それぞれの誘拐事件(5)

 生徒会の仕事が終わり、駅に向かう途中の細い路地を曲がったところで、私は男達に誘拐されてしまった。

 その男達の外見と言動が如何いかにも悪人ですと言わんばかりの風体だったので、逆に私はそれが何かのドッキリ企画なのだと勘違いしてしまったのだ。

 その結果、とくに抵抗することもなく私は実にあっさりと誘拐されてしまった。


 夢見沢かえで十七歳、一生の不覚です!


 その後私は目隠しをされて車に押し込まれ、連れられてきたのは古びた建物の一室だった。

 おそらくここは、以前どこかの会社が使っていた部屋なのだろう。コンクリート剥き出しの壁に、ほこりのかぶった事務机が散在している。

 スチール製のロッカーは開け放たれ、中には紙くずや書類が押し込まれている。

 その部屋の奥には座面からスプリングが飛び出した壊れかけのソファーがあり、私はそこに寝かされている。


 タバコの臭いが染み付いたソファーの生地はとても不快で気持ちが悪い。でも、私はその臭いから逃げることもできない状態なのだ。

 何しろ、両手首と足をロープで巻かれて身動きを取れない上に、口を粘着テープでふさがれてしまっているのだから。


 つまり……私は今、人生最大の危機を迎えているのです!


 あーあ、こんな間抜けな話、誰も信じてくれないだろうな……【星埜守ほほしのもり高校の美人生徒会長、ドッキリだと思って誘拐犯にホイホイ付いていく!】なんてネットニュースに上げられても誰も信じないよね、きっと……ううっ……悲しい。

 

 悲しみついでに気づいたけれど、私は誘拐された現場にスマートフォンを落としてきてしまったらしい。仮に誰かが適当に暗証番号を入力したら、三回の間違えで初期化されるようになっているので個人情報の流出の心配はないのだけれど……しょうちゃんとのメッセージ交換の履歴が消えちゃうのは……悲しいな……


 私の寝かされているソファーのある場所とは対角線上に位置するドアの近くで、二人の男が揉めている。どうやら今からしょうちゃんが待つ自宅に二度目の電話をするつもりらしい。

 この男達は明らかに組織の下っ端である。言動も行動も行き当たりばったりでまるで統制が取れていない。上からの指示で私を誘拐して監禁したのはいいけれど、さてこれからどうするかと戸惑っていた。


 だから、私は彼らを誘導したのだ。

 私の家には何でも言うことを聞く家政婦がいて、彼女に連絡すれば二千万円までならすぐに持ってこさせることができると――言ってしまったのだ。


 もちろん、それは私が仕掛けた巧妙なわな

 しょうちゃんは昼から駅前の複合施設に買い物に出かけると言っていたので、電話に出られるのは喜多のみ。そして、彼女なら私が誘拐されていることを知ったら、すぐに助けに来るという確信があったから。

 なにしろ彼女にとって『家政婦の喜多』は仮の姿。その正体は伊賀忍者の末裔、くの一の正統な後継者であり、私の頼れるボディーガードなのだから。

 ただ一つ、問題があるとしたら、パパと会ったときの彼女はポンコツ家政婦に成り下がり、その影響は数時間に及ぶということ。


 でも、仮に喜多のポンコツ状態が続いていたとしても、犯人からの電話は留守電に切り替わるだけ。何も問題ない――はずだった。


 しかし、そんな私の目論見は見事に外れてしまった。電話に出たのはしょうちゃん。

 

 ああ、しょうちゃん……どうか十年前の記憶を思い出さないで! あの事件があってから、心を閉ざしてしまった空白の半年間。もう二度と同じ失敗を繰り返さないと誓ったあの日――私とあなたは生まれ変わったのだから――


 私はしょうちゃんの笑顔のためなら何でもする。

 しょうちゃんを守るためなら悪魔に魂を捧げてもいい。

 だからお願い……どうか、十年前の誘拐事件の記憶を思い出さないでください……


「ああっ? お前が弟だって!? ふざけるな! 無駄な時間をとらせやがって! えっ? カレーライスを作って待ってるって? ふざけるなー! てめーの姉ちゃんがどうなっても知らねーぞ!」


 男が電話口で騒いでいる。

 相手はしょうちゃんのはず。

 気丈にも男と対等に会話をしている様子がひしひしと伝わってくる。


 えっと……カレーライス?

 何かの暗語あんごかしら?

 分らない。

 意味は分らないのだけれど――

 私はゆっくりと天井を見上げたのである。


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