夢見沢楓の長~い一日(前編)
スマートフォンが五時三十分の起床時刻を知らせた。
ネグリジェの上にガウンを羽織り、軽く伸びをしてからベッドから立ち上がる。
私、夢見沢
なぜなら
眠い目をこすりながら鏡台の前に座り髪を
いつもよりスッと気持ちよく入るブラシ。
素敵な一日の始まりの予感。
鏡の中の私は自然と笑顔になっていく。
何故なら……
今日は
鼻歌交じりに階段を降りていくと、魚を焼く香ばしい匂いが漂ってきた。
キッチンに立つ家政婦の
「ハッ!? 喜多じゃ、……ない!?」
「あらー、実のママに向けてその反応ってー、有りなの? 無しでしょ?」
この独特なしゃべり方をする人物こそ、私と
背の高さは追い越したけれど、それ以外の部分で私はこの人に勝てる自信はない。
私の人生に於けるラスボス的な存在、それが夢見沢
彼女に常識は通用しない。
あらゆる意味でだ。
見た目年齢も、行動力も、そして……
「またパパと喧嘩したの? それとも……」
私の問いかけに全身で反応したママは、持っていた菜箸とお玉を床に落とした。
――彼女は……
「ダーリンが浮気したんだよー! ダーリンが浮気したァァァー、うわぁぁぁあああん、ダーリィィィーン!!」
――パパの事となると見境がなくなる、とっても残念な性格なのだ!
キッチンから飛び出してくるなり、私の足下に女の子座りして泣きじゃくるママ。
まるで初恋に破れた女子中学生みたい。
「またパパが浮気したの? いったい何度目の浮気なのよ!」
「四十六回目よぉぉぉー! とうとうママの歳を越しちゃったんだからぁぁぁー、うわぁぁぁあああん!」
警視庁の敏腕刑事だったパパは、司法書士をしていたママに一目惚れし、二人は仕事を辞めて探偵事務所を始めたという。
そんな二人は普段はとてもラブラブなのだが、いざすれ違いが起きると大爆発してしまうのだ。
それにしても、あふれる涙を手で拭うママの仕草はまるで幼児みたい。
娘の私が背中に手を当てて慰めているけれど、これってとても変なことだと思うの。
「それで、パパとママは喧嘩をして、ママは家を飛び出して来ちゃったのね……」
「楓ちゃん、それ、違うからー! ぐすっ、こっちがママの家だからーっ、ぐすっ」
「あっ、そうだった……」
パパとママはここのところずっと会社の事務所に泊まりっぱなしだから、私の感覚が麻痺してしまっていた。ここはママの家でもあったんだ。
私に背中をトントンされてようやく泣き止んだママは、すっくと立ち上がりキッチンに戻っていく。
「あっ、そういえば楓ちゃん、ウチの若い子を使ったでしょ? ママに内緒で……」
私はぎくりとして、ママの後ろ姿を見やる。
ママは私の反応にはお構いなしに、完全に焦げ付いた味噌汁が入っていた鍋を流しに放り込む。
ジュワーっと真っ白な蒸気が上がった。
「今、ウチの事務所は忙しくて猫の手も借りたいくらいなのよー、それなのに喜多を使って至急の仕事依頼を無理矢理ねじ込ませたりして……、ウチの若い子は喜多にお願いされたら断れないことを利用したでしょー、違う? 違わないよね?」
「で、でも……ちゃんと仕事の報酬は銀行口座へ振り込んだわ……」
「依頼料五十二万円確かに頂きました。この度はお仕事のご依頼ありがとうございました。でも元はといえばそのお金はママが渡したお小遣いでしょー、違う? 違わないよね?」
「でっ、でも、それを増やしたのは私の力だし……毎月一万円のお小遣いを元手に今や年商一千万円だし……」
「そのノウハウを手取り足取り教えてあげたのは誰だったかしら?」
「……えっと、事務所の増田君」
「その増田を雇っているのはママなのよ! 違う? 違わないわよね?」
「……はあ」
やっぱりママには
結局のところ、私はどんなに自由に動き回っているつもりでも、ママの手のひらの上で転がされているに過ぎないのだ。
「あっ、ママ帰ってきてたんだね! おはようママ、おはようお姉ちゃん!」
殺伐とした空間に天使が降臨した――――
「おはよう
「おはよう祥太ちゃん! いよいよ今日は合格発表日ね!」
「あっ、ママも知ってたんだね。えへへ、受かっていると良いけど……ボクあまり自信はないんだよね」
「大丈夫よー、祥太ちゃんはパ……ごほんっ! ……ママの子なんだから! ママ、張り切って朝ご飯作るから、顔洗ってきなさい」
「うん! ママの作る朝ご飯、久しぶりで楽しみだよ!」
眩しい――
後光を放つ
私はこの笑顔を見るためなら何でもできる。
お金だって惜しまない。
名門
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