王子様のキッスで目覚めるのは…(伍)

 水族館とプラネタリウムのある複合施設を出て、駅の方向へと向かう歩道橋からは、水平線に沈む夕陽が見える。


 もちろん海岸線沿いを歩けば、どこからでも見られる訳だけれど、それが偶然見えたということが、どこか運命的な特別感を演出する。


 ――と、あいつは言っていた。 


 駅方面出口から。先輩を誘導するように腕に手を回して、ぴったりとくっついて歩き始める。


 手を少し持ち上げて時計をちらりと見る。

 日の入りまであと5分30秒。


 うん。ちょうどいい時刻。


 あかね色に染まった空に、星が煌めいている。


 あれは何の星?


 ばあやにもらった星座早見盤は滋賀に置いてきてしまった。


 もうずっと昔のことなのに。

 なぜ、今、このタイミングで思い出しているの?


 ああ。

 こうして空を見上げたのは何年ぶりだろう……


 今頃、あいつも電車の窓から見上げているのかな?



「いやぁ、今日は楽しかったねぇ-」

「えっ? あ、はい……そうですねセンパイ!」


 いけない。

 いつもの悪い癖が出ていた。

 あいつのことを考え始めると、なぜかわたしはおかしくなる。


 うっかりわたしが手を離していた隙に、鈴木センパイは両腕を上げて大きく伸びをしていた。

 わたしは降りてくる左腕を待ち構えて、すぐに手を回した。


「あ、見てくださいセンパイ! ちょうど夕陽が沈みますよ!」


 海の方に指を差し、グイグイと引っ張って行く。 

 センパイは「わあ、ほんとだー」と少年のような声を上げる。

 

 周りにはわたしたちと同じように、何組かのカップルが夕陽を眺めている。


 舞台は整った。


「すっごい偶然ですねー。カリンたち、すっごい運がいいですねー」

「うん。こんな景色を見られるとは、ラッキーだったね!」

「ほんとですよー。なんか、運命的なものを感じちゃいますね?」

「ははは、そうだね」


「あの……」

「ん?」 


「あの……」

「……?」


 次の言葉が出てこない。

 緊張?

 ちがう。


 わたしはそんなことで緊張などしない。

 わたしはあの日、生まれ変わったのだ。

 ばあやの修行をうけて、変われたのだ。




 <<わたしは、カリンになったのだ!!>>




「鈴木センパイ! カリンと付き合ってください!」



 目をギュッと閉じ、カリンは言った。

 カリンは思ったことはすぐ口に出す、とても明るくて楽しい子。

 顔だって可愛いし、こんな子の告白を断れる男子はどこにもいない。 

 

 ……はずなのに。


「…………」

 センパイは無言だった。


 カリンはそっと目を開けて見上げると、困惑の表情を浮かべたセンパイの顔があった。

 

「……センパイ?」


「鮫嶋さん……なんで泣いているの?」


「え……」


 頬に手を触れると、確かに涙が流れていた。


 どうして?


 なんで?


「あ、あれ? 目にゴミが入ったのかも……」


「あ、そりゃ大変だ。両目にゴミが入っちゃったら辛いよね。どれ、見せてごらんよ」


 やっぱりセンパイはやさしいな。

 背が高くてイケメンだし。

 ばあやが言っていた条件にぴったり当てはまっている。


 カリンが顔を上げると、センパイの顔が近づいてくる。


 これ、シチュエーション的にもこれからキスをするカップルのように見えているんじゃないかな?

 

 でも、思ったよりドキドキはしないものなのね。

 本当にキスをする時も、きっとこんなもんなんだ。



 ――と、その時。



 ガッと手を握られたと思ったら、


「ダメだ花梨さん!」


 あいつの声。


「鈴木先輩はダメだァァァーッ!」


 ええー!?


 カリンはショタ君によって連れ去られていくのだった。   

 

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