ようこそ!お姉ちゃん温泉へ(6)

 薄い扉の向こう側はまるで別世界だった――


「ようこそ! お姉ちゃん温泉へ」


 扉を開けるなり、姉の弾んだ声がタイル張りの浴室に響いた。湯船から立ち上る湯気が充満した浴室に、温泉特有のタマゴが腐ったような強烈な匂いが立ち込めている。


「す、すごい匂いだね、これは……」

「うん、すごいでしょう? でも、この匂いに負けない強い意志を持った者のみが、真実の温泉マスターになれるんだよ、しょうちゃん!」

「温泉マスター……?」

「そうだよ、しょうちゃん! ふふふふぶぶぶぶくぶく……」


 そう言いながら鼻までお湯に浸り、鼻からぶくぶく息を吐いている姉は、何だか可笑しなテンションになっていた。温泉マスターとか変なことを言い出したけれど、大丈夫かな?


 それに……お姉ちゃん温泉ってなに?


 でも、才色兼備で何事にも完璧な姉のことだから、これにも何か深い意味があるんだと思う。だから、凡人で何の取り柄もないボクなんかは、姉の話に合わせることぐらいしかできないんだ。


「じゃあ、ボクは頑張ってお姉ちゃん温泉の温泉マスターを目指そっかな。うん、頑張ってこの匂いに耐えてみせるよ!」


「お、お姉ちゃんのマスターに……なってくれるの!? はわぁー……」


 胸に置いていた手を万歳のように上げてオーバーリアクションで返してきた姉は、腰がつるっと滑ってじゅぶんと頭まで湯に入ってしまう。

 慌てて座り直すときに巻いていたタオルがはだけて、大っきな胸が見えそうになったので、ボクは慌てて目を逸らす。


「よ、よーし、じゃあ、まずはシャワーで汗を流すかな……」


「あっ、ダメよしょうちゃん! 湯沸かしのスイッチを切っちゃってるから、今は水しか出ないんだよ!」


「あ、そっか……」


 そういえば『那須温泉の素』に含まれる硫黄成分のせいで、湯沸かし器のスイッチを切っているんだった。だからこそ、ボクたちはこうして二人でお風呂に入っている訳であり……

 ボクは危うく水のシャワーを全身に浴びてしまうところを姉に救われたんだ。


「じゃあ、失礼して浴槽のお湯を使わせてもらうかな……」


 そう呟きながら、ボクは遠慮がちに手桶を姉の体からなるべく離れた場所に入れようとしたら、そのボクの手の上に姉の細い指が被さってきた。


しょうちゃん……ほら、この濃ぉーいところのお湯を使っていいんだよ?」


 姉はボクの手をぐいっと引き寄せ、自分のお腹と胸の中間付近のお湯を掬うように誘導した。

 えっと……濃い部分って……温泉の素はお湯に完全に溶け込んでいるはずなのに……成分が濃い部分とかあるのかな?


 うっかりタオルの隙間から胸の谷間を見たりしないようにボクは両目をギュッとつぶったまま、頭からバシャーッと勢いよくお湯を浴びた。


 温泉特有の硫黄の匂いの後に、バラの花のような残り香――


 裸の姉が入っているお湯を、姉の目の前で頭からかぶるということの罪悪感にボクの胸はチクリとなった。


「あーあ、汗を流しちゃったねー。……温泉に入る前のマナーとしてはお湯を浴びて身を清めるのは正解だよ。でも、お姉ちゃんはしょうちゃんの体についた汗と汚れ、古い角質層に至るまで、そのまま受け入れる所存だったんだよ。ううん、ぜひそうしてもらいたかったんだけどなー、うふふふぶぶぶくぶくっ……」


「えっ」


 その発言の意図がつかめないボクは驚いて振り返ったけれど、またしても鼻までお湯に浸かってぶくぶくしている変なテンションの姉。

 

「さあー、しょうちゃーん、おいでおいでー。早く温まらないと風邪引いちゃうよー」


 ゆっくり浮上した姉は両手で手招きをしている。途端にボクは顔から火が出るように上気する。

 いよいよその時がきたのだ。


「じゃ、じゃあ……入るよ」


「んふーっ」


 ボクは姉の足を踏まないように注意しつつも、なるべく姉の姿を直視しないように目を逸らしながら足をチャプンと入れていく。お互いにタオルを巻いて大事なところは隠しているとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。


 ところが、ボクのそんな気持ちを知ってか知らでか、これまでとは少し違う声のトーンで姉は口を開いたのだ――


「ねえ、しょうちゃん……」


「ん?」


しょうちゃんはさぁー、お姉ちゃんの裸なんか見たくないの……かな?」


 唐突にそんなことを言われて、その時ボクは初めて姉の顔を直視したんだ。


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