当たって砕けろ!高校受験(後編)
女の子は慌てた様子で床に散らばった参考書をかき集め、ガサゴソと音を立ててカバンの中へと戻していたけれど、やがてその音がピタッと止まった。
答案用紙にペンを走らせる音が絶え間なく続く試験会場。そんな中、ボクは何も書いていない解答欄をただひたすら見つめている。
「ううっ……ひぐっ……」
女の子の嗚咽が聞こえ、ボクは視線を斜め前方に這わしていく。
前屈みになった女の子の肩は震え、握りしめた参考書にはぽたぽたと涙の滴が落ちていた。
志願者倍率が三倍を優に超える名門
ハッ!
ボクは何を見ているんだ! お前は今、自分のことで精一杯なはずだろ!
姉がくれたせっかくのチャンスをお前は無駄にするのか!
他人のことにかまけている場合か!
そんなのライバルが一人減ったと思えば良いだけのことだ!
諦めていたはずの星高生になるチャンスが目の前に転がっているんだ!
星高生といえばエリート集団。
その仲間になるということはライバルを蹴落としてでも先へ進む気構えが必要なんだ。
ああ、本当にあぶないところだった――
ボクは頭を左右に振り、試験問題に集中しようと視線を机上に戻した。
すると今度は試験監督の女性の先生がつかつかと近寄ってくる靴音が聞こえてきた。
そして、ため息混じりの言葉が吐き出された。
「まったく、遅刻してきた上に何なのですかアナタは! どうせそんな状態では今さら試験を始めても無駄でしょう。1124番、即刻退去を命じます!」
「……たい……です」
「はい!? 何ですか?」
「受けたいです」
「だから、今から始めても無駄と言っているのです! 我が校の選抜試験は15分の遅れを挽回できるほど甘くはないのですよ!」
「でも、私……」
女の子の消え入るような声にかぶせるように声をかけた人物がいた。
「あっ、あの!」
その人物は……えっ!? ボク!?
ボクは無自覚に席を立っていた。
その切っ掛けを作った物はボクの手の中に握り絞められている消しゴム。
ボクの足下に落ちていたその消しゴムを拾い上げ、そこに書かれた丸っこい『鮫嶋かりん』という文字を見た次の瞬間、得体の知れない感情がボクを突き動かしていた。
「どうしましたか1125番? 試験中に立ち上がるなんて不正行為を疑われても釈明の余地はありませんよ!」
ボクよりも身長が高い試験監督の女性はメガネのツルに人差し指を当てじろりとボクを見下ろした。その足元では女の子が呆然とした顔でボクを見上げている。
「はいこれ、君のでしょ!? あっ、それからこれも、これも!」
分からない。
分からないよ。
ボクは今、何をしているんだ。
女の子のそばに膝をついたボクは、散らばった筆記具や参考書を拾い集めては渡している。それを女の子はキョトンとした顔でカバンに戻していく。
大事な試験の最中に、ボクは何をしているんだ。
「ちょ、ちょっとアナタ試験中に勝手な行動を……あら、なんだアナタの答案、まだ白紙じゃないの……ふーん、さてはアナタも思い出受験というやつね? うちは名門校なのに最近は軽い感じで受けに来る人もいて困っちゃうのよー」
冷たく言い放たれたその言葉は、ボクの背中に突き刺さる。
何だろう、この感情は。
ボクは動きを止めようとはしなかった。
それでも、結果的にだけれど、ボクの手は止まってしまっていた。
女の子が下を向いたまま動きを止めてしまったから。
パッツン前髪で目が隠れ、女の子がどんな表情なのかは見えないけれど、歯を食いしばった口元が小刻みに震えていることだけははっきりと見えている。
何だろう…… この感情は。
ボクの奥歯が軋み音を立てる。
「あっ、あの……」
ボクは立ち上がり、試験監督の先生を睨み付け、言葉を発しようとしたその時だった。
「おいおい、仮にも入学希望者である受験生ばそげんして見た目で判断するとは、天下の
そのなまりのある太い声の持ち主は、中学生とは思えないほどに背が高い筋肉質の男だった。彼はおどけるような表情で頭の後ろをボリボリとかいている。
「アナタ自分が何を言っているか理解しているの? ここは入学者選抜の試験会場なのよ?」
氷のような冷たい視線を送る試験監督の先生。
しかし、事態はここから急変することになる。
「自分も、立ち上がってしまったのです。失格でしょうか?」
「俺も」
「私も立ち上がっちゃいました」
「僕も立ちましたけど」
次々に立ち上がる受験生たち。
その数は会場内の三分の一を占めていた。
座ったままの受験生たちも手を止め、視線を女教師に向けている。
「あ、あなたたち後悔しても後の祭りよ! 会場の様子は警備室と理事長室にモニターされているんだから! 私に反抗的な態度をとるような子はみんな落としてやるわ!」
じりじりと後退する女教師。
天井に取り付けられたカメラの赤色LEDが点灯している。
「わいは東大医学部に入れるなら高校などどこでも構わんのやばってん、他ん連中が皆そうとは限らんよな。ここは一つ、穏便に済ましぇてくれんちゃろうか? それが
筋肉質の男はそう言って肩をすぼめて片目を瞑った。
その後、剣呑な場を取り繕うように女の子は試験の途中参加が認められた。
前の席からは凄い勢いで問題用紙をめくり、次々に答案用紙を埋めていく音が聞こえてくる。ちらっと背中を見やると、燃えるようなオーラがにじみ出ているような錯覚さえ引き起こすほどに――
ボクも負けじとペンを走らせる。
その後10分間の休憩を挟んで、数学と英語の試験も行われ、
帰り支度をしていると、筋肉質で大柄な男がカバンを肩に担いでやってきた。
「試験ん出来はどうやったかな、お二人さん?」
「あ、うん、一通りは答えられた……かな?」
ボクは鼻の頭をかきながら答え、前の席に視線を送る。たが、女の子は黙々とカバンの中身に手を突っ込んで無反応だった。
そういえば、女の子とは一度も会話していない。別にお礼を言って欲しいとかそういう訳ではないのだけれど……
「一応自己紹介ばしとく。わいは久米島龍太や。東大医学部ば出て日本ん医学界んトップに立つ男や!」
「ボクは夢見沢祥太。一人前の男になるのが目標です!」
「はあ、そうなの? キミ、わいからみると立派な男やて思うばってんけど?」
「あ、いや、そういう意味の男ではなくて……」
「がははっ、まっ、縁があったらまた三人で会おうやなかか。では、わいはもう行くけんな!」
「あ、うん、また会えるといいね!」
ボクは笑顔を返し、男は颯爽と試験会場から出て行った。
一方、女の子は前の席に座ったまま、まだカバンの中に手を突っ込んでごそごそしている。
特に捜し物をしている訳ではなさそうだし、何をやっているのかな?
ボクが怪訝な顔で見ていると、それに気付いた女の子はハッと何かに気付いた様な表情で固まり――
「あ……」
「あ?」
「…………」
「……?」
「あっ、ありがとうなんて言うつもりはないんだけどっ、あっ、ありがとうと言わないと後悔するかもだから一応言っておくことにするわっ、あ、ありが×○▽※●――!」
下を向いたまま一息に叫んだかと思うと、最後は舌をかんで口を押さえたままカバンを脇に挟んで風のように走り去っていった。
名門
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