②
考えてみればこの状態は学校生活と似たようなものだった。ひとりという状況を除けば脱出する方法がなく無力なのも同じだ。もちろん今の時代は不登校という選択肢もあるが彼にとってそれは敗北を意味した。文科省に対する敗北である。
──それは単なるくそ意地というやつだろう。
二一歳となった今となってはわかる。そこにあるルールやセオリーに疑問を抱き、その疑問が健康を損なうほどに影響を及ぼすのだとしたら、その時点である意味敗北のようなもので、他に例えるとしたら毒物を飲みつづけることに等しいのだ。残念だがこれが冷たい現実である。
あらゆる人間関係、友人関係も恋愛関係もいつかはどこかの時点でこの世の中のルールやセオリーが立ち現れ、その度に、溜め込んできた毒物が体の奥底から甦り彼を苦しめた。
空気を読む、周囲に迎合する、集団の場に同調する、そうしたことのいちいちが猛烈な怒りを沸き起こらせるのだ。今は忍耐が収入に直結しているので何も感じないが、過去の記憶は違う。記憶は鮮やかに怒りを再現させることもあった。
──要するに俺は十代というのを舐めていたわけだ。人生を左右するってことに。
まあしかし、と琉は思い直した。わるい人生ではない。苦しみはあって当然でいいこともたまにはあるじゃないかと。彼は先週から飼い始めた猫の姿を思い浮かべていた。同い歳の会社の同僚、事務員の桜井由美から貰い受けた子猫である。
子猫といってもすでに躾がなされていて人間にも慣れ、琉がびっくりするくらいに人間っぽい性格をしているオス猫で、奥ゆかしいというか思慮深いというか、行動や所作のすべてが琉を感心させた。少なからず生活に喜びを得ていた。ただひとつ問題があり、ダイゴと名付けたその猫はたばこの煙を極端に嫌うのだった。まるで前世にヘビースモーカーの人物と深い因縁でもあったかのように。琉は仕方なく相手に合わせることにした。
と、狭い視界の中に人影が見えた。白いジャージ姿の痩せた老人が左てから道を歩いてきている。すぐさま琉は声をかけた。
「あの! すみません! すみませんおじいさん!」
気づいてくれ!と願いを込めた叫びは届いてくれた。
老人は彼に気づき、足を止めると体の向きを変え、琉のいる方向へ歩を進めてきた。真新しいスニーカーの白が目に眩しい。
──助かった… 一時はどうなることかと思ったよ…
窓のそばに来るとしゃがみこみ、老人は言った。
「カイドウリュウくんだね」
──え?
「なんで俺の名を……、まあそれはいいです、いまこの部屋に閉じ込められてまして、警察に電話して貰えませんか? あ、それか一階にリュックがありますから持ってきて下さると助かります」
「警察は機能停止しとるよ。……それ」
どさっと地下室に音が響いた。下を見ると床に黒いリュックがあった。自分のリュックである。見間違うわけもなかった。
「え?」「急げ」「え?」
琉はわけもわからず脚立を降りてリュックの肩ベルトをつかみ、脚立の上まで戻るとすぐに会社支給のガラホを取り出した。
「まずTVをつけたまえ。通話は不能になっとるからどこにも繋がらんよ」
言われるがまま操作し起動するが映らない。電波が届かないのかどのチャンネルも映らない。
「NHKだけ放送されとる。放送しとるのは宇宙空間にいる船だが」
──船? 何を言ってるんだ?
チャンネルを合わせると確かにNHKは映った。ガラホを横にして画面を大きくする。
「東京、大阪、名古屋、福岡、他にも……こういった都市のライブ映像が切り替わりながら流されている…… 無駄な抵抗はするなと、絶望のままに運命を受け入れろとやつらは言っておるんだな」
その画面には壊滅的な被害を受けた都市の空撮映像が無音で流されていた。高層ビル郡は崩れがれきと化しており動くものは何もない。切り替わり別の映像になっても破壊され尽くした別の都市の無惨な姿がただ流れるだけである。あまりに無慈悲な光景に琉は茫然とするしかない。
「都市部と軍事施設は破壊され、この国の人口の三分の一は消滅しとる。むろん他の国も同様だ」
「これ……、これは……」
「見たままだ。遠い外宇宙からやって来た宇宙船……戦艦と言った方がわかりやすいか……戦艦の攻撃によってこの星の人類は窮地に追い込まれている。対抗しうるテクノロジーはなく自力ではどうしようもない」
老人はどうやら尋常ならざる存在のようだった。琉の背中にぞくぞくと冷たいものが走る。人間……ではないのか?
「あんたは一体……何者なんだ?」
「銀河の管理人、とでも言うべきかな」
老人はあぐらをかいて芝生に座り、琉をじっと見つめた。
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