将を射んと欲すれば(弐)

 テレビの前のソファーでホットミルクを飲んでいると、キッチンから食器の片付けをしている音が聞こえてくる。私はこの穏やかに流れる時間が好き。

 飲み終わったカップをローテーブルに置き、ソファーにもたれかかり、薄く目を閉じる。そうして、私はただただしょうちゃんがお風呂から上がってくるのを待っている。私はこの時間が好きなのだ。


 やがて、しょうちゃんがドアを開け、ダイニングテーブルの脇を通り、こちらへ向かってくる足音が聞こえる。


 でも、まだ私は目を開けない。

  

 しょうちゃんは私が寝ていると思って、そっとのぞき込むのだ。

 ほら、今夜も―― 


「お、お姉ちゃん!」

「ふぇッ!?」


 突然声をかけられて、私は変な声を上げてしまった。

 見ると、耳まで真っ赤になった湯上がり姿の天使が立っていた。


「ボ、ボク……お姉ちゃんにお願いがあるんだけど!」

「いいよ!」

「えっ、ボクまだ何も言っていないけど」


「そんなに真剣な顔でお願いしてくるしょうちゃんに対して、お姉ちゃんは絶対に首を横に振れないよ。もう、お姉ちゃんはしょうちゃんに絶対服従を宣言するよ!」


「うっ」


 私の勢いに圧されて、しょうちゃんは言葉に詰まっている。 


「お姉ちゃんはァー、しょうちゃんの尊さにィー、無・条・件・降・伏だよ?」


 大事なことなので、表現を変えてもう一度言った。


 ドンガラガッチャン――

 キッチンから騒々しい音が聞こえてきた。

 しょうちゃんはキッチンの方に視線を向けようとしたので、私は間髪入れずに両手でしょうちゃんの手を握り、視線を戻させた。


「さあ、お姉ちゃんに何でも話してみて! しょうちゃんが望むなら、お姉ちゃんの心も体も、ぜーんぶしょうちゃんの好きなように使っていいんだよ?」


「つ……使うって……何に!?」


「うふふ」


 顔を真っ赤にして戸惑うしょうちゃんはまさに天使。


「さァーさァー、お姉ちゃんになァーんでもお願いしてみて!」


 ぐいっと手を引き寄せて、天使の耳にささやく。

 

「じ、じつはボク……男女の仲を進展させる方法をお姉ちゃんに教えて欲しいんだ!」


 その瞬間、脳細胞が躍動した。

 私は立ち上がり、歓喜の声を上げる。

「とうとうこの日がやってきたのね! いいわしょうちゃん、今すぐお姉ちゃんの部屋に行きましょう! それとも初めてはやっぱりしょうちゃんの部屋がいいかな!? いいかな!?」


 しょうちゃんの手首を握り、強引に引っ張って行こうとしたら、パンとその手を弾かれた。

 背後に何者かの気配がしたと思ったら、くるっと体がコマのように反転して、後ろから首に腕を回されてしまった。


「お嬢さま、ご乱心ですか? 今一度、ショウタさまの言葉の意味を、その破廉恥な脳味噌で反芻はんすうなさってみてはいかがでしょうか? もぐもぐ……」


「き、喜多ァ――」


 やはりというべきか、こんな場面で私の邪魔をするのは、私の両親以外には彼女しかいなかった。

 彼女の腕にあと少し力が入れば、私の意識は飛ぶだろう。

「ショウタさまは『男女の仲』とおっしゃいました。ただそれだけでございます故に……もぐもぐ……」


「で、でも……」


 『だん』がしょうちゃんに違いないとして、『じょ』は私以外に誰がいるというの?

 しょうちゃんに近寄ろうとするハエは、ことごとく退治しているはず。

 唯一、私の親友である美紀さんだけはその対象から外してはいるけれど、彼女はあの日以来、私にべったりくっついてきて、片時も離れようとしないから、美紀さんであろうはずもない。


 じゃあ、やっぱり私以外いないじゃないの!

「――ん? あなたさっきから何か口にくわえていると思ったら、それエビフライ!?」


 なぜエビフライを食べなから、彼女は私の首を絞めようとしているのか、そもそも今夜のメニューにエビフライは無かったはずなのに…… 


「ああっ! ど、どうしてそれを喜多さんが?」


 不思議なことに、喜多の口元を指さして、しょうちゃんがひどく狼狽ろうばいし始めたのだ。


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