ばあやの毒舌は止められない

「ば、ばあや!? わざわざ迎えに来なくても良かったのに! カリン、ちゃんと一人で門限までには帰るつもりだったんだよ?  絶対に門限を破ったりしなかったよ?」


 お婆さんは花梨さんの家のばあやさんだった。だけど目の前にいる人物はボクが想像していたような世話好きで優しいばあやとは真逆なタイプだった。

 ほっかむりで影になった眼光はナイフのように鋭く、今にもボクに襲い掛かって来そうな迫力がある。

  

「迎えの車を寄越したで。さあ、四の五の言わずにわしと一緒に帰るんじゃ。夕飯に遅れると旦那様にまたどやされるのじゃ」

「うっ……おじい様……怖い……」 


 ばあやの口から〝旦那様〟の名が出ると、花梨さんの雰囲気が急変してしまった。まるで人形のように無表情に固まっている。


「ほれ、なにをしておるカリン! 早く帰るぞ!」

「あうっ……」


 ばあやは右手で花梨さんの左腕を掴むと、黒塗りの車の方に強引に引っ張っていく。

 門の前に横付けされた車の前には、黒服にサングラスという屈強そうな男が二人立っている。

 一瞬たりともボクと目を合わそうともせずに花梨さんはボクに背を向けた。


 そのときボクは、彼女が得体の知れない何かに飲み込まれていくような、そんな不安感に襲われた。


「ちょっと待ってよ!」 


 ボクが声をかけても花梨さんは振り向くことはなく、その代わりにばあやが鬼の形相でボクをにらみ返してきた。


「お嬢に気安く話しかけるでない! この女たらしの血族めが! 良いか、お嬢に近づいて良いのは、長身のイケメン男子に限るのじゃ!」

「うっ」


 これ、ボクの存在意義を根底から否定してくるレベルにひどい誹謗中傷だよね。

 初めて会った相手にそんなことを言われると、胸がギューっと締め付けられるように苦しくなる。

 その一方で、『ん~? このセリフ、どこかで聞いたような気が~』というどこか冷静な自分が頭の中に混在している不思議な感覚。

 そしてそして驚いたことに、そんな二つの感情に加えて、第三の感情とでもいうものがボクの中には存在していたようで……


「くわっ……な、なにをするんじゃお主は!?」

「ばあやさん、その腕ちょっと見せてください」

「はわわっ……や、やめ……」


 ボクはばあやの左腕を持ち、肘に顔を近づけてのぞき込む。薄暗くて見えにくいけれど、ばあやの肘から赤い血が流れていた。 


「ばあやさん、怪我をしていますよ?」

「ふえっ?」

「あっ、ほんとだ! ばあや肘から血が出てるよ!」


 花梨さんもようやく気付いてくれた。


「だ、大丈夫じゃ! このくらいの怪我など、ツバを付けておけば、な、治るわい!」

「ダメですよ、そんなことしたら! 傷口から化膿して大変なことになっちゃいますから!」

「そうだよ、ばあや! すぐ手当をしないと!」


 腕を引っ込めようとするばあやと、それを何とか二人がかりで押さえ込もうとするボクと花梨さんで、もみ合いが始まった。


「心配せずともこのぐらいの傷は……」

「ダメだよばあや! ばあやに死なれちゃうとカリン、また一人になっちゃうよ……」

「――ッ」


 見ると花梨さんの頬に涙が光っていた。

 ばあやもそれに気付いたようで、腕の力をフッと抜いて抵抗するのをやめた。

 先ほどまでの殺気が嘘のように消えていた。


「大丈夫じゃ、カリンよ。わしはお前の晴れ姿を見るまでは、閻魔さまに楯突いても死にはせん。たとえ爺様が迎えに来ても追い返してやるつもりじゃから……」


 そう言いながら、ばあやは花梨さんの頭に手を乗せ、わしゃわしゃと撫で始める。

 なんかいいなぁ。

 そのときボクの目には、二人がまるで本当の孫とお婆さんのように見えていた。

 おっといけない。今はそれどころじゃなかった。


「あ、あの……いま家から救急箱を持ってくるので、ちょっと待っていてください」

「待て。わしは大丈夫と言うておるじゃろう……」


 玄関に向かおうとしたボクを、やわらかな口調でばあやが止めた。


「ツバを付けておけば治るというのは冗談じゃ。このわし特製の良く効く軟膏薬を持っておるで心配するな」

「特製の軟膏薬……? ばあやさん、薬の調合もできるんですか?」

「わしらに怪我はつきものじゃからな。ほれ、お主にも分けてやろう」

「あわわっ」


 ばあやがひょいと投げてきたので、ボクは慌ててキャッチした。

 薄暗くてよく見えないけれど、プラスチックの容器に黒っぽいドロドロとした液状のものが入っている。


「それが最も必要なのは、お主の家政婦・・・のようじゃからな。ふぁッ、ふぁッ、ふぁッ――」

「え? それはどういう……」  

「んじゃ、いくぞカリン!」

「う、うん。じゃあ、明日また学校でね。ショタ君バイバイ!」


 花梨さんはそのままばあやに手を引かれて、車へ乗り込んで行ってしまった。


 嵐が去ったあとの玄関先で、ボクはしばらく呆然としていた。

 そしてようやく気付いたのだ。

 姉がいない!


「お姉ちゃん? お姉ちゃんどこ? 喜多さん、お姉ちゃんはそこにいる?」


 ボクは慌てて家の中に入った。


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