まず馬を射よ(参)

「ふうー、やっと座れましたねセンパイ!」


「ほんとだねー。こんなに混んでいるとは思わなかったねー。こんなことなら鮫嶋さんのお勧めのレストランに入ればよかったかな?」


「いえいえ、映画の半券を見せれば10パーセント引きになるというお得情報を聞いたからには、もうここ1択ですよ! センパイ、教えていただきありがとうございます!」


 花梨さんと鈴木先輩の会話は丸聞こえだ。だって、薄い衝立ついたての反対側にボクと姉が座っているのだから当たり前だよね。

 その衝立だって、普通に座ったら頭のてっぺんが見えてしまうぐらいの微妙な高さなんだ。

 だからボクと姉は、テーブルに突っ伏して身を隠している。


 それにしても、花梨さんの日頃の言動から、ボクはてっきり彼女はお金持ちの家の子だと思っていたのだけれど、10パーセント引きに釣られるということは、それはボクの思い込みだったのかもしれない。


「あ、センパイはステーキを注文したんですか? それ、ステーキ屋さんのお知らせベルですよね?」


「うん、俺ここのサイコロ肉はよく食べるんだよね。鮫嶋さんは伊太利屋だね?」


「はい! カリンが大人の女だってところをセンパイに見せつけたくて、今日はお洒落にパスタでキメてみました!」


 そんな余計なことを言わなくていいのに!

 ボクはずっこけそうになったけれど、突っ伏した姿勢でいたからセーフだった。


「ははは、鮫嶋さんは本当にユニークな子だねー。ふうーっ、笑ったら喉が渇いちゃった! 何か飲み物買ってくるけど、何がいい?」


「あ、そんな……飲み物はカリンが買ってきますよ!」


「いいよいいよ、そのぐらい俺におごらせてよ」


「いーんです! カリンはセンパイに勉強を教えていただいたお陰で、学年8位の成績がとれて、デートができるようになったんですから! ここはカリンにお礼させてください」  


「そっか。じゃ、コーラを頼もうかな……」


「はい、よろこんで!」


 なんだか二人の会話を聞いていると、世界が衝立を境界線として陰と陽の二つの世界線に分かれてしまったような感覚を覚えた。

 同時に、陽の世界線の中心にいるべき存在の姉を、ボクの失策のせいで陰の世界に引きずり込んでしまったことが本当に申し訳ないという感情がこみ上げてきた。


 花梨さんの軽やかな足音が遠ざかり、衝立の向こう側には鈴木先輩だけが残された。


 この場を離れるなら、今がチャンスだ!


 正面の姉に合図を送るために顔を上げると、姉はテーブルの上にアゴをのせた姿勢のまま、じっとこちらを見ていた。

 少し上気したその顔は、衝立の向こう側など関心がないという感じで、ボクに微笑みを向けている。

 戸惑いながらも、ボクは小声でささやく。


「に、逃げるなら今しかないよね?」


「えっ!? あ、そっか。うん、いいよ。じゃあ、食事の続きは別のテーブルでしましょう。うふふ」


 と、まるでスリルを楽しんでいるかのように笑った。

 姉の何でも楽しみに変えてしまう性格は、母にとても似ている。


 ボクらはそれぞれのお皿と紙コップを持って、鈴木先輩の死角になるコースを選んでテーブルを離れていく。



 ――ところが、スリル満点の探偵ごっこはすぐにフィナーレを迎えるとこになる。

 

「センパイ、お待たせしましたー!」


 という元気な声が聞こえた次の瞬間、短い悲鳴と共にドンガラガッシャーンという派手な音がフードコート中に鳴り渡ったのだ。 

 

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