戦慄のバレンタインDAY!(後編)

 焦ったボクは、後ろに回した手でリボンと包みをまさぐって、引き出しの中に落とし込む。

 そして、引きった笑みを浮かべながら引き出しをそうっと戻していく。


「あー、ほんといい湯だったわぁー。お姉ちゃんすつかり茹だっちゃったわぁー」


 ネグリジェ姿の姉は、おでこに手の甲を当てながら、ふらふらとボクのベッドに向かい、ストンと腰かけた。


「お、お姉ちゃん大丈夫!? あれ、何か甘い香りがするけど……」

「んふー、気付いちゃった? 今夜の入浴剤は『南の島シリーズ第四弾・カカオの香り』なんだよー?」

「かっ、カカオ……」

「カカオはぁー、チョコレートの主成分なんだよぉー? んふー」


 チョコレートという単語にぎくりとするボク。同時に胸がチクりとした。

 姉はすっかり今日がバレンタインデーだという事を忘れているけれど、偶然にも今夜の入浴剤がカカオの香りだったなんて。

 もしも、今更ながら今日がバレンタインデーだと知ったとしたら、姉はどうするだろうか。

 ボクが学校でチョコをもらってきたかどうかを訊いてくるかも知れない。

 もし、そうなったら、ボクは姉に嘘をつくことになってしまう。

 

 何としても、それだけは阻止しなければ!

 ボクは胸の前で拳をギュッと握り決意を固めた。


 ところが、ここから事態は思いもかけぬ方向へと急展開していくことになる。


 ふうーっと甘い息を吐きながら姉が仰向けに寝てしまったのだ。

 ボクのベッドの上で。


「おっ、お姉ちゃん大丈夫!?」


「うーん、だめぇー、カカオのお風呂にのぼせちゃって、もうふらふらだよー。うふふっ、このまま寝ていると、お姉ちゃん、チョコレートの固まりに変わっちゃうかもー」


「ええっ!? そんなことってある??」


 ボクはベッドに駆け寄り、姉の顔をのぞき込むと、上気してとろーんとした表情の姉は、ピンク色で艶のある綺麗な唇を半開きにしてはあ、はあ、と浅く呼吸をしていた。

 湯上がりの姉の身体からは蒸気と共にチョコレートの甘い香り立ちこめ、ボクの身体を包み込んでいく。


「もしもお姉ちゃんがチョコになっちゃったら……しょうちゃんは美味しく食べてくれるかなぁー?」


「えっ……」


しょうちゃんは、お姉ちゃんを食べてくれるかなぁー?」


 姉は二度繰り返した。

 えっと…… お姉ちゃん…… ボクには分からないんだよ……

 お姉ちゃんが何を言っているのか…… 分からないんだ……


 姉は潤んだ瞳でボクを見つめたまま、艶やかな唇をゆっくりと動かした。


 た――


 べ――


 て――


 三度襲い来るその言葉メッセージはボクの心臓ハート直撃ストライク

 次の瞬間、姉の唇に吸い込まれそうになる衝動を必死に抑えこんだボクは、その反動から大きく後ろにけ反り、床に背中をぶつけてしまった。


 ああ、神様。

 いけないことを一瞬でも考えてしまったボクをお許しください。

 そしてボクはお姉ちゃんに隠し事をしていました。

 これはその天罰なんですよね?

 

 ボクはぐわっと立ち上がり、机の引き出しから箱を取り出す。

 もう、洗いざらい報告しよう。

 ボクは学校でバレンタインデーの贈り物をもらって、姉に隠れて中を開けようとしたことを!


 箱の中を急いで開けると、ウサギの絵が書かれたカードが入っていた。

 そこには丸っこくて可愛らしい文字が書かれている。


 ―― お姉ちゃんより愛を込めて ――


「んふーっ! ハービーバレンタイン、しょうちゃん!」


「えっ…… えええええええぇぇぇぇぇぇ――――っ!?」 



 ▽



 まん丸お目目を向けてくる私のしょうちゃん。

 正直、こんなにもうまく行くとは思わなかった。


 最近、私への忠誠度が低下中の家政婦の喜多きたに代わって、私は今日、高校を抜け出してしょうちゃんの中学校へ単身乗り込んだ。

 下駄箱に余計な異物が何も入っていないことを確認してホッとした私は、ちょっとしたイベントを思いついたのだ。


 その名も『どきどきバレンタイン大作戦』――


 それは今後、万が一にも私の情報網をすり抜けて、私のしょうちゃんへ近づくメス狐が現れたときのシュミレーションも兼ねた作戦。


 案の定、しょうちゃんは私が入れた包みを他の誰かからのプレゼントだと思い込み行動した。私はそれを逐一観察することで、しょうちゃんの行動パターンの分析に役立てることができたのだ。


 うふふ、これで万が一の事態にも対応できる完璧な行動マニュアルが完成するの。


 たけど、ここで思わぬ事態に遭遇した。

 私の目の前でしょうちゃんがぽろぽろ涙を流し始めたのだ。


「しょ、しょうちゃん、どうしたの?」

「ううん、何でもないよー、ううっ……」


「何でもない訳ないじゃないの、どこか痛いの?」

「ううっ、敢えて言うならば、胸かなぁ……」


「たた、た、大変! 喜多ァァァー!」

「喜多さんは呼ばなくて大丈夫だよ、お姉ちゃん……」


 そう言って顔を上げたしょうちゃんの口元にはチョコが付いていた。

 しょうちゃんは泣きながら私の手作りチョコを食べていたのだ。



「美味しいんだ…… お姉ちゃんのチョコは…… 美味しいんだよ……」



 尊い…… 大好き。


 いつの日か、私のことも食べてね、しょうちゃん。 

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