身ともにスッキリとした私はその一日を気分よく過ごせたのをよく覚えている。
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