夢見沢楓の長~い一日(中編)

 名門星埜守ほしのもり高校のきらびやかなアーチ状の門をくぐり抜けて雑木林の坂道を上っていくと、小高い丘の上に広大な敷地面積を誇る近代的な建物が見えてくる。

 まるでガラス張りのような外観の図書館、温水プールと一体となったドーム型の植物園、都会的な雰囲気のカフェレストラン。

 それらの近代的な建物の奥に、ここに公立の学校があった当時を偲ばせる本校舎が建っている。


 合格発表は午後一時だというのに、その十五分前ともなると既に掲示板の周りには人だかりができていた。

 インターネットによる発表もあるのだけれど、合格したら書類を受け取りに来る必要があるために多くの受験生はこの場に大集合。

 星埜守ほしのもり高校の受験者総勢千六百人が校舎前の小さな掲示板へと群がっているわけだ。


 発表の五分前になったころ、移動式ホワイトボードを押してスーツを着た先生たちが続々と校舎から出てくると同時に、拡声器で受験番号が100番台毎に分かれて掲示されることがアナウンスされた。

 中央の掲示板に集まっていたほとんどの受験生たちにとって、その知らせは寝耳に水だった。

 皆が一斉に自分の目当ての掲示板へと動き出す。

 コートで着膨れした受験生たちが入り乱れてぶつかり合う中で、低身長のボクは前も見えずにもみくちゃにされてしまう。


 行く先々で歓声と落胆の声が上がり、会場は次第にヒートアップしていく。それにつれてボクはますます焦っていく。


 ドンっと誰かとぶつかり合い、相手の「きゃっ!」と小さな悲鳴が聞こえ――その直後にボクのコートがぐいっと引っ張られる。


「あわわわっ!」


 焦って振り返ると、背が高くすらっとした感じの女の子が目をぱちくりしてこちらを振り向いていた。

 よく見ると、女の子の首に巻かれた赤と白の手編み風マフラーがボクのコートのボタンに絡みついてる。

 慌てて外そうとするけれど、毛糸がますます複雑な感じに絡みついてしまった。


「ねえ、早く外してよ!」 

「ごご、ごめんなさい、わわ、ど、どうしよう……」

「ああっ、早く結果を見に行きたいのに!」


 焦れば焦るほどに手がすべりうまくいかない。


「ちょっと、私がやるから!」

「えっ……」


 ボクの顔の間近に顔を寄せてきて絡まったマフラーを外そうとし始める。

 長い黒髪を後ろで束ねたつり目気味の女の子は、強引に引っ張ろうとしているけれど一向に外れる気配がない。

 

「あーん、もう! どうしてこんな目に遭わなくちゃならないのよ! 朝から最悪の気分なんですけど!」

「ご、ごめんなさい……あの、キミは何番?」

「えっ……」

「受験番号だよ! ボクは1125番だけど、キミは?」

「えっと…… 300番台だけど?」


 女の子はすこし躊躇いがちに答えた。


「よし、先に見に行こう!」

「えっ!? 一緒に行ってくれるの? というか、あなたに合否の結果を知られるのはイヤなんだけど……」

「そうか、そうだよね……」


 女の子の気持ちは良く分かる。

 確かにボクが逆の立場なら、やっぱり少し嫌だ。

 しかし、周囲の歓喜の輪が広がるにつれ焦りの色を濃くしていく女の子。

 それを見たボクは、条件を付け加えることにした。


「じゃあ、ボクは絶対に見ないから! 掲示板の前に着いたらボクはキミが良いというまでずっと目を瞑っているから!」


 女の子はしぶしぶという感じでボクの提案を受け入れ、ボクらはマフラーで繋がった状態で人ごみを掻き分け進んでいった。

 いよいよ300番台の掲示板に近づいてきたのでボクはしっかりと目を瞑る。すると途端に周りの人にぶつかって、ぐいぐいマフラーが引っ張られてしまう。


「もう! しっかり歩いてよ、あと少しなんだから!」


 女の子はボクの手を引っ張っていく。

 その手がかすかに震えている。

 女の子は気丈に振舞っているだけで、内心はすごく緊張していたんだ。

 そういえば、彼女の声がずっと震えていたことを改めて思い出す。

 ボクは自分のことで精一杯で相手の気持ちまで考えが及んでいなかったのだ。


 そんなことを考えているうちに、急に止まった彼女の背中に、ぱふんとボクの顔がぶつかった。


「あっ、ごめんなさい!」

「やっ……」

「……や?」

「やったぁ――、やったやったー! 私合格したぁー!!」


 ボクは女の子に抱きかかえられ、興奮した彼女がぴょんぴょん飛び跳ねるのに合わせてボクの身体も上下に揺さぶられている。

 二人の身長差の関係でボクの顔の位置に彼女の胸が来ている訳だけれど、思ったよりもそこに膨らみは感じなくて焦りはしなかった。

 

「あっ、しまった! ごめんね、大丈夫?」

「う、うん。もう目を開けていいかな?」

「えっ、良いに決まってるじゃない! あなた律儀過ぎ……ひゃあっ」

「だって、約束だったから……あれっ」


 顔を上げて目を開けると、つり気味の目をまん丸に開け、口をあわあわとさせている女の子の顔がそこにあった。


 ふと下を向くと、マフラーに液体がぽたぽたと垂れ、真っ赤に染まっていく様子が目に飛び込んできた。


 ボクは鼻血を出していたんだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る