それぞれの誘拐事件(4)
喜多の家がどこにあるかを知らないボクは、近所をあてもなく駆けずり回り彼女の名を叫ぶしかできない。
本当に情けない。
誘拐犯がボクのことを子供と勘違いしたのは、この甲高い声ではなく中身を見透かされたからかもしれない。
大人ならばこんなとき、真っ先に警察に駆け込むのだろうか。
あるいは、信頼できる近所の人に助けを求めるのだろうか。
でも、今のボクは喜多に会うことが一番だと思えて仕方がないのだ。
――ボクの心が、喜多さんに会いたいと叫んでいる――
ふと、右腕に揺れている編み紐のミサンガに意識が向いた。
これには喜多の願い事が込められているらしい。
それがどんな願い事かは分らないけれど、きっとそれはボクと姉の幸せに関係することに違いない。
喜多はいつだって、ボクたち姉弟の幸せを願っていてくれている、優しい人なのだから……
ボクは右手首を額につけ、祈るように喜多の名を叫ぶ。
「喜多さーん、出てき……ゴホッ!」
喉がからからで激しく咳き込んでしまった。
もうこれ以上大声が出せそうにない。
ボクはアスファルトの地面に膝をつき、うなだれる。
でも、ここで諦めたら何もかもが終わりなんだ!
そんなのは嫌だ! 絶対に!
地面に片足をつき、再び立ち上がろうと前を向いたその時――
「ショウタ様……大変お待たせして申し訳ありませんでした……」
片膝立ちで頭を下げるエプロン姿の喜多がそこにいた。
その姿を見るなり、ボクの目からじわりと涙があふれてくる。
「ですがあの……ご近所のてまえ私の名を連呼されるのはさすがに恥ずか……いえあの、嬉しいといえば嬉しいのですが……あっ、恥ずかしついでに次回からはぜひ下の名でお呼びになってください。『しのぶ』と。旦那様のように……」
なぜか顔を真っ赤にしてもじもじしている彼女に、ボクは思いっきり抱きついた。
喜多は口をアワアワさせながら『願いが叶った』とか何とか言っている。
もしかして彼女の願い事は、ボクや姉のピンチに駆けつけるということだったのかな?
本当に喜多は優しい人なんだ。
それからボクは姉が誘拐されたことを
喜多の表情はみるみるうちに硬くなっていく。
「お姉ちゃんには優秀なボディーガードがついているから安心だってパパが言っていたんだけど……でも、それならお姉ちゃんはどうして誘拐犯に捕まっちゃったんだろう? ねえ、喜多さん、どうしてだと思う?」
喜多の袖をつかみ、ボクは問いかける。
そんなことを彼女に言ってみたところで何の解決にもならないことは分っている。
悪いのは犯人であって、ボディーガードではないのだから。
でも、この気持ちを誰かに吐き出さなければボクの小さな胸がはちきれそうだったんだ。
「それは……そのボディーガードが
喜多は搾り出すようにそう答えた。
それはまるでボクの気持ちを代弁してくれたような言葉。
すっと、気持ちが楽になっていく――
「ですがショウタ様……犯した失敗は命に代えても取り返す、それがプロフェッショナルな大人の生き様なのですよ。ですからショウタ様、どうかその腑抜けで間抜けなボディーガードにあと一度だけ! 最後のチャンスをお与えくださいませんか!?」
喜多は胸に手を当ててボクに迫ってくる。
仕事は違っても、家政婦である彼女の口からプロフェッショナルという言葉が出てきたことが意外で、そして頼もしかった。
喜多にそこまで言わせるボディーガードって、どんな人なんだろうか。
「うん。わかった。どうすればその人に伝えられるかな?」
「不肖、家政婦の喜多が命に代えても伝えに参ります!」
「うん。わかった。喜多さんに任せるよ!」
「では、ショウタ様、最後にお願いがあります。この私を思いっきり叩いてください」
「えっ どうして? 喜多さんがそこまで責任を感じることは……」
そう戸惑っているボクの右手を掴んで上げていく喜多。
「夢見沢家に仕える身として、私も罰を受けたいのです。そして腑抜けで間抜けなボディーガードには私がその三倍の力で伝えておきます!」
「……それで喜多さんたちの気が納まるというのなら――」
ボクは思いっきり手を振りかざした。
喜多は目をぎゅっと閉じて首をすくめた。
ボクは――
彼女の頭に手のひらをポンと乗せて言う。
「じゃあ、伝えてもらおうかな。いつもお姉ちゃんを守ってくれてあり
がとう。そして今日もよろしくお願いするよって……三倍の言葉でさ……」
ボクの言葉を受けて、喜多はおいおいと泣き始めた。
やっぱり喜多は仲間思いの優しい人なんだ。
家政婦とボディーガード……仕事内容はまったく異なるけれど、何か通じ合うものがあるのかも知れない。
「では、ショウタ様はすぐにお帰りになり、鍵をかけて閉じこもってください。絶対に外出はお控えくださいませ」
「でも……ボクだけ何もしないなんて嫌だな……ボクにも何かできることはないのかな?」
「ぜひ、頼みたいことがあるのですが」
「それは何? 何でも言ってよ!」
「私は帰りが遅くなりそうですので、夕食の準備をお願いします。そうですね……カレーなどはいかがでしょうか」
家庭科の調理実習のあと、ボクが作ったカレーライスを姉と喜多がものすごく褒めてくれていたことを思い出した。
「わかった。カレーを作って待っているよ」
「お嬢様も大喜びなさいますよ、きっと!」
そう言う喜多の表情に、笑顔が戻っていた。
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