それぞれの誘拐事件(結)

「んーっ! しょうちゃんのカレー、サ・イ・コォーッ!」


 バンザイするように両手を突き上げて姉が雄叫びをあげる。


「よかったぁー! 久しぶりに作ったから気に入ってもらえるかどうか心配だったんだ」

「んふーっ、しょうちゃんの作る物なら何でも美味しいにきまっているよ。んふーっ」


 スプーンを口に咥えてニコニコ顔の姉。

 えっと、それじゃあ、カレーの味を褒められているのかどうか分からないのだけれど。


 その隣の席ではエプロン姿の喜多が大きなサラダボールから慣れた手つきで取り分け用の皿に盛り付けている。彩り豊かなサラダは栄養バランスを考えて彼女があり合わせの野菜で用意してくれたもの。

 実はボクは生野菜が苦手なんだけど、それを言うと彼女が寂しい顔をするのものだから、なかなか言い出せないでいる。


「ささっ、ショウタ様、お召し上がりください」

「あっ、うん。……喜多さんありがとう」

「うふふ、ショウタ様のご厚意で今夜は私も食事を同席させていだきます。ショウタ様の愛情のこもった手作りカレー、とても楽しみでございます。ショウタ様」

「あ、うん。たくさん食べてね、喜多さん」


 以前なら一緒に食べようと誘っても、すました顔で断っていた喜多だけれど、今夜は満面の笑顔を向けてくる。

 思えば真夜中にボクの部屋に訪ねてきた時から何か様子がおかしかった。あの時は編み紐のミサンガのお土産をくれただけだったけれど、それ以来どうにも様子が変なんだ。


 とても気になるー!

 

 そしてボクにはもう一つ気になることがある。

 これはボクの勘違いかも知れないけれど、喜多がボクの名を呼ぶ度に姉の耳がピクリと動いて険しい表情になっている。今日、姉と喜多の二人に何かあったのかな? 


 そんなちょっとした変化はあるものの、これはいつもの我が家の食卓。ボク達の日常の風景だ。


 誘拐犯から電話がかかってきた時はどうなることかと思ったけれど、こうして今夜も三人で食卓を囲むことができた。それもこれも、姉のボディーカードのお陰なんだ。

 父でさえも会ったとこがないという謎の人物。ボディーガードといえば筋骨隆々の大柄な男というイメージがあるけれど、その正体は伊賀の忍者だと言う。

 どんな人なんだろう? 一度会ってみたいけど、姉に聞いても話をはぐらかされるだけなんだ。


「はいショウタ様、あーん!」


 ボクがそんな考え事をしていると、喜多が突然目の前にスプーンを差し出してきたので、ボクはスプーンに乗せられたカレーライスをパクッと口に入れて咀嚼する。


「はあーっ!? あなた、それ反則でしょーっ?」


 ガタンとテーブルに手を突いて姉が立ち上がった。


「私はただ、ショウタ様にカレーを沢山召し上がっていただきたいという、親心にも似た想いなのですよ?」

「なーにが親心よ! 下心の間違えじゃないの? そもそもしょうちゃんの愛情が一杯込められたカレーを一滴も残さず平らげることこそ本当の愛なんだからね! それをしょうちゃんに食べさせるなんて反則なんだからーっ!」

「――っ! わ、私としたことが、とんだ勘違いをしてしまいました…… 申し訳ありません、お嬢様」

「……分かればいいのよ」

「ではショウタ様、先ほどショウタ様にあーんした量のカレーを私の口にお戻し下さいませ……」


 あーんと口を開けて顔を寄せてくる喜多。

 なぜか姉はダッシュでキッチンへ行ってしまい、残されたボクは戸惑いながらもご飯とカレーをスプーンですくう。それを喜多の口に運ぼうと手を伸ばした時――

 彼女の背後に忍び寄る影が目に入った。


 それはカレーの入った鍋を片手に持ち、お玉で喜多の皿にカレーを流し込む姉。口の端をこれでもかというほどに上げた、まるで悪女のような表情の姉だった。


「ほーら、心配しないでいいのよ。おかわりは沢山あるんだからねー? うふふふふふふふふふふふ……」

「あらら、お嬢様、ありがとうございます、うふふふふふふふふ……」


 楽しそうに笑い合う二人を見て、改めて幸せな日常って良いなって思ったんだ。


 それから姉と喜多は互いの皿にカレーとご飯を盛り付け合って、さながら大食い大会みたいな雰囲気になって、大いに盛り上がった。

 ご飯も多めに炊いておいて本当に良かったな。




 夕食の片付けをしていると、テレビから日中のモバイル通信大手のネットワーク回線網のトラブルについてのニュースが流れてきた。

 

 姉の無事を父からの電話で知らされたとき、今回の誘拐事件はやはり父が調査中の暴力団が関わっていたことを知った。

 犯人達は父の家族を人質にすることで調査から手を引くように脅そうとしていたらしい。しかし、不運なことに父の探偵事務所の電話も父のスマートホンも共に通信網がダウンしていて、犯人達は父に直接連絡をとることができなかった。

 そこで仕方なくこの家に電話をかけたらボクが出てしまったということらしい。家の電話は普通の電話回線を使っているから通じたというわけ。

 

「ああーっ! すっかり忘れていたけど私、スマートフォンを通学路に落として来ちゃったんだったぁー!」


 テレビの前のソファーに寝そべり、ぷっくりと突き出たお腹をさすっていた姉が騒ぎ始めた。

 今のニュースを観て思いだしたのだろうか。


「ああ、だから何度メッセージを送ってもお姉ちゃんに通じなかったのか! ボク、家のWi-Fiは使えたからお姉ちゃんに沢山メッセージを送っちゃったよ……」

「ええっ!? しょうちゃんからお姉ちゃん宛ての沢山のメッセージ! ああっ、今すぐに探しに行かないと……喜多、行くわ――うっぷッ……」


 ソファーから勢いよく起き上がろうとする姉だったが、そもそもカレーの食べ過ぎで倒れていた訳で、両手で口を押さえてうずくまってしまう。


「あらあらお嬢様、ショウタ様の愛情たっぷりのカレーをリバースなさるおつもりですか?」

「し、しないわよ! 私はしょうちゃんのためならどんな試練にも耐えてみせるんだからぁー! うっぷッ……」

「その心意気には不肖、家政婦の喜多は感服するところではありますが、その方向性には少々問題がありそうですね……」


 嘆息しながら姉の背中をさする喜多。

 彼女は姉と同じ分量のカレーを食べたのに平然としているんだ。



 ▽


 後日談――――


 現場で見つかった私のスマートフォンは、壊れて使えなくなっていた。

 そこで今、新しく届いたスマートフォンを自室のパソコンに繋いで設定しているところなの。

 写真やメールなどの一般的なデータは新しい機種に移せるので問題はないのだけれど……


「神様お願い! 奇跡を起こしてぇー!!」


 私の全身全霊、渾身の祈りを込めてアプリを起動する。


 撃沈ナリ――


 私としょうちゃんのやり取りで使っているSNSアプリは、事前に特殊な設定をしておかないと新機種に移行できない設定なのだ。


 真っさらな画面が涙で揺らいできた。

 寂しいな……


 ――ピロローン


『いまどこいるの?』


 ――ピロローン


『お姉ちゃん返事して!』


 ――ピロローン


 次々に送られてくるメッセージ。

 日付は誘拐事件のあった日だ。

  

 そっか……

 あの日は通信障害で受信できていなかったから……


「やったー! やったわぁー、しょうちゃんからのメッセージが届いたよぉー!」


 興奮した私はベランダに飛び出して、スマートフォンを夜空に突き上げて叫んでいた。

 隣の部屋からしょうちゃんも飛び出して来て、


「お、お姉ちゃん、恥ずかしいからそれ消してよー!」

「えー、なんでぇー!?」

「ボク、お姉ちゃんが心配で100通ぐらい送っちゃったんだよー!」

「ふぇ~ッ! しょうちゃんの愛が溢れてくるよ~ッ!」


 顔を真っ赤にして私からスマホを奪おうとするしょうちゃんだけれど、身長差があるので彼には決して届かない。

 私の目の前でピョンピョン跳びはねるしょうちゃんは天使。


 絶え間なく届くメッセージは、未読件数が100を優に越えていた。 

 

  

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