第30話 遠い日の温もり

 西園寺さんは少し間を置くと、タイミングを見計らって俺に聞く。


「漸井さんは私のことをどのように思っていらっしゃいますか?」

「え?」

 俺は唐突な質問に驚いたが、少し考えた後思っていたままの気持ちを言う。


「えーと・・・西園寺家のご息女に相応しい立ち振る舞いをしていて、いつ見ても気品ある人、かなぁ」

「そうですわよね・・・」

「・・・あーでも、今日少し一緒に遊んでわかったけど、無邪気で負けず嫌いな一面もあるよね」

「えっ!?」

「あと、ちょっとおっちょこちょい」

「そ、それは!私が今日初めて野球をしたからであって!!!」

「鼻の上、汚れてるよ」

「えっ!!」

 西園寺さんが咄嗟に左手で拭う。

「あー待って、左手も軍手嵌めたままだし、さっきよりひどくなってるよ」

「~~~~~」

 西園寺さんは野球をしていた時から、軍手を外すのを忘れてここまで来ていた。そしてここまで細い路地裏などを通る時に、汚れた建物に触れてきたせいか、新品だった軍手も薄汚れている。

「ここは薄暗くてそこまで目立たないからいいけどさ」

 西園寺さんはポケットからハンカチを取り出して、汚れを拭う。

「はぁ、恥ずかしいところを見られてしまいましたわ」

 俺は西園寺さんの新しい一面がみれて、内心嬉しい気持ちであった。


 そして再び、俺は話を戻すように尋ねる。

「話を戻すけど、西園寺さんの印象の根幹にあるのはお嬢様らしいってのが一番強いのかな」

「えぇ・・・そうですわね。そう見られることは正しいことですの。私はそういう風に教育を受けてきたのですから」

「無理しているのか?」

「幼い頃は慣れない時期もありましたが、今では無理に振る舞わなくても自然体で出るようになりました。でも気が抜けるとさっきのように普段の私を忘れてしまうのは、まだまだということですわね」

「俺はどっちの西園寺さんも良いと思うよ」

「ありがとうございます。漸井さん」


 続けて西園寺さんは家のことについて話し始める。

「私はこれまで何不自由なく育てられました。幼い頃から華道・茶道・書道・ピアノ・水泳・乗馬・日本舞踊・英会話等・・・上げればきりがない程多くの事を習いました。こられは全て西園寺家の仕来りで習っていましたが、それら自体を嫌いになることはございせんでした。けれどこれだけ多くのことを習っているのですから、当然他のことには触れる機会もなく、順調に世間知らずな娘が出来ていったのです。そして・・・私がまだ7歳の時でした。外の世界を知る出会いがあったのです」

「その時何があったんだ?」

「当時、1月下旬の吹雪いてる日でした。その日私は習い事でいつものように車に乗って移動していました。しかし移動中のトラブルでタイヤが雪に取られてしまったのです。久留生はどうにか抜け出そうしていましたが、結局抜けられずに応援を待ちました。その後1時間程待っても応援は来ませんでした。それはその日の悪天候による交通渋滞で応援の車も立ち往生していたことが原因でした。その後も待てど待てども事態は変わらないでいると、ふと私のお腹がなってしまいました。久留生がそれに気づいて近くのお店で何か買ってくると言い、大雪の中出て行ってしまったのです。私は空腹より孤独の方が苦手でしたので止めようとしたのですがその間もなく、久留生は行ってしまい、すぐには帰ってきませんでした。私は久留生が帰って来るの窓から覗いて待っていると、徐々に車が雪で埋まってきた事を確認しました。その時、私はこのままでは生き埋めになってしまうと思ってしまい、窓を開けて外に潜り出たのです」

「大雪の中・・・?」

「えぇ、幼い私は孤独と恐怖から判断力が鈍っていたのでしょうね・・・そして問題はここからでした。車から出た私は視界0の中、久留生を呼びながら闇雲に歩いてしまったのです」

「それは大人でも危ないな。遭難するんじゃないか?」

「はい・・・結果から言ってしまうと私は遭難してしまったのです。吹雪の中というのもありましたが、それ以前にこれまで車で移動してきたので土地勘も弱かったのです。けれどその時でした。吹雪の中で誰かの呼ぶ声がしたのです」

「他にも同じような人がいたのか」

「私も同じように遭難している人がいるのかと思いましたが、一人で孤独に耐えかね、藁にもすがる思いで声のする方へ向かいました。どうにか顔を窺える距離まで近づくと、同年代くらいの男の子がそこにいました。男の子は私に気付くと、『よかった、見つかった!もう大丈夫だよ』と私に声をかけてくれました。少年は遭難していたのではなく、私を探してくれていたのです。少年は私が驚き呆けて立っていると、私の返事を待つ前に手を引っ張っていったのです。そしてその時たどり着いた場所というのが、今私たちのいるここなんです」

「だからここが知っていたんだ」

「そうなんです。その後、木造倉庫に着いてから私が寒そうにしていると、古めかしい布地を互いに被さるようにかけ、身を寄せ合ってくれたのです。私は今でもその温もりと優しさを憶えております」

「いいやつなんだな」

「はい、とても。さらに少年は私が世間知らずであることを知ると、町のことや、遊びのこと、少年の友達のこと等、時間の許す限り様々な事を話してくれました。そしてしばらくすると、久留生は私に持たせていた携帯のGPSを辿り、無事合流することができたのです。私と久留生は少年にお礼を言い、後日改めてお礼をさせて欲しい言ったのですが、少年は『大丈夫、じゃあ気を付けてね』と、それだけ言って去ってしまったのです。私は今でも少年にお礼を言いたいと思っていますが、もう10年程前の事ですので、相手方はお忘れになっているかもしれませんね。せめてお名前だけでも聞けたらよかったのですが」


 西園寺さんは少し自虐しながら笑って言うが、俺はそれに返事をする。

「そんな特別な出会いをしたんだから、少年も忘れていないと思うよ。俺だったらそんなことあったら絶対忘れないだろうなぁ」

俺は当時の少年を羨ましく話す。

「お気遣いありがとうございます。その後はこの時のことがきっかけで、私はもっと多くの事を自分で体験し、知っていきたいと思うようになりました」

「少年との出会いが西園寺さんを変えたんだね」

「私はこの変化を喜ばしく思っておりますが、お父様とお母さまはそうでもないのです」

「それはどうして?」

「それは・・・」

 答えるのが恥ずかしいのか、西園寺さん俯いて言う。


「隙を見て一人で町を散策しているのですわ。特にあの河川敷が私はお気に入りですの」

俺はそれを聞いて、これまでの点と点が脳内で結ばれる感じがした。

「それはつまり・・・」

「はい、プチ反抗期ですわね・・・今日も本来なら放課後にピアノのレッスンと夜の会食があるのですが、これではキャンセルですね」

 西園寺さんは少し申し訳なさそうに言う


 俺はそんな西園寺さんに尋ねた。

「今の生活が不満なのか?」

「いえ・・・しかし全てに対し満足しているわけではないのです。これまで育ててくれた両親や久留生たちには感謝しています。けれど私のことが心配で過保護になるのは分かりますが、私はもう少し自由な時間が欲しいのです・・・結果的に毎回困らせているのは申し訳ないとも思っておりますが」


 俺は西園寺さんの言葉に引っ掛かり、再度尋ねる。

「・・・え?毎回?今日が初めてじゃないのか?」

「今回で14回目になりますわ。年に1、2回溜まった気持ちが溢れ、衝動的になってしまうのです。けれどここまで逃げられたのは初めてですわ。なんだか楽しかったですわね!」

「楽しいというか、俺にとって逃げている間は非日常的すぎて怖かったんだけど」

 西園寺さんは俺が少し引いている様子を見て、笑みを浮かべた。



 その後もしばらく今の状況を忘れ、俺達は会話を楽しんだ。

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