おやすみなさい(参)

 喜多がお茶を用意しにキッチンスペースへ戻っていくと、姉はやや不満げな表情を残しながらも魚料理を口に運んでいく。

 なんだかんだ言っても喜多が作った料理は美味しいから、本人の意志とは裏腹に自然と箸が進むのだろう。


「そういえば、ボクたちは海のそばまで行っておきながら全然魚介類を食べてこなかったよね。それなのに家に帰ってからこうして美味しい魚料理を食べているんだよ? 何だか可笑しいよね?」


「そうね。可笑しいわね……」


 ……姉の反応が薄い。

 いつもだったらどんなに不機嫌そうな時でも、ボクが話しかけるととたんに機嫌良くなってくれるのに。


「その刺身もすっごく美味しいよ。ネタが新鮮なだけでなく、きっと喜多さんの包丁の入れ方が上手なんだよね」


「ん。美味しいわね……」


 ……やっぱり様子が変だ。

 顔は笑っているけれど、気持ちが入っていないというか……うまく言えないけれど、とにかくいつもの姉ではない感じがする。


 うーん。

 どうしよう……


 あれこれ思案していると、姉も何やら考え込んでいるようで、二人して黙々と魚料理を口に運ぶだけの時間が続いてしまった。


 とうとうこの得体の知れない緊張感に耐えきれなくなったとき、時を同じくして姉は持っていた箸をパタンと置き、手をついて立ち上がる。


「もう限界なんだからぁー」


 先に沈黙を破ったのは姉の方だった。

 

しょうちゃんと鮫嶋さんの間に、ゼッタイ何かあったよね? それなのにしょうちゃん、電車の中で何にも言ってくれないしぃー! 私、しょうちゃんから話してくれるのをずっと待っていたのにぃー!」


 と息継ぎをせずに一気にしゃべったものだから、顔が真っ赤になってぜーぜーと荒い息をしている姉。


「ご、ごめんなさい……」


 そんな姉に対して、ボクは気の利いた言葉を出せずにうな垂れる。


「はっ……ち、違うのよ? お姉ちゃんはしょうちゃんのこと責めている訳じゃなくてね……」

「うん、分かってる。ボクがもっと早く相談していたら、お姉ちゃんを悩ませることもなかったんだ。だからごめんなさい。今からちゃんと話すよ!」

「う、うん! どーんと来い、だよっ! どんな内容でもお姉ちゃんは受け止める覚悟はあるよっ!」


 それからボクは海岸での出来事について話した。


 ボクと花梨さんが互いの気持ちを打ち明け、友達になったことを。

 ボクに初めての親友ができたということを――


 それまでうんうんと頷きながら聞いていた姉は、ハッとした表情を向けてきた。


「それだけ?」

「えっ」

「それだけ?」

「あっ」


 トクンと心臓が高鳴った。


「えっと……最後に向こうからよろしくお願いしますの挨拶をされたから……ボクの方からもお返しの挨拶をしたけどねー?」


 声が上擦うわずってしまった。


「ふーん……本当に?」

「ほ、ほんとだよ……」


 ボクは決して嘘はついていない。でも姉の鋭い眼力は、そんなボクの頭の中まで見通せてしまうほどの強さを感じさせる。

 変な汗が出てきた。


「そっか! 話してくれてありがとっ!」


 姉はいつもの笑顔に戻った。

 ボクはほっと胸をなで下ろす。


「お茶をどうぞ」

「ひっ!」


 突然耳元で声がして、ボクは口から心臓が飛び出すほどに驚いてしまった。 

 いつの間にか喜多がボクの背後に立っていたんだ。


 今日のお茶はいつもよりも濃い味がした。



 ▽



「ふうーっ、今日は一日疲れたなぁー」


 風呂上がりにベッドにダイブしたボクには、目をつぶれば秒で眠りにつく自信がある。今日は朝からいろんなことがあってもうヘトヘト。

 幸い明日は日曜日だから、このままずっと家で寝ていることもできるようなできないような……

 そんなボクの怠け心をいさめるようなタイミングでスマホが着信した。


「え、花梨さん!?」


 目をゴシゴシしてスマホの画面を何度確認しても、そこに浮かぶのは『鮫島花梨』の四文字だ。

 高校に入って間もない頃に互いの連絡先を交換していたけれど、本当に電話をかけてくるとは思わなかった。


 あ。


 ボクたちは友達になったんだから、電話をかけ合うことなんて当たり前のことなんだ。


『遅い! カリンからの電話は秒で取りなさいよ!』

「ごめん。いろんな思い出が走馬灯のように駆け巡っていたんだ」

『なにそれ……まあいいわ。今度からはすぐに出なさいよ?』


 そんな他愛のないやりとりの後、花梨さんは帰りの電車の中で鈴木先輩とお別れしたことを話してくれた。


 そっか。ボクの気持ちがちゃんと届いていたんだ。やっぱりうれしい。


 きっとこの先、花梨さんには新しい出会いがあるだろう。

 そのときは唯一無二の親友として精一杯応援しよう。うん。


『――カリンを選ばなかったことを後悔させてやるから!』 


「えっ」


 いつもの癖で自分の世界に入り込んでいるうちに、なぜか花梨さんの声のトーンが変わっていた。


『そのとき死ぬほど後悔しても遅いんだからー! じゃあね、バーカ!』


「あっ」


 耳に押し当てたままのスマホからはツーツー音が虚しく聞こえている。  

 最後の言葉が『バカ』なんて辛辣すぎるぅー。


 しばらくうさぎの抱き枕に顔を埋めて気を静めよう……と思ったらピコッとショートメールが届いた。



 ――『忘れてた。おやすみ』――



 あ。




 ボクは『おやすみなさい』と返信した。



   [第二章 鮫島花梨AAは女を磨きたい 完]

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