第7話 藍緑と銀の奏

 扉を開けると、気持ちのいい風が体を通り抜けた。

 眩しいくらいの夕日が差し込み、思わず目を細める。

 

 屋上に出てみたが誰も確認できない。


 先程窓ガラスから覗いたとき謎の影が見え隠れしていた塔屋の近くに来る。塔屋の上にはタンクがあり、壁に梯子もついている。中は機械室のようだが入ったことはない。


 塔屋に手をかけて角を曲がる。



 するとそこには、一人の女生徒がフェンスの向こうを眺めていた。手にはヴァイオリンがあり、音の正体は女生徒が奏でていた音色で間違いないようだ。


 女生徒に声をかけようと近づくと———



「ベートーヴェン———ヴァイオリンソナタ第五番、ヘ長調———春、第1楽章」


 女生徒はこちらを振り返ることなく話す。

「麗らかな春の温もりを運んできてくれそうな、そんなこの曲は今の季節によく似合う」

 そこで一度言葉区切り、こちらに振り向きながら問いかける。

「君はどう思う?一度は聴いたことがあるんじゃないかな」


 女生徒がこちらを向き全容が露わになる。



 彼女はとても整った容姿と優れたスタイルをしていた。髪は藍緑色で銀のメッシュが入っている。後ろから前に持ってきている二つのおさげは、白と黒のリボンによってあごの高さ位の位置で結ばれており、胸の下まで伸びていた。胸の辺りには首からかけられた、小さなヴァイオリンケースの形をしたペンダントがある。ダーク・マゼンタの瞳は吸い込まれるような魅力があり、俺は思わず声に詰まる。


「あ・・・ああ、とてもいい曲だと思う・・・」

 ありきたりな感想しか出てこない。

「そうだね、私もいい曲だと思う」

 彼女は未だ曲の余韻に浸っているようだ。


 俺はタイミングを見計らい、最初に感じた疑問を尋ねる。

「俺がここに来ることがわかっていたのか?」

「演奏している途中、こちらに向かってくるの足音が聞こえた」

(登ってきたA棟の階段及び踊り場の窓は開いていた。急いで登ってきたとは言え、その足音が聞こえたというのはなんという地獄耳・・・)


 今度は彼女が尋ねてきた。

「君はクラシックに詳しいの?」

「いや、特にそういうことはない。ただ、とても綺麗な音色だと思って」

「ありがとう、そう言ってもらえるのは嬉しい」

「もしかして今日の昼にも弾いていたか?」

「ん、ああ・・・昼にこの屋上から町の景色を見た時、胸から沸き起こる気持ちを抑えられず衝動的に弾いてしまったんだ」

(やはり昼の演奏も彼女のものか)


「何かコンクールとかには出たりするのか?」

「そういうのはあまり・・・私が興味ないというのもあるけど、ヴァイオリンは趣味の範囲で弾いているんだよ」

 音楽に関して詳しくないが、趣味に収めておくにはもったいないくらい素晴らしい演奏だった。


「そうなのか・・・ちなみに今何年生なんだ?見ない顔だけど一年生・・・ではないよな・・・」

 この大人びた容姿と雰囲気から一年生ではないだろう。しかし二、三年生だとしてもおかしい。全生徒を把握している訳ではないが、このような美少女が今迄話題になっていなのも不思議だ。


「私は二年だよ。君は?」

「そうか、俺も二年だよ・・・・・って二年!?今迄気が付かなかったな・・・」

「知らないのも無理はないよ。私は今日初めてこの学校に来たからね」

「今日初めて・・・?」

「私はこの学校に転校してきたんだよ」

 転校生なら知らないわけだ。しかし、今日どこかのクラスに転校生がきていた様子はなかったが・・・

「本来の私の初登校日は明日なんだよ。けど教師に無理言って頼み、一日早く学校を見て回らせてもらっていたんだ」

「そうだったんだ・・・それで、学校はどうだった?」

「ああ、いいところだと思うよ。ここから見える景色も綺麗で、生徒も皆とてもユニークだね。・・・私は面白いことが好きでね、この学校は退屈せずに済みそうだよ」

 彼女が軽く笑みを浮かべて横を向くと、髪が風に靡く。



「じゃあ私はこれで帰るよ。明日からはまたよろしくね」

 彼女は持っていたヴァイオリンをそばに置いてあったヴァイオリンケースにしまう。しかし途中で動きが止まった。

「何かあった?」

「うーん・・・その、何かハンカチやタオル等持っていたら貸してもらえないかな・・・明日には洗って返すから」


 その言葉で今朝拾ったハンカチのことを思い出す。

「あるにはあるんだけど、これ俺のじゃないんだよなぁ・・・」

 渋々取り出すと、それを見た彼女は勢いよく立ち上がった。

「それは・・・!どこにあった!?」


 勢いよく距離を詰められ少し後ずさる。

「えっと、今朝教室に落ちていたのを拾ったんだけど・・・」

「ありがとう。このクロスを含めてヴァイオリンの道具一式、私にとってとても大切なものなんだ」

 どうやらあのハンカチはクロスと言うらしい。

 

 俺がクロスを返すと、彼女はとても安心しているようだった。

「学校を回っていた時に落としたらしいんだが、どこで落としたのか分からなくて困っていたんだ。今日はハンカチも忘れていて代用できるものもなくてね。帰ってから拭いてもよかったけど、すぐに拭いてやりたかったんだ」

 拭くものがないなら弾かなきゃよかったと思うが、衝動が勝ってしまったのだろうか。


「その胸元にあるものもヴァイオリンの形をしているが、大事なものなのか?」

「あぁこのペンダンね」

 彼女は大事そうにペンダントを握る。

「そうだね、これもとても大切なものだね。今はでペンダントというよりお守りみたいになっているよ」

「そうか・・・大事な物は落とさないように気をつけてな。まぁなにはともあれ、落とし主が分かってよかった」

「本当にありがとう・・・そうだ、君の名前はなんて言うの?」


 そこでまだお互いの名前を知らなかったことを思い出す。

「俺は漸井蒼太」

「よろしく蒼太。そう呼んでいいかな」

「あぁ何て呼んでもらっても構わないよ」

「ありがとう。私は———」


 彼女が話そうとしたその時、制服に閉まっていた携帯が鳴る。相手は彰人からだ。

「ごめん、ちょっと出るね」

 一言謝り、電話に出る。

「もしもし、用事は終わったか?」

『なんとかな。それで今どこにいる?』

「今は屋上に来てる。終わったなら今から玄関に行くよ」

『あー玄関じゃなくて、ちょっとグラウンドに来てもらえるか』

「グラウンド・・・?」

 屋上からグラウンドを覗く。そこには、彰人と野球部が集まっていた。

 彰人もこちらに気付いたのか、手を振ってくる。

『おーいたいた、じゃあここで待ってるからなー』

「ちょっ・・・おい!」

 すでに通話は切られていた。彰人は野球部と話をしているようで、ここからでは声もあまり届かない。


「行くしかないのか・・・」

 嫌な予感しかしないが、呼ばれた以上行くしかない。

「何かあった?」

「ちょっとな・・・いやちょっとじゃなくなるかも・・・。俺グラウンドに用事出来たからもう行くよ」

「あっ」


(何か聞き忘れているような・・・)


 胸のもやもやを残しつつ、女生徒を置いてグラウンドに向かった。

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