第16話 膝枕をしよう


 錬と雪乃は昼食を取り終えると、近くの公園で休憩をしていた。

 二人はベンチに並んで腰掛けている。公園では小さな子共達がブランコを揺らしたり、砂場でトンネルを作ったりして遊んでいる。地上では銃弾が飛び交う戦場だが、地下都市ではごく普通の穏やかな日常が流れていた。


「腹一杯になったらなんだか眠たくなってきたな」


 錬はうーんと伸びをしながら、そう呟いた。


「眠いの?」

「ああ、ちょっと食べ過ぎたかも」

「じゃあ、横になる?」


 お腹を撫でている錬に雪乃がそう提案した。


「いや、いいよ。俺が横になったら、ベンチを占領して神無城の座る場所がなくなっちゃうだろ」


 一人だけ横になって、雪乃を隣に立たせておくのはかなり心苦しいので、錬は雪乃の提案を断った。


「なら膝枕してあげよっか?」

「……えっ?」


 今までの雪乃なら絶対言わないであろうセリフを聞いて、錬は石像のように固まる。そして錬は思考する。

 女子に膝枕をしてももらうというのは、男子の夢の一つでもある。それが今、叶おうとしている。恋人でもない雪乃がなぜそんなことをいうのかさっぱり分からない。してくれるなら、お願いしたいところだが、相手が雪乃では後々どんなことになるのか分からない恐怖が頭をよぎる。


 ちらりと視線を落とすとそこには雪乃の白い柔らかそうな太ももが目に入った。黒のスカートと黒のハイソックスの間の絶対領域。どんな高級な枕よりも、きっと良い夢をみれるであろう素晴らしい枕が錬の目の前にある。


「ねえ、聞こえなかったの?」


 下を向いて押し黙っている錬の顔を、雪乃が覗き込んできた。


「ああ、ごめん。ぼーっとしてた。で、なんて言ったんだ?」

「膝枕してあげようか? って言ったのよ」


 雪乃は自分の膝をポンポンと手で叩いた。


「ああ膝枕ね。嬉しい提案なんだが、その前に一つ訊いてもいいか?」

「ええ、なにを訊きたいの?」

「どうしてそんなに優しくしてくれるんだ? 今までの神無城のイメージとは違い過ぎて、正直戸惑っているんだが……」


 錬は雪乃が何か企んでいるのでは思っており、それを遠回しに探ることにした。


「今までと違う……か。そうね、今までの私だったら錬に膝枕なんてしてあげない思う」

「そうそう、あり得ないあり得ない」


 錬はうんうんと頷く。

 激しく頷く錬に雪乃は少しだけ苦笑いを溢した。


「うーん、あんまり考えてなかったけど、……たぶん今までの分を取り戻したいからだと思うわ。私の勝手な思い込みで、錬との距離を置いていたから、その分を膝枕で取り戻そうとしてるのかも……」

「なるほど、そういうことか」


 錬は雪乃の言い分に筋が通っていることを確認した。


「もしかして、油断したところを私が襲うんじゃないかって警戒してる?」

「いや、そんなことは……」


 思っていることをずばり言い当てられて錬は言い淀んだ。


「まあ、そうだよね。今までの私の態度、酷かったもん。すぐに信用して貰えないのはしょうがないよね」


 雪乃は悲しそうに笑う。錬は雪乃を見て心が痛んだ。


「俺も神無城とは、ずっと仲良くしたいって思ってたんだ。つまりお互いの目的は一致している。それが膝枕という行為で達成できるのであれば、俺は協力を惜しまない」

「そんな言い方されると、膝枕が世界規模の重要なことのように聞こえるわ。まるで世界が膝枕で救われるみたい。そんなことあるわけないのにね」


 錬の堅苦しい言い回しに雪乃はぷっと噴き出した。


「いや、世界は救われるよ」

「……えっ?」


 錬の一言に雪乃は固まった。


「俺の世界。俺一人だけの世界がそれで救われる」


 錬のその言葉に、雪乃の顔が赤く染まった。そして雪乃は小さく呟く。


「……違うよ」

「いや、ごめん。なんか変なこと言った。違うよな」


 雪乃が顔を真っ赤にしているのを見て、錬も恥ずかしくなってしまった。


「ううん、そうじゃない」


 首を横に振り雪乃は否定する。

 

「……えっ?」


 錬は雪乃の次の言葉を待った。

 

「私の世界も救われる。だから救われるのは二人の世界だよ」

「…………っ!?」


 恥ずかしそうに言う雪乃を見て、錬の心臓が早鐘を打ち始めた。胸が苦しくなり、眠気は吹き飛んでしまっていた。


「あはは、そうだな。言われてみれば確かにそうだ」

「……じゃあ、どうぞ」


 雪乃が膝を叩き、ここに頭を乗せて、と誘ってくる。


「……失礼します」


 生唾を飲み込んで、錬はゆっくりと雪乃の膝に頭を乗せた。

 錬は後頭部に太ももの柔らかい感触を感じる。そして雪乃の長い黒髪からは良い匂いが香ってくる。眠る為に横になったにも拘わらず逆に覚醒してしまっていた。

 

「……どう?」


 雪乃が感想を訊いてきた。


「うーん、空が青い」


 錬は恥ずかしさのあまり適当に目についたものの感想を述べた。


「そうじゃなくて、膝枕の感想。固いとか、寝心地が悪いとかあるでしょ?」

「……ああ、そうだな」

「あはは、あんまり動かさないで、くすぐったいよ」


 錬が頭を左右に揺らしたので、雪乃から笑いが漏れた。


「ごめん。えーっと、すごく気持ち良い」

「そう、良かった」


 雪乃はほっと安心し表情を和ませた。

 錬と雪乃はしらばらくの間、上下で見つめ合う。


「ねえ……目、瞑らないの? 目を瞑ってくれないと、まぶたにマジックで目を描くイタズラが出来ないんだけど?」


 目をずっと開けている錬に雪乃が冗談交じりに訊ねる。


「ちょ、油性はやめろよ?」

「ふふっ、じゃあ水性なら良いの?」

「……水性なら良いぞ」


 少しだけ考えて錬は目をそっと閉じた。

 目を閉じた錬の頭の上から、雪乃の笑い声が微かに聞こえてくる。まさか本当にマジックでイタズラ書きをするのではと、ちょっとだけ不安になる。


「じゃあ、遠慮無く」


 錬は目を閉じているが、雪乃の顔が自分の顔に近づいてくる気配を感じた。

 何かを企むような含み笑いをしている雪乃。目を閉じている錬には、雪乃の呼吸音が大きく聞こえるように感じる。

 錬は目を開けたい衝動に駆られるが、目を開けることはなかった。ここで目を開けてしまったら、雪乃のことを信用していないと言っているようなものになる。せっかくお互いが仲良くしようとしているのに、無粋なマネは出来ない。


 雪乃の手が自分の顔の近くにある気配を感じる。

 雪乃は相変わらず含み笑いを漏らしている。雪乃がこんなに無邪気に笑っているのを錬は初めて体験する。だから、まぶたにマジックで落書きされても構わないと思った。

 そして錬のまぶたに何かが当たる感触が伝わった。

 さわさわとした感触がまぶたを撫でて、錬はくすぐったくなる。

 感触からして、マジックではないことは分かった。筆のようなモノで撫でている。だが、筆ペンのようにインクで湿っているわけではないようだ。


 まぶたに神経を集中していて気付くのが遅くなったが、その撫でている物体からなんだか甘い香りが漂ってくる。その甘い香りは雪乃の髪と同じ匂いだと錬は気付く。

 つまり錬のまぶたを撫でているのは、雪乃の髪の毛。

 雪乃は自分の髪の毛の先をつまんで、それで錬のまぶたを撫でていたのだ。


 それが分かった瞬間、錬は物凄く恥ずかしくなってしまった。公園にいるのが二人だけならいいのだが、この光景を第三者が見たらと思うと顔から火が噴きそうになる。

 雪乃はイタズラをするのに夢中で、周りにまで気が回っていない様子だ。

 この場面をもしクラスメイトの誰かに見られたら、後で絶対からかわれる。錬はどうするべきか迷った。

 止めるべきが、このまま身を委ねるべきか。

 そして錬の出した答えは、なるようになれ! だった。

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