それぞれの誘拐事件(3)

「お、お姉ちゃん!? そこにいるのはお姉ちゃんなの!? お姉ちゃん返事して!」

 

 ボクは必死に受話器に向かって呼びかけた。けれど……


『うるっせーぞくそガキ! 早くお前の親を出しやがれ! ネーチャンがどうなっても知らねーぞ!』


 返ってきたのは、男の怒鳴り声だった。


 これではっきり分かったのは、姉が何かの事件に巻き込まれ、悪い男たちに捕まってしまったこと。 

 男たちは親に何かを要求するために連絡をしてきたということ。


 こうしている間にも、姉は男たちに乱暴されているかもしれない。

 そう考えたとたん、ひざから力が抜け、その場に座り込んでしまった。


 膝はおろか、あごまでがガクガクと震えて、言葉がうまく出せない。

 何か答えなくちゃ。

 無言の時間が長ければ電話を切られてしまう。

 言葉が出せたとしても、そもそも何と答えたらいいのか分からない。


『おい、聞いているか? その家に大人はいねーのか? お前みたいなガキが一人でお留守番している訳がないよな? 誰でもいいから大人を出せよ、お前のネーチャンを助けたかったら早――って、女の口をふさいでおけって言ったろうが! この役立たずがぁー!!』


 やはり間違いない。また姉の声が聞こえてきた。

 姉の声は一瞬だったけれど、ボクが聞き間違えるはずがないんだ。

 再び男たちは声を荒げて罵り合っている。


 落ち着けボク!

 しっかり考えるんだ!


 男が受話器を握る音が聞こえたと同時に、ボクは深呼吸をした。 


「ごめんねおじちゃん! ボク、ほんとはこの家の子じゃないんだ。この家のお兄ちゃんと遊んでいたんだけど……お兄ちゃんはコンビニにお菓子を買いに行っちゃって今はボク一人なんだ!」


『なら早く言えよボケカス!』


「だって……勝手に電話に出ちゃったから……怒られちゃうと思って……うわーん」


『あー、めんどくせーことになっちまったなぁー! 泣く泣くな、じゃあその兄ちゃんが帰るころにまた電話すっからよ。いいか、そのままお前はおとなしく待っていろ! どこにも連絡すんじゃないぞ! 電話機を触ったら爆弾が爆発するように仕掛けてあるからな、分ったか!?』


「ひぐっ……うん、わかったよおじちゃん!」


 通話が切れると同時に、ボクは父の携帯に電話をかける。

 もちろん、電話機が爆発なんかする訳がない。

 姉を誘拐した犯人は、この家に父と母が帰ってこないことすら知らない人たちだ。つまり、行き当たりばったりで行動するタイプの男たち。

 でも、そんな犯人たちだからこそ、感情によって何をしでかすか分らないという怖さもあるんだ。


 次に犯人から電話がかかってくる前に、父に知らせることができたら何とかなるかもしれない。


 しかし無常にも父の携帯は電波の届かない場所にあるか電源が入っていないというメッセージが流れてきた。

 なら、母に連絡すれば……と思ったが、母の携帯にも繫がらない。

 それどころか、探偵事務所の電話すら通じなかった。


 時間が刻々と過ぎていく。

 こうしている間にも、犯人からいつ電話がかかってくるか分らない。

 落ち着けボク!

 家の電話が壊れているだけかも知れないじゃないか。

 そうであったなら、このスマートフォンでかけ直せば……そう思い直し、連絡先をタップした。


 通信エラー。


 呆然とするボクの視線の先に、モバイル通信大手のネットワーク回線網が全国的に繫がらなくなっていることを知らせる速報のテロップが流れていた。


 頭の中が真っ白になったボクは天井を見上げた。

 こんなとき、いつもならゴソゴソという音が鳴って――


 


 ボクは玄関から飛び出した。

 スリッパのままで、玄関から門まで走りぬけ、鉄製の門を開け放つ。

 そして、空に向かって叫んだ。


「喜多さーん! 喜多さーん! 帰ってきて、喜多さーん!」


 近所の犬が一斉にえはじめる。

 閑静な住宅街に響き渡るボクの甲高い声と犬の遠吠え。

 でも、ボクは何度でも叫ぶ。

 何度も何度も、喜多の名を叫ぶ。


 今のボクにとって、もっとも頼りになる存在――それはどこに住んでいるかも知らない、でもボクたち姉弟が困ったときにはいつもすぐに来てくれる、スーパー家政婦の喜多なのだ。

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