第二章 奇縁

第3話 疾風の如し杏子の朝

 俺達が走り始めてから約8分が経過した。


 時刻は8:39。


 タイムリミットまで1分を切る。


 学校まで残り300m。十字路を右に曲がり、最後の直線に入る。周りに自分たち以外の学生は見えない・・・と思ったその時。

 後ろの方から勢いよく扉の開く音がした。音の出所的に先程通り過ぎた家のどれかから出てきたのだろう。しかもそいつも遅刻しそうになって急いで出てきたときた。

 しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。


 雑念を払って再び走ることに集中しようとした。が、後ろから謎の影が彰人に襲いかかる。

「す~~~~っきあり!!」

 彰人は一瞥もせずに影の襲撃を躱し、そしてそのまま右ひじで何かを叩き落とした。

「いっっっったぁぁぁぁぁぁ!!!」

 謎の影は地面に伏しそうになるところで耐え、前のめりになって俺たちの前に押し出される。

「蒼太、遅刻するからさっさといくぞ」

(またか・・・)


 頭を両手で抑えながら少し涙を浮かべている彼女は” 押杵美桜おしきねみお”、俺たちと同級生だ。黄色の瞳は彼女の性格を表しているようにキラキラとしており、杏色の髪はとても艶やかで、太陽光を浴びることで透明感が出ている。肩の下辺りで揺れているポニーテールには印象的な大きなアクアマリン色のリボンが付いている。


 理由は分からないが、美桜は彰人を見つける度に右横腹辺りを狙って襲ってくる。

 以前、一度だけ彰人に理由を聞いたが、はぐらかされるだけだった。ただじゃれているだけのようだし、あまり気にしてこなかったが、こう毎日来ると改めて気になり始めた。今度美桜の方に詳しい話を聞いてみよう。


 考え事をしながら美桜を置いて先に走っていたが、いつのまにか美桜も俺たちの横に並んで走っていた。

「むぅぅぅ・・今日もダメだったかー!くそー!!」

 指を鳴らして小さく舌打ちをしているが、いつものことながら全く悔しそうではい。


「美桜はなんで毎朝遅刻ぎりぎりなんだよ、家から学校まで300mないだろ」

「おっ!蒼太おはよー!私はねー常にギリギリの中でしか生きられない悲しい性なのよ。うむうむ」

「ただの寝坊だろ」

 美桜の言い訳を彰人が両断する。

「うっそれは・・・てか二人共汗臭!!」

 美桜が俺たちの汗の臭いに気づいて鼻を抑える。

「今朝は蒼太とキャッチボールしていたからな。それと、もうほんとにやばいから先にいくぞ」

 彰人は一気に速度を上げて先に行く。

「ここで加速するとか体力無尽蔵かよ・・・」


 タイムリミットまであと20秒。

 校門まで残すところ約150m。俺も彰人に続く。

「あっ!二人とも私を置いてくなー!」

 後ろの方で美桜の声が聞こえた気がしたが、今は遅刻しないことだけを考える。

 


 8:40


 校門が閉まる。


 校内には余裕の表情で立っている彰人、そしてその近くで座り込むと俺と、何故かハイテンションになっている美桜。


 そう、俺達はどうにか新学期早々の遅刻を免れたのである。

 あと少し公園を出るのが遅かったら、あと少し美桜と戯れていたら間に合わなかっただろう。


「とりあえずここにいても仕方ないから教室いくぞ」

「あ、あぁ・・・」

「えーもうちょっと休んでから行こうよー」

 彰人は俺達より先に教室に向かい、遅れる形で俺達もついて行った。



 ”2-1”

 新しい教室の前に着く。教室は2階にあり、ここまで1階分の階段を登ってくることすら辛かった。途中彰人の姿を見失い、俺と美桜だけが教室の前に立つ。


 俺は息を整えゆっくりと扉に手を掛ける。

(またここから新しい一年が始まるのか) 

 期待と不安を胸に扉に手を掛け、開かれた先へ視線を向ける。



 が、そこは俺の期待を裏切るかのようにもぬけの殻だった。


 唖然として立ち尽くしていると美桜が先に教室に入る。

「ふむぅ・・・この椅子、まだ暖かい。これはさっきまで誰かがここに居たということ。時刻は8時40分を回っているのに誰もいない・・・まさか!クラスメイト全員が神隠s・・・ってあいっったーー!!!!」

探偵気取りの美桜をチョップで制止する。


 直後、教室にだれもいない理由を思い出し、ため息交じりに右手で顔を覆ってしまう

「蒼太?」

 何もわかっていない美桜が尋ねる。

「今更だけどさ、今日って入学式があるんじゃないか」


 瞬間、俺達の周りだけ時間がゆっくり進む感覚に陥る。


 そしてそれを解くように

 「あー」

 美桜はぽんっと手を叩くと即座に教室から走って出て行った。

「おい美桜!抜け駆けかよ!」

 俺も美桜に続いて、今さっき入ってきた教室の出入口に体を向き直す。

 まだ式も始まったばかりだしなんとか入り込めるだろうが、遅れる分だけ入りにくくなる。俺も急いで向かおう。


 しかし振り向いた拍子、視界の端で何かが教室の床に落ちているに気が付く。

「・・・?誰かの落とし物かな」

 近づいて確認すると、そこには青いハンカチが落ちていた。


 ハンカチを拾いどこかに名前がないか探してみたが見当たらない。

「って何悠長なことしてるんだ俺は!」

 とりあえず今は俺が保管して、後で落とし主に返そう。

 ハンカチは畳んでポケットにしまい、体育館に向かった。


 

 体育館に到着すると、先についていた彰人にまた美桜がちょっかいをだしていた。

「おー蒼太遅かったな」

「遅かったな―じゃないよね蒼太ー!始業式があるならもっと早くいってくれればよかったのにー」

「は、はは」

 正直朝から走りっぱなしで、それどころではない。美桜も案外体力おばけだな。


 校長が少し遅れているみたいで開始が5分ほど伸びており、幸運にも式はまだ始まっていなかった。そのせいもあり、辺りは生徒同士の話し声で騒がしい。自分たちのクラスの列に行こうとも考えたが、2年生の列は体育館の真ん中。今移動すると目立って遅れてきたことがばれてしまう。

 俺たちはそのまま3年生の列の中に紛れることにした。


 校門から教室、教室から体育館と走って来てくたくただ。今すぐ大の字になって横になりたい。入学式だと分かっていれば荷物を下駄箱の上に置いて直行できたものを、一度教室まで行った分体力を消耗した。

 そんなことを言っても遅刻ぎりぎりに登校した俺が悪いし、普通の生徒は一度教室に行ってから体育館に向かっている。これは自分に対する試練なのだ。


 そう自分に言い聞かせていると、式を始める準備が整ったようで、それを察するように辺りのざわつきも収まっていった。

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