ようこそ!お姉ちゃん温泉へ(結)

 「あらあらショウタ様、随分お困りのようですね」


 家政婦の喜多きたが、ドアの隙間から顔を覗かせてそう言った。


 喜多の顔を見たとたん、ボクと姉の二人きりだった密室のプライベート空間に、ほんのり新しい風が吹き込んできたような、そんなホッとした気分になった。硫黄の強烈な匂いで鼻がもげそうなのは相変わらずなのだけれど。


「くっ――、貴女は今夜大事な用事があるから家政婦の仕事はお休みするって言ってたじゃない! それなのに、何でここにいるのよぉー!」


「そうです。私は本日はお休みを頂いているのです。故に普段は立場上できないこともできてしまうのです。お休み故に……」


「ちょっと何言っているのか分からないわ!」


 戸惑いを見せる姉に対して、薄く紅をさした唇の端を少しあげ、余裕の笑みを浮かべている喜多。両者の視線はボクを挟んでぶつかり合い、まるでバチバチと火花を散らしているようだ。


「ショウタ様…… お背中を洗ってさしあげましょう……」


 そう言いながら浴室のタイルを踏み込む喜多の足には赤いマニキュアが塗られていて、そこからすらりと伸びるふくらはぎは珠のような白い肌。そこから上は白い服で見えなくて、ボクはまたしてもホッとする。

 と同時に、一瞬でも喜多が裸にタオルを巻いた格好をしていることを想像してしまったことに罪悪感を感じてしまうボク。


 あぁ……今夜のボクは何か変なんだ。

 そしてボク以上に変な姉は、喜多の異様な姿に突っ込みを入れ始める。


「はっ!? 何なのその格好は! まるで今から滝にでも打たれにいくみたいな格好じゃないのじゃないの!」


 姉が指摘するように、喜多は真っ白な白装束を着ていた。たぶん、下着は上下とも着けていない。薄い木綿生地の着物は、うっすらとカラダのラインが透けて見えるから分かるんだ。


「そうですね、できることならショウタ様の愛という名の滝に打たれてみたいものですね」


「……なにそれ。全然うまく言えてないし。貴女今夜はちょっと変ね」


 ボクには喜多と姉の会話の内容はよく分からないのだけれど、珍しくテンション高めの喜多に圧されて、姉はあたふたとして落ち着きがなくなっているみたい。


「さあ、ショウタ様。湯船の中は危険ですから早くこちらへ」


「ちょっ、ま、待ちなさい! しょうちゃんはこれから温泉で温まるところなんだからね! なぜなら、那須温泉の素を入れたお湯は追い炊き機能が使えないの! 今のうち温まらないとどんどんお湯が冷めちゃうんだから!」


「へえー、ふーん、なるほどー、そうなのですねー」


「な、なによ……」


 すると、喜多が前屈みになって姉の耳元に口を寄せてきた。


「追い炊き機能はオフにしても湯沸かし器は使えるので、少しずつ熱いお湯を足していけば良いのです。そんなことに気づかないとはお嬢様も焼きが回りましたね。それとも……はじめから気づいていたのに隠していた、ということでしょうか?」


 喜多は姉に何かささやいていたけれど、ボクには何のことだかさっぱり分からないや。ただ、姉は『ぐぬぬ』と苦虫を噛みつぶしたような表情を見せているから、それがあまりうれしい話でなかったことだけは確かだ。


「それに……ショウタ様は私の将来の旦那様になられるお方。そのお方のお背中をお流しすることに何の障壁があるというのでしょうか?」


「ねえ貴女、今、さらりと恐ろしいことを口走ったわね!」


「さて、なんのことでしょうか。ショウタ様は夢見沢家の跡継ぎ、つまりは現在の旦那様がご逝去の後は、私はショウタ様に仕える身であるということです」


「あっ、そっち? そっちの旦那様の話か……」


「そうですよ、うふふふ……さあショウタ様、どうぞこちらへ」


 喜多がバスチェアーをポンポン手のひらでたたいてボクを誘ってきた。今夜の喜多はとても艶めかしい感じがするのだけれど、それはきっとボクが変なことを考えてしまうからなんだ。

 

「ちょっと待ちなさい二人とも!」


「どうなさいましたかお嬢様? まさかお嬢様……私がショウタ様の背中以外の部位を狙っているとでも?」


「ぐっ……ち、ぢかうのかなぁー?」


「ええっ、な、何なの背中以外の部位って? ねえ、二人とも今夜はなんか変だよ! ボク、なんだか怖くなってきたからもう出よっかな……」


 ボクは腰に巻いたタオルを押さえながら立ち上がる。でも急に立ち上がったのがいけなかったらしく、くらっと目眩がしてよろけてしまった。 


「ダ、ダーリィィィン!」

「だ、旦那さまぁぁぁ!」


 二人の声が狭い浴室に響く。

 ボクは喜多に抱きかかえられて無事だったけれど……

 

「お、お姉ちゃん、前、前がはだけてるよ!」


 姉の大事な部分を隠していたタオルはお湯の中に取り残され、露わになった姉の裸が見えてしまった。いや、正確には浴室に充満した湯気であまり良くは見えなかったのだけれど……


 姉は「きゃっ」と短い悲鳴を上げ、ジャバーンと湯の中に身を隠した。


「お嬢様はいつも肝心なところで怖じ気づいてしまわれますね。私ならばもっとうまくやれたのです」


「……放っておいて頂戴!」 


 姉は爪を噛み噛みしながら、とても悔しそうな表情をしていた。


 それから喜多はボクたち姉弟の背中を交互に洗い、「今夜は夜通し温泉タイムとしゃれ込みますヨー」とか言いながら、とても楽しそうにしていたんだ。


 それにしても、喜多がこんなにも温泉が好きだとは、意外な一面を発見したな。


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