それぞれの誘拐事件(6)

 ドーンという破壊音とともに天井の一部が粉々になり、その破片がザバババーンと事務机の上に落下した。

    

「はーっ!? 何だ何だ何事だー!」

「け、警察なのかー? 警察が攻めてきたのかー?」

「おい落ち着け! こっちには人質がいるんだから奴らには手が出せないはずだ! 人質の女を押さえ付けておくんだ!」

「わ、わかりやした!」


 携帯電話を持っている方の男に指示をされた若い方の男が私に駆け寄ってくる。 

 その男の足にゴルフボール大の灰色の玉がコツンと当たった。その直後にもくもくと白いけむりが立ちのぼる。


「ぶはっ! ななな、な、なんだこれは? 兄貴ィィィー!」

「毒ガスか!? やつら毒ガスを投げ込んで来やがったのか! こっちには人質がいるってーのに、なんて非道いヤツらなんだ!」

 

 あっという間に部屋に充満した白いけむりは彼らの視界を遮り、パニックに陥らせた。

 もちろんこれは毒ガスなどではない。目に入ればちょっとしみるし、吸い込めばちょっと咳が出てくるだけのただの煙幕だ。


 でも……


「ブホッ、ブホブホ……」


 手足を縛られ口に粘着テープを貼られている私にとっては逃げようのない最悪な攻撃だった。

 けむりを鼻から否応なく吸い込んでしまい、酷く咳き込む訳だけれど口は塞がれているのだ。


 とても苦しい。


 喜多はこの私の状況が分かっていて煙玉を投げたの?

 ま、まさか……ね。

 喜多は私のボディーガードであり、彼女の存在意義は私を守ることであり……ハッ!


 その時、私の脳裏にこの数週間の喜多との思い出が走馬灯のように映し出された。


 …………。


 私はガバッと起き上がる。

 手足を縛られているとはいえ、まったく身動きが取れないわけではないのだ。


 もしかして、喜多は私を助ける気がないの?

 私はしょうちゃんと結ばれる日を心待ちにしているというのに、彼女はことごとく邪魔をしてきた。

 でもそれは私たち姉弟のことを思ってのことだったはず――数週間前までは。

 でも最近の彼女は様子がおかしかった。

 まるで私からしょうちゃんを奪って自分のものにしよう企んでいるかのような言動が目立っていた。


 ハッ……!

 略奪愛――!?

 喜多は略奪愛を企んでいるの!?

 それは犯罪じゃないの?

 

 いやいやいや、落ち着いて考えるのよ、私!

 忍びは主人に絶対服従のはずよ?

 彼女がこの私を裏切るわけは――


 そこで私の思考は停止した。


 家政婦としての喜多の雇い主はママであり。

 ボディーガードとしての雇い主はパパであり。

 私は彼女にとって世話やガードをする対象物に過ぎないのだ。


 真っ白なけむりの中で呆然と立ち尽くす私の顔に、柔らかな布のような物があてがわれた。

 とてもサラサラして優しい肌触りだ。

 途端に目から涙が滝のように流れ落ちていく。

 

「お嬢様、お待たせしまして申し訳ありません……」


 耳元で聞きなれた喜多の声がした。

 声が少し震えている。


「ふがふが……」

「お嬢様のおっしゃりたいことは分かっています。本当に申し訳ありません……」

「ふがふが……」

「ええ、ええ、分かっております」

「ふがふが……」


 フガフガとしか言えない私の頭を胸元に抱き寄せる喜多。

 早く口の粘着テープを外してほしいのに……


「でもお嬢様、ショウタ様はこんな腑抜けで間抜けな私にもう一度チャンスをお与え下さいました。さすがは未来の旦那様なのです……うふ」

「ふがっ!?」

「…………。冗談ですよ、お嬢様」


 今のは何だったの?

 冗談と言えば何でも済まされると思ったら大間違いなのよ。


 白いけむりが少しずつ晴れていき、視界も少しずつ戻っていく。そこで私が見たものは、床に横たわる男と、スチール製ロッカーにまるでゴミ袋のように押し込まれた男の姿だった。

 二人ともピクリとも動かない。完全に気を失っているのだろう。


 私がけむりを吸い込んで咳き込んでいる間に、彼女は大の男二人を始末していたのだ。赤子の手を捻るがごとく。


 私が目を丸くして部屋を見回していると、ふと手足の拘束が解かれて自由になった。


「あの……お嬢様。ショウタ様にはくれぐれも喜多は頑張ってくれたと伝えてくださいね。私はショウタ様の熱い信頼を大切にしたいのです」

「ふがっ……!!」


 ここでようやく私は口に貼られていた粘着テープを自由になった自分の手で剥がすことができた。


「結局貴女はここに何をしに来たの? 私を助けに来たんじゃないのかな? どうしてあの状況でけむり玉なんか使うかなー! 私、とっても苦しかったんだけどー!」


 身の安全が確保された途端に、喜多の理不尽さに怒りをぶつけていく私。しかし、そんな私の怒りを左から右へ受け流すように、コクコクと頷きながらも口の端はわずかに上げている喜多。


「でも、かえでお嬢様もいけないのですよ?」

「えっ……」


 唐突に、もじもじと体をひねり始めた喜多。


「私の未来の旦那様を独占しようとなさるから……ついつい、このまま私が助けに出なかったらどんな風に未来が動き始めるのかと……ついつい、想像をしてしまいました」

「はっ!? 想像していた以上に非道いじゃん!」

「そして、諦めたのです。お嬢様に万が一のことがありますと、ショウタ様が悲しまれるという結論に至ったのです」

「…………」


 私はとんでもないモンスターを身内に抱えてしまったのかもしれない。

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